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「わからないこと」を悩むことはできない。「わからないこと」は考えられるべきである。ところで「人生いかに生くべきか」と悩んでいるあなた、あなたは人生の何をわかっていると思って悩んでいるのですか。

■「悩む」と「考える」


かつて「サンデー毎日」に連載していた
「考える日々」を、
私も毎週愛読した
哲学者・池田晶子のこの言葉を
先日の「日本経済新聞」朝刊で紹介していた。
          
手元の「新明解国語辞典」(第三版/1981年発行)によれば、
「悩む」とは、
「負担・苦痛などマイナスの状態をこらえ、
克服しようとして方法が見いだせないでいる」、
「考える」とは、
「経験や知識を基にして、未知の事柄を
解決しようとして頭を働かせる」
とある。

この二つの意味を比較すると、
「未知の事柄」か、
そうでないかが
大きな違いになっていると言える。


AランチかBランチかを選ぶ
シチュエーションで、
どんな素材でどんな調理法かは
「分かっている」のに、
「ええ~、悩むぅ~」などと言うのは
基準となる選択肢が
「見いだせない」状況で
「悩んでいる」
と説明できる。

■人生は「分からない」もの


同じく「新明解国語辞典」(第三版)によれば、
「未知」とは、
(1)まだ知られていないこと
(2)(将来性など)まだはっきり分からないもの
とある。

まだ知られていない、
そして
「分からない」ことが
未知なのだ。
そこで池田晶子は、

「人生は分からないもの」
だから、
悩む必要はない、とも
言っているのである。

                                    

話は全く変わるが、
村上春樹著「街とその不確かな壁」で
以下に引用した会話が出てくる。
          
主人公である「私」は、
ある少年と、「その街」に
ついての興味を共有したことで、
どうすべきか悩む状況に立つのだが、
相談相手(『あなた』と話しかけている子易)は、
やわらかく次のように助言するのだ。

「しかしあの子は私に、その街まで導いてもらいたいと
求めています。彼はそこへの行き方を知らないからです」
「しかしあなたにはそれができない。なぜならば、
あなたはその街に行ったことはあるけれど、
行き方を知っているわけではないから」
「そのとおりです」
「ですから、あなたはなにも判断に
苦しむ必要などないのです」


その街への行き方を
知らないのだから判断に
苦しむ必要などない、
つまり悩む必要はない
のだと。

■人生について頭を働かせる

池田晶子の言葉に出合っていたからこそ
私は、この小説の場面に人生の
別の意味を感じとることが
できたのだ。

人生において、
誰もが、目指すどこかに行きたいと
思っている。

しかし、
「これこそがその道」という行き方を
知っているわけではない。
だから「考える」。
「経験や知識を基にして、
未知の行先を
自分の道にしようと
頭を働かせるのだ。

「悩む」のではなく、
「考える」。

そう思えば、
立ち止まることなく、
解決策を見つけようと
一歩を踏み出す
力が湧いてくる
のではないだろうか。

       

《私の経験から『考える』》

父の介護で必死だったとき、
ある介護の経験者に
「あまり悩まない方がいいわよ、
明日何が起きるか分からないんだから」
と言われた。

いま振り返って私は、
膝痛の母による老々介護によって
次々生じる問題に対し、
ご縁ができた専門スタッフの方々の力と
アドバイスをできる限り活用しながら、
何らかの策を立てる気持ちで
向き合っていた気がする。
そしてその効果をときに実感し、
失敗したら、
別の対策を模索した。

私は、あのとき
人生の難題を「考えて」
いたのではないかと、
いま思う。




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