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イノベーションの作法-リーダーに学ぶ革新の人間学 (野中郁次郎・勝見明)

イノベータの気概

 以前、同じ著者による「イノベーションの本質」を読み、このBlogでもいくつかのポイントをご紹介しました。

 本書でも、前作と同じようにイノベーションを起こした「商品/サービス」を材料に、綿密な取材を通した「成功の要諦」を野中理論に当てはめつつ丁寧に解説していきます。

 本書で明らかにされている野中氏/勝見氏の一貫した主張は、「イノベーションの起点は『主観的な当事者意識』だ」という点です。
 その「当事者の暗黙知」をスタートにして、形式知への転換/共有化等のイノベーションのプロセスが駆動されるのです。

(p52より引用) 今、問題なのは、分析は得意でも、傍観者のスタンスで仕事に関わり、主体的な当事者意識が欠如した人間が日本企業の特にミドル層に非常に増えていることだ。
 「自分は何をやりたいのか」「何のために存在しているのか」と問い続け、自らの主観的な思いを原点に置き、その主観的な思いを言語化し、概念化して他者を説得し、巻き込み、イノベーションを起こしていく。当事者意識の塊のようなイノベーターの生き方に目を向けるべきだろう。

 野中氏は、昨今の米国流の分析万能思想・ロジカルシンキングの浸透に疑問を呈しています。全否定ではありませんが、「イノベーション」には不適との考えです。

(p332より引用) 論理的思考は、練習さえすれば誰でもある程度はできるようになるが、論理は論の形式を問うため、その人間の生き方は問われない。最悪なのは、自分の生き方を持たないまま、借りてきたような論理を振りかざし、リスクもとらなければ、責任も負わないパターンである。

 イノベーションは「無機質な論理」からは生まれない、「意思をもった人間の生き方」が生むものだと考えています。
 「意思」が重要です。この意思は「自分はこうありたい」という確固たる思いです。この「自分の未来に対する思い」が、自分の過去や現在を規定するのだと言います。

(p385より引用) 来たらんとする未来において、「自分はどうありたいのか」「どうありうるのか」という可能性が見えたとき、能動的に先駆して覚悟を決め、過去の経験に意味を与え直し、現在を直視して生きる。過去が今を決めるのではなく、未来によって主導されて過去が意味づけられ、再構成されたとき、現在の新たな生き方が切り開かれ、今、ここ(=here and now)の刻一刻が生き生きと刻まれていく。

 本書では、何人もの「意思」をもったイノベーターが紹介されています。
 「伊右衛門」を世に送り出したサントリーの話です。

(p64より引用) そうした型破りが可能だったのも、サントリーに「やってみなはれ」の文化があったからだろう。過去にどこもやっていなくても挑戦を認める。ただ、沖中にいわせれば、「“やってみなはれ”は、その前にわれわれ自身の“やらせてください”の精神があって活きてくる」という。

 サントリーのDNAは、当事者意識あっての「やってみなはれ」だということです。

SONY 二つの「創造」

 コンセプトワークで大事な点は、「対象の『意味づけ』」です。適切な「意味づけ」は思考の連鎖を呼び起こします。逆に「意味づけ」が不明確だと、同床異夢、思考の狭窄化や迷走をもたらします。

 本書で成功例としてあげられたSONYの「フェリカ」は、正に「的確な意味づけ」により「本質的な価値」が明確化された好例でしょう。

(p223より引用) このとき注目すべきは、フェリカのメモリ内にある共通領域が参加者次第であらゆる用途に活用できる意味合いを突き詰め、「フェリカは究極的にはリアル、サイバーを問わず、デジタル社会での決済の手段であり、権利行使の手段である」という普遍的な価値を導き出したことである。・・・つまり、自分たちの商品の本質的な価値をつかんだことで、あらゆるステークホルダーとアライアンスを組んだ水平展開の可能性を見いだしたのである。

 現在のネット社会は、「対等者の自由な連携」が基本です。
 そういった環境下においては、最終完成品として世に出すよりも、適用可能性のある「素材」をパートナーに提供しその活用を広く促す方が、ネット社会の潜在能力や潜在マーケットをより大きく活かすことができるようです。

(p224より引用) 今の時代、アセンブリした商品そのもので正面突破するより、キーコンポーネントで勝負する世界へ移行している。・・・
 強烈な思いを持って取り組むことは大事だが、・・・バランス感覚を持った人間が黒子的に当事者たちをリンクさせ、知を総動員してイノベーションを実現する。こうしたバランス感覚型のイノベーター人材がミドル層にどれだけ多く自律分散的に存在しているか。それが、間接戦略の時代を勝ち抜く企業の条件といえるだろう。

 ここでのポイントは、「Hubとして動く当事者」です。新種の「黒子のイノベーター」です。この「黒子」に必要な資質は、絶妙な「バランス感覚」だと言います。

(p270より引用) 主観と客観、暗黙知と形式知、直観と分析、一方に偏ることなく、常に往還している。イノベーターに求められるのはこのバランス感覚にほかならない。

 もうひとつ、黒子のイノベーター(=リーダー)が振付けるメンバ間の「コンセプトの共有」も極めて重要です。
 このために、リーダーはいろいろな工夫をします。サントリー「伊右衛門」の開発にあたっては、メンバ全員で「茶どころ京都」を旅行し、狙ったお茶のイメージを固めました。また、マツダ「ロードスター」の開発にあたっては、メンバ全員で車を連ね「ツーリング」にくり出し、走りの楽しさの共体験を積みました。

 最後、話をSONYに戻します。
 かつてのSONYは、その卓抜したオリジナリティを武器に「SONYならではのプロダクト」を市場に提供し続けていました。

 本書で取り上げられたフェリカは、それら(過去の)SONYらしさとは全く趣を異にした「新たな創造的プロダクト?」です。

(p219より引用) 井深大は「創造」という言葉を最も好んだが、ソニーといえども、「独創」だけではなかなか成功に結びつかず、「共創」を進めながら、黒子的リーダーシップによりそれぞれの知をつなげていく時代に入った、ということか。先進企業の隠れたヒットは、21世紀型事業戦略のあり方を示して目を離せない。

分析マヒ症候群

 野中氏は、「ものごとの進め方」として、対極にある2方法を示します。

(p125より引用) ものごとの進め方には、論理実証主義に基づく客観的で科学的で論理分析的なアプローチと、ビジョンや強い思いに裏付けされた主観的で実践的なアプローチとがある。理論か実践か、論理分析か直観か、この対比は本書のあらゆる場面で登場する課題だ。

 本書では、この2つの方法の対比から、イノベーターたる要件を明らかにしていきます。
 たとえば、「イノベーションの創造のためには・・・」との切り口からは、以下のように論じています。

(p342より引用) 論理分析は誰が考えても同じ展開になるため、他社も同じような分析的仮説を導き出し、差別性がなくなってしまうのだ。
 これに対し、イノベーターが生み出す仮説とは、客体と一体化して顧客の目線に入り込み、市場を内側から見たときに直観的に浮かび上がるものである。

 2つの方法は、主体の立ち位置の対比でもあります。
主客分離・自他分離の客観的観点から、マーケットを外から顧客と一線を画した視座でみるか、
主客一体・自他非分離の主観的視点でマーケットの中に入り、顧客と同一化された視座でみるか。

 また、この2方法は、主体のものごと(対象)に対する姿勢の対比でもあります。

(p343より引用) 分析的仮説顧客の「平均像」を出そうとする計算的な解であるのに対し、直感的仮説は主客未分化の世界で顧客にとっての最善を実現しようとする思いの投影にほかならない。分析的仮説が過去や現在の延長上に連続的にしか未来を描けないのに対し、直感的仮説は非連続的に新しい未来を創造していこうとするものであり、ここに決定的な違いがある。

 野中氏は、イノベーションを生み出すため2つの方法のうち「論理分析的アプローチ」に対して明らかに否定的です。

(p338より引用) 世の中をより豊かにする新たな知識創造は、単なる市場分析からは生れない。

 そして、現代の日本には、この悪しき姿勢が蔓延していると感じています。

(p248より引用) 日本のビジネスマンの多くが今、「分析マヒ症候群」に陥っている。何かというとすぐ分析が始まり、・・・論理が明晰であればあるほど、仕事ができていると思い込んでいる。
 こうした論理分析万能主義者の最大の問題点は、「あなたは何をやりたいのか」という問いに、明快に答えられないことだ。自分は何のために仕事をし、何をやりたいのか。この問いに、どこかで借りてきたような言葉でしか答えられない人間にはイノベーションは起こせない。

 野中氏は、イノベーションの源泉を「熱き思いを持った主体」に求めます。

 さて、最後に、本書で印象に残ったフレーズをいくつかご紹介します。
 まずは、こういった類の著作にはいつも登場するセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長の言です。

(p352より引用) 鈴木氏は「ものごとは常に客観的に考えろ」という一方で、「私はものごとを直観的に考える方だ」と一見矛盾したことをいうが、これは、いったんメタ認知による自己否定を媒介して、顧客の視線に入り込み、直観するという発想法を語っている。

 帯広の「北の屋台」を運営している久保北の起業協同組合専務理事の気づき(不便のコミュニケーション)です。

(p93より引用) 「店主も開店前に屋台を組み立て、閉店後はまた収納するのは面倒で不便です。できればやりたくない。だから、隣同士、お向かいさん同士で手伝い合う。屋台の不便さが店主同士のコミュニケーションも生んでいるのです。・・・」

 主体性の大事さについての「はてな」近藤代表取締役の言葉です。

(p306より引用) ユーザーの声に一つ一つ応えていくと、結局、つくり過ぎ症候群と同じになってしまいます。われわれが公開した情報に対してユーザーから批判が出ても、どちらが客観的に正しいかではなく、そのユーザーの要望に本質的な問題が隠れているのかどうか、自分たちで探って判断していかなければならない。・・・最後に本質的な問題を見つけ、解決していくのは自分たちだという決意がなければユーザーの声とは向き合えません。



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