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美しい和菓子の図鑑 (青木 直己)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着書リストの中で目にとまりました。

 本書の著者青木直己さん和菓子の老舗虎屋に入社し、虎屋文庫研究主幹として和菓子の歴史と文化に関する調査・研究に従事してきた方です。

 まず、冒頭の「和菓子の楽しみ」と銘打った前書きで、和菓子の歴史を簡単にこうまとめています。

(p3より引用) 和菓子の世界は、菓子が木の実や果物であった古代から、徐々に餅や団子ほか加工食品としての菓子が登場し発達してきた現在までの和菓子の歴史を背景にしています。そこには古代に中国から伝わった唐菓子、鎌倉〜室町時代に同じく中国から伝わった饅頭や羊羹などの点心、戦国~安土桃山時代にポルトガルから伝わったカステラ、金平糖、ボーロをはじめとする南蛮菓子の影響がありました。そして十七世紀後期の京都で雅な上菓子(白砂糖を用いた上等な菓子)が大成し、国産砂糖の生産が広がった江戸時代後期には、大福などの庶民的な菓子が多くの人々を楽しませました。明治から現代にかけて洋菓子の影響を受けつつも、和菓子は発展を続けています。

 神社仏閣のお膝元で生まれた門前菓子、信仰の旅の流行に伴う街道の名物菓子、茶の湯の隆盛の中で洗練された茶会の菓子等々、様々な源が今の和菓子に連なっています。

 そういった多彩な和菓子は、今はその地を訪れなくても「全国の銘菓」として百貨店でもとめることができます。

 たとえば、「大福」といってもかなりの種類のものが手に入ります。有名どころでは、東京で言えば “岡埜栄泉” や “松島屋”、京都では “出町ふたば” 等々。
 大福は江戸時代に今のような姿に至ったそうです。

(p155より引用) 江戸時代、餅菓子のなかでも、とくに人気だったのが餡入りの大福だ。当初はふっくらとした形状から「うずら餅」、ひとつ食べると満腹になることから「腹太餅」とも呼ばれたが、餡は赤小豆に塩を入れたもので甘みはなく、「ただ大きくつくっただけのもの」であったという(『嬉遊笑覧』1830年)。
 それが寛政年間(1789~1801年)ごろになると、腹太餅よりも回り小さく、こし餡に砂糖を加えた「大福餅」が登場。「1個が4文で、形が大きくて安い」 (『江戸繁昌記』1831年) ことから江戸っ子の人気を集めた。

 本書では、「季節」「人生の節目」「神仏との関わり」など様々な切り口で日本全国の和菓子が紹介されています。

 この歳になってくると、生クリームたっぷりのショートケーキはもちろん、チーズケーキやムース系のデザートでもかなりHeavyになってきました。
 “和菓子” が気になり始めたのは必然ですね。

 

美しい和菓子の図鑑 青木 直己 (二見書房)

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