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自分はいつから自分なのか?

最近、母校(高校)のfacebookページに入った。最近まで、そんなページがあることは知らなかった。

同級生が企画してくれること(大変ありがたい)で、同窓会が今年あるそうだ。それが、卒業してから30周年記念ということだ。

おいおい、待てよ。高校卒業してからもうそんなに経つのか・・・?

そう、今年私は日本の現在の平均年齢48歳になったのだ。

高校時代。

皆さんにとってそれは青春の最盛期なんだろうか?

私は、実はもうほとんど高校時代の記憶がない。3年何組だったのかも忘れてしまっていた・・・

大阪では割と良い進学校だったんで、旧帝大などたくさん同級生は行っている。いろんな会社で働いているんだろう。ただ、この30年、一度も偶然出会ったことはない。高校の同級生はたぶん600名はいると思うが、人生の偶然はそんなもんだ。みんな頑張っているか?

高校時代、勉強には集中して取り組めず、特に目立った成績も取れなかった。過酷な記憶を勝負させるざら半紙のテストに対して、いつも疑問に思っていた。こんなことって意味があるのか?15、16歳の若者は、プライドもエゴもギラギラしていて、みんな勉強に密かに必死だった。そんな環境を、遠く眺めている冷めた自分がいた。

200個以上、楕円形の丸を色塗りするセンター試験。私は国語は、全国平均すらなかった。だけど、文章は書くのは得意だと自認していて、本も5、6冊ほど出版している現在がある。そんな国語のテストを解く時間すら無駄じゃないのか、ずっとそんな調子だった。

そんな流れで、高校時代は部活にも身が入らず、高2?くらいからもっぱら帰宅部だった。以来、ほとんど運動していなかった。毎年冬にスキーに行くくらいだ。それが、48歳にして、フルマラソンを3時間20分ほどで走るのだから、不思議なものだ。

いわゆる青春のキラキラした高校時代は私にはほとんどない。

自分はいつから自分なんだろう?

高校生の時だって、もちろん自分だったはずだ。中学も小学も。もちろん大学時代も。

だけど、自分らしい自分って、いつからなんだろう?

大人になるにつれ、徐々に自分が形作られるのか?

歳と共に、自分は変わってしまうのか?

私が自分らしい自分に気づいたのは、たぶん、「大学3年生の夏」だったと思う。

その時、ベトナムにバックパッカーで旅行したのだ。それが自分にとって人生で初めてのサバイバル。

それまでに高2と大学1年時に2回海外に行ったことはあったが、親なしの旅行はそれが初めてだった。

そこで気づいた。自分に足りないものが。

それは、「過酷な状況に身をおく」ということだった。

その状況をどうにかかい潜る。それがとてつもなく楽しかった。初めて、生きている気がした2週間だった。

それ以来、大学を卒業するまでにバックパッカーの旅を15回重ねていった。毎回のテーマは、ただ一つ「もっと過酷な状況はないか?」だった。バックパッカーで旅行に出る旅に、追い求めるもの。もっとヤバイところはどこだ?

社会は過酷だと思っていた

自分を追い込む旅を続けた自分は、ようやく自分らしい自分となって働き始めることになった。就職し、東京に出た。大阪人が東京に出ることは、売国奴扱い。そこはやるせなかったが、東京という街はいまよりも過酷だろう。それが行く理由だった。

働くということ。社会人になること。それは学生からすれば、過酷な状況に陥ると期待していた。

しかし、働き始めて分かったことは、とてつもなく快適な環境ということだった。快適に働き、快適に暮らし、快適な給料を頂く。どこにも過酷な状況がなかった。

高校時代に戻ったみたいだった。

快適な社会人生活が進んでいくにつれ、私は心を病んでいった。30歳のころには、鬱になっていた。(当時はその自覚はなかったが)

十分な給料を頂き、プロジェクトのリーダーとなり、労働時間も特に問題ない、快適な日々。とてつもなく鬱だった。

過酷な状況がなく、打開するものがないとき、私は自分を失ってしまう。

その仕事は9年続けた。後半の4、5年はずっと鬱だった。自分らしくなく、面白くもなかった。そんな状況にも関わらず、続けていたのは、社会人としてのそれが勤めだと思っていたから。

そんなこんなで、37歳、シンガポールで起業した。

なぜシンガポール?国はどこでも良かった。日本より海外でいきなり起業する方が過酷だと思ったから、海外で起業した。そして、確かに過酷だった。そして、楽しかった。

アジアでいくつも会社を作った。トライした。なぜ?その方が過酷だからだ。過酷な状況に自分を敢えて追い込み、それをどうにか打開する。そうしなければ、自分を見失ってしまうからだ。

2017年、日本に帰国した。海外で起業して5年、それなりの経験をしたと感じた自分は、今度は日本から世界に展開するという道を模索したいと思うようになった。

会社のキャッシュが足りなくなる。投資家との交渉。他社での金融アセット流出事件からの規制強化、従業員解雇、離脱、裏切り。ローンチしたサービスがからっきし。売上が伸びない。毎年、毎月のように、過酷な状況が自分に降りかかってくる。

それがとてつもなく快適だ。自分らしさを保つことができている時間。

2012年に起業してから、私は働くことを辞めた。仕事もしていると思っていない。

過酷な状況を打開するために、生きている。生きることで、世界を1mmでも動かすことが出来ればと考え、毎日走っている。

そんな感覚だ。

いま、私は毎日一生懸命に自分らしく生きている。

過酷な毎日が心地よい。

今日のこの状況を乗り越えれば、明日はもっと面白い(過酷な)状況を乗り越えることができる。

One more step
いまの自分の会社で大事にしているValue(行動規範)だ。


あなたの自分らしさってなんですか?


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