「わからないこと」を悩むことはできない。「わからないこと」は考えられるべきである。ところで「人生いかに生くべきか」と悩んでいるあなた、あなたは人生の何をわかっていると思って悩んでいるのですか。
■「悩む」と「考える」
かつて「サンデー毎日」に連載していた
「考える日々」を、
私も毎週愛読した
哲学者・池田晶子のこの言葉を
先日の「日本経済新聞」朝刊で紹介していた。
*
手元の「新明解国語辞典」(第三版/1981年発行)によれば、
「悩む」とは、
「負担・苦痛などマイナスの状態をこらえ、
克服しようとして方法が見いだせないでいる」、
「考える」とは、
「経験や知識を基にして、未知の事柄を
解決しようとして頭を働かせる」
とある。
この二つの意味を比較すると、
「未知の事柄」か、
そうでないかが
大きな違いになっていると言える。
AランチかBランチかを選ぶ
シチュエーションで、
どんな素材でどんな調理法かは
「分かっている」のに、
「ええ~、悩むぅ~」などと言うのは
基準となる選択肢が
「見いだせない」状況で
「悩んでいる」
と説明できる。
■人生は「分からない」もの
同じく「新明解国語辞典」(第三版)によれば、
「未知」とは、
(1)まだ知られていないこと
(2)(将来性など)まだはっきり分からないもの
とある。
まだ知られていない、
そして
「分からない」ことが
未知なのだ。
そこで池田晶子は、
「人生は分からないもの」
だから、
悩む必要はない、とも
言っているのである。
*
話は全く変わるが、
村上春樹著「街とその不確かな壁」で
以下に引用した会話が出てくる。
主人公である「私」は、
ある少年と、「その街」に
ついての興味を共有したことで、
どうすべきか悩む状況に立つのだが、
相談相手(『あなた』と話しかけている子易)は、
やわらかく次のように助言するのだ。
その街への行き方を
知らないのだから判断に
苦しむ必要などない、
つまり悩む必要はない
のだと。
■人生について頭を働かせる
池田晶子の言葉に出合っていたからこそ
私は、この小説の場面に人生の
別の意味を感じとることが
できたのだ。
人生において、
誰もが、目指すどこかに行きたいと
思っている。
しかし、
「これこそがその道」という行き方を
知っているわけではない。
だから「考える」。
「経験や知識を基にして、
未知の行先を
自分の道にしようと
頭を働かせるのだ。
「悩む」のではなく、
「考える」。
そう思えば、
立ち止まることなく、
解決策を見つけようと
一歩を踏み出す
力が湧いてくる
のではないだろうか。
*
《私の経験から『考える』》
父の介護で必死だったとき、
ある介護の経験者に
「あまり悩まない方がいいわよ、
明日何が起きるか分からないんだから」
と言われた。
いま振り返って私は、
膝痛の母による老々介護によって
次々生じる問題に対し、
ご縁ができた専門スタッフの方々の力と
アドバイスをできる限り活用しながら、
何らかの策を立てる気持ちで
向き合っていた気がする。
そしてその効果をときに実感し、
失敗したら、
別の対策を模索した。
私は、あのとき
人生の難題を「考えて」
いたのではないかと、
いま思う。
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