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エッセイ もうひとつの祖母への挽歌

(桜か・・・。おばあちゃんに見せてやりたかったな。どこかで見ているかな・・・。)
      一枝を  柩に入れたき 春の夜

  
 先にアップした『祖母への挽歌』で紹介した短歌

病室の 百を越えたる 我が祖母の 手鏡見つめ 髪くしけずる

の他にもうひとつ、祖母の霊前に供えた俳句がありますので、そちらも紹介させてください。
 
 祖母が亡くなった連絡を受けて私は妻とふたりで病院に駆けつけました。祖母はすでに霊安室に移されていました。その時は私たちふたりだけでした。お坊さんは、その日はどうしても都合が悪くて来られないとのこと。枕元には線香だけが寂しげな薄紫色の煙を揺らめかしていました。普通ならお坊さんが「枕経」を上げてくれるのですが、それができないのです。親族はまだこれから集まってくるでしょうが、いかにも寂しい感じがしました。そこで私はあの「手鏡」の歌を紙に書いて枕元に供えようと思い立ちました。お経の代わりというのは、あまりにも畏れ多いですが、少しでも祖母への追悼の気持ちを形にしたかったのです。ちょうど枕元に半紙と筆ペンがあったので、それに書きました。しかし、もうひとつ、死んだあとの心境も書いてみたいという気持ちがありました。
 気分転換のつもりで外へ出てみると、月夜でした。病院の目の前に小さな公園があって、桜が満開でした。月の光に照らされて夜陰に花が浮かび上がっていました。
(桜か・・・。おばあちゃんに見せてやりたかったな。どこかで見ているかな・・・。)
祖母は胆管がんを宣告されて、桜は見られないだろうと医者に言われていたのです。
(できることなら、桜を棺に入れてやりたいな。でもそれはできないしな・・・。)
(それなら、歌か俳句でその代わりができないだろうか。)と考えたのです。

      一枝を  柩に入れたき 春の夜

と並べてみました。三句目が弱いと思いましたが、言葉が出てきませんでした。気に入らないので霊安室のごみ箱に捨てました。ただ多少未練があったので、軽く折り曲げただけの状態でごみ箱に入れました。「手鏡」の歌だけでいいや、というつもりでした。妻と交代で仮眠をとって、朝、目を覚ますと捨てたはずの半紙が祖母の枕元に置いてありました。妻が拾って置いたようです。妻が起きて来た時も、その理由は聞きませんでした。妻がいいと思ったのなら、いいんだろうと思ったからです。2枚の半紙が葬式の祭壇の片隅に置かれることになりました。
 翌日の葬儀の時にお坊さんに
「あの歌を作られたのは誰ですか。」と聞かれました。
「私です。」と答えると
「とてもお上手ですね。」と褒めてくださいました。
「俳句もいいよ。」と言ってくれたのは、長年俳句を趣味としている伯父でした。
祖母と、私たち夫婦だけで過ごした夜に生まれた俳句と歌によって、少しでも祖母の供養ができたのなら、こんなに嬉しいことはありません。


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