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本田宗一郎 夢を追い続けた知的バーバリアン (野中 郁次郎)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 かなり前になりますが、野中郁次郎教授が主催した社会人向けセミナーに参加したのですが、その事務局より送っていただいた本です。

 本田宗一郎氏関係の本は「夢を力に」をはじめとして何冊か読んでいるのですが、やはり何度振り返っても刺激になりますね。

 本書は、本田宗一郎氏の軌跡を辿ったうえで、知識創造理論の権威である野中教授が稀代の経営者たる宗一郎氏の思想・姿勢等について論考を加えたものです。

 まずは、宗一郎氏のエピソードを記した「第一部 詳伝」からの覚えです。

 軽自動車N360の成功に続いて、ホンダは小型乗用車分野に参入します。しかしながら、度重なる宗一郎氏の設計変更命令により迷走した新車開発は発売から3年後に販売中止という結果に終わりました。
 1967年当時の技術研究所杉浦英男所長はこう語ります。

(p103より引用) 「強力な創業者がいて、しかもその人が技術的にもトップに立っている。加えて、過去にどえらい成功体験を持っている。そういうリーダーがいるということは、行く所まで行ってしまわないと、途中で止めるということはとてもできない企業体質だった」。

 “カリスマ経営者の弊害” といえばそれまでではありますが、ホンダの場合は特殊で、“甘受すべきリスク” だと捉えるべきなのかもしれません。

 とはいえ、それが「トップの暴走」であるならば、どこかで誰かが止めなくてはなりません。ホンダにはそれができるもう一人の傑物がいました。名参謀、藤澤武夫氏です。

 宗一郎氏が強くこだわっていた「空冷水冷議論」。社内の技術者の議論で水冷の利を理解した藤澤氏は宗一郎氏に対峙します。

(p106より引用) 藤沢はここで勝負に出た。
 「あなたはホンダの社長としての道をとるのか、それとも技術者としてホンダにいるべきだと考えるのか。どちらかを選ぶべきではないでしょうか」
 それを聞いてしばらく黙っていた宗一郎がこう答えた。
 「やはり、俺は社長としているべきだろうね」
 「水冷でやらせるんですね」
 「そうしよう。若い人たちが望むならそれがいい」
 次の日、宗一郎は技術陣を集め、皆の希望を聞いたうえで、水冷でいくことを指示したのだ。

 諭した藤澤氏、受け止めた宗一郎氏、これも二人の長年にわたる相互信頼に裏打ちされた “真実の瞬間” でしょう。

 そして、本書の「第二部 論考」です。

 ここでは、野中教授が唱える「実践知(フロネシス)リーダーの6つの能力」をフレームワークとして宗一郎氏・藤澤氏のリーダーシップを検証していくのですが、二人で「6つの能力」をうまく補完させ合いながらホンダならではのマネジメントスタイルを発揮している姿がよく分かります。

 さて最後に、その他、本書の記述の中で気になったところを書き留めておきます。

 「実践知リーダーの6つの能力」の3つめ「場をタイムリーにつくる能力」についてのくだりです。

(p154より引用) 新しい知は人と人との共鳴・相互作用を通して創発する。それが経営学における「場」の考え方である。

 この「創発の場」についてですが、昨今の「テレワーク」の動きによって、従来の「リアルな場」に加えて「ヴァーチャルな場」での人と人との関わりのウェイトが高まってきました。

 以前から「インターネット」の登場により「ヴァーチャルな場」の重要性は意識されていましたが、それは、「未知の人・考え」との出会いを偶発させるという点での有用性だったように思います。
 今回、「既知のメンバ」との営みにおいて(テレワークという)「ヴァーチャルな機会」ができたわけですが、これは“積極的”な意味で創発にとって有益なのでしょうか?それとも、やはり「リアルな機会」の方が優れているのでしょうか?

 もちろん、これも、0or1議論ではなく、「補完関係」ということだと思いますが。ちなみに宗一郎氏は “現場”“現物”“現実”(三現主義)を重視しましたし、偏に「身体性」の人でした。

 もうひとつ、本書で新しく教えてもらった宗一郎氏のクリエイティビティを生んだ発想法

(p264より引用) こうしたいんだ、というものがある人には現場の技術の中に真実が見えてくる。本田宗一郎さんはインテンションがあって、なぜだ、どうしてだ、次にこうやってみたらどうだ、ああやってみたらどうだ、これでやったらどうだ、と前に進んでいく。それと、あの人の極端なのは、「こうやってうまくいきました」と言うと「もっとやったか」と言うんです。普通の人だと「よかったな」と言っておしまい。ところが本田さんは「それをやったら壊れます」と言うと、「壊せばいいじゃないか」と。うまくいったのだから壊す必要ないだろうと思うのですが、「もっとやったのか」とさらに追求する。壊してうまくいかなかったら、「そこまでやってうまくいかなかったんだな」と。これが本田宗一郎さんの発想の、クリエイティビティを生む一つのボイントになっていると思います。つまり範囲を、駄目だという事実が出るまで広げてしまう。

 よく「出来るまで諦めずにやる」ということは言われますね。そして「やっとできた!」という瞬間が訪れると、普通の人はそこがゴールだと思います。
 しかし、宗一郎氏はその先の「限界」まで見極めることを求めました。失敗するにせよ、成功するにせよ「限界の結果が出る」まで追求し通す。
 
「お前、やったのか」という宗一郎氏の言葉は “根源” を突いていました。

 そして、社長経験者川本信彦さんが語る「宗一郎氏の原点」

(p265より引用) 普通は「どっかにあんのか、じゃあやってみろ」ですが、あの人は「どっかにあんのか。じゃあ別のやってみろ」。あの人の発想は、無いものをやってみろ、ということです。

 「世の中にないものを生み出す」こと、それが宗一郎氏が生涯追い続けた “夢” だったのだと思います。



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