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3500本の映画を見てきた私が映画を見続けている理由

1985年、10歳の時だった。私が初めて映画というものを「映画館」で見たのは。
その映画は、「グーニーズ」

あの衝撃は30年経った今でも忘れない。スクリーンに映し出されるその映像の迫力に圧倒された。製作総指揮がスティーブン・スピルバーグ、監督がリチャード・ドナー。マウス役のコリー・フェルドマンが妙に気になった。

10歳ということで、時より字幕の漢字が読めなかったことを覚えている。

私が生まれ育ったのは、大阪府枚方市。そう、TSUTAYA発祥の街だ。そして、この1985年がまさにTSUTAYAが創業した年なのだ。

グーニーズ以降、映画に取り憑かれた私は、毎週のように、親に頼み込みレンタルビデオ店へ駆け込んだ。近所にはまだTSUTAYAはなく、車で少し行ったところにあった。

私が映画を見る本数とともに、TSUTAYAも大きくなっていった。なんだかそんな親近感を持つお店だった。

15歳、高校に入学する頃には500本以上は映画を見ていたと思う。その時まだ、本は1冊も読んだことない少年だったにも関わらず。15歳までには、ゴッドファーザーも、ほぼすべてのチャップリン作品も、往年のレベッカなどから、SF、アクション、アドベンチャーまであらゆるジャンルを総ざらいしていた。

高校入学と同時に、お小遣いがない私が、母親と見にいった映画がある。どうしてもすぐに見たいとせがんだ映画。「レナードの朝」だ

ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズ主演の難病を扱った映画だ。この映画は、ノンフィクション。実話を元にした映画で、嗜眠性脳炎という病気で何十年も意思疎通ができない状態の患者に、パーキンソン病向けに開発されたLドーパを投入したところ、突如目覚め、会話をする奇跡を綴ったものだ。しかしながら、その奇跡もつかの間、薬の効果は薄れていき、再び意思疎通ができない状態に戻って行く。

この映画は非常に素晴らしいものだったんだが、中でも私が印象的だったのが、タイトルの付け方だった。「レナードの朝」。しかし、原題は、Awakingsなのだ。そう、複数形のSがついていた。

誰にとっての目覚めなのか。レナード(デニーロ)は患者の名前だ。この映画では、それまで研究だけに人生を捧げていたマルコム・セイヤー医師(ウィリアムズ)の人間としての目覚めも描いていた。

マルコム・セイヤー医師はそれまで、あらゆるプライベートな時間を放棄し、治療のみ、医学の研究のみに人生の時間すべてを捧げていた。その中で起きた、奇跡、レナードの朝、しかし、その嗜眠性脳炎患者達が再び眠りにつき始めた後、ようやく自分の人生を見つめるようになる。やがてくる人生の眠りの前に、いったい自分という人間は、いま何を見るべきなのだろうか。

作者が本当に言いたかったのは、レナードの朝ではなく、マルコムの朝。しかし、それを原題は、さりげなくAwakingsという言葉で表していた。

映画は人生を語り、科学(医学・物理・化学など)の発展を表し、観た人に力を与える。そして、セリフと共に、タイトルにも大きな暗示を灯す。

この映画以来、私は常に映画の原題をチェックするようになった。

1997年、恋愛小説家という映画が公開された(日本は1998年)。原題は、As good as it gets
邦題とは似ても似つかない映画。

偏屈頑固オヤジの世界チャンピオンのような恋愛小説家、メルヴィン(ジャック・ニコルソン)が主演で、アカデミー賞を総なめした作品だ。(以下、ネタバレ含みます)

メルヴィンは、何かと反論する、わがままをいう、人にはいけずに、不親切に。潔癖症で、手を洗うときは、とてつもなく熱いお湯で、さらピン(大阪弁で新しいという意味です)の石鹸を使う。一度でも使った石鹸はゴミ箱行き。見る限り、付き合いたくない、ひどい男、世界中の女性の敵、それがメルヴィンだった。

そんな中、メルヴィンはキャロル(ヘレン・ハント)と出会う。

紆余曲折がある中で、次第にキャロルに好意を寄せるメルヴィンなのだが、持ち前の、超偏屈から、会うたびに意地悪をする。その終盤、とあるレストランで二人は待ち合わせて、食事をすることになる。

しかし、メルヴィンは、30分ほど遅れて到着する。だけどダークブルーのスーツをビシっと着こなし、颯爽と登場するメルヴィンに目を奪われるキャロル。(この登場シーン、音楽、カメラアングルは、最高です。1996年ザ・ロックにおいて、アルカトラズを脱獄し、これまたダークブルーのスーツに身を包み、サンフランシスコのダウンタウンを背景に登場するショーン・コネリーのワンカットと同じく、映画史100年の中での、カッコ良い2大シーンです。この2つのシーン以上のものを私は観たことがない)

話を戻しましょう。楽しく食事を進める中で、メルヴィンはキャロルに言います。

You make me want to be a better man.

字幕では、「いい人間になりたくなった」

地球上最悪の偏屈意地悪親父から出てきた愛の告白の言葉がこれでした。そこで、初めて、タイトルとリンクするんです。As good as it gets 、出来るだけ良く(なりたいんだよ)

20年経った今でも、このセリフ、カメラアングル、その時のジャック・ニコルソン、ヘレン・ハントの表情、BGMが蘇ってきます。

こんな1分を自分も撮りたい。

こんな1分を自分も後世に残したい。

そう思うようになりました。大学時代、阪急石橋駅のTSUTAYAに毎週のように通い、バイトで貯めたお金は、バックパッカーの旅と、レンタルビデオ代にすべてをつぎ込んだと言っても過言はないと思います。字幕家の戸田奈津子さんのインタビュー記事をある時みて、映画人は最低でも1年で200本は映画を観ないと、というセリフを聞き、学生時代の7年間で2000本は軽く観たと思います。

映画は人生を語り、科学(医学・物理・化学など)の発展を表し、歴史も考察し、美術、服飾にも全知全能を傾ける必要があります。そして、音楽。カメラワーク。たった1分が、ある人の人生を変えることもある。たった1分が、100年先にも残る名シーンとして、受け継がれることがある。映画は、「人間にとっての総合芸術」だと思っています。ビジネスは、「人間にとっての総合格闘技」ですが、、、

そんな1分を残したい。それが映画を観続ける理由です。

会社を興し、事業を展開する。その結果社会の変革を成し遂げようとする。それは、社会への挑戦状です。その結果、1歩でも世界を進めることができるのであれば、それには大きな意義があります。それに向かって日々生きてます。

一方、映画は、一人の人間への挑戦状です。たとえ1分でも、その人の後の人生に大きく影響を及ぼす瞬間を創り出せる。それが映画です。私は10歳の頃より、友人界隈でなんども口にしてきました。映画を撮ると。映画監督になると。そこから30年、まだ撮っていません。そして、これから撮るべく動き始めます。でも事業も辞めません。なぜなら、社会への挑戦と、一人の人間への挑戦、この2つを推し進めたいから。

現在進めている7社目の創業のbajjiは、「地球の未来を変える人と人との出会いをいまの100倍増やす」というものを掲げています。

なぜ、そこに到達したか。そうです。事業による社会への挑戦と、映画による一人の人間への挑戦。その間に浮かぶのがそのビジョンだったからです。

今進める事業を全速力で走りつつ、その延長線上として、一人の人間の人生を変える1分を創造するべく、映画、撮ります。


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