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noteコメントの善と悪~悪(1)批判コメントの落とし穴。

私は先月の投稿で、
「感想を言うことが、人間関係の第一歩。」という
見城徹・(株)幻冬舎代表取締役社長の言葉と共に
内容を評価する感想を伝えることが
人間関係に好影響を与える効果に言及した。

この姿勢を大前提に、
noteで投稿内容を批判する
コメントをする方が
陥りがちな傾向について
述べてみたい。

■(1)固定観念に固執する


定まっていたはずの学説もしかりで、
昨日まで正解だった価値が、
自分の知らないところで翻されていることがある。
そういう可能性がありながら、
持論に従って批判する方の根底に、
「この定義はこれしかない」という思い込みを
見ることがある。
それがたまたま見直されている
見解である場合、あるいは
いつの間にか世のなかの大勢が
変わってしまっている場合、
明らかな過ちになる。
また、政治や生き方など
正誤が明確でないテーマではなおさら、
固定観念に縛られた批判はやめてほしい。
それこそ多様性を認める時代なのだから。

■(2)門外漢であることを忘れる

例えば広告業界でも言えるのだが、
キャッチフレーズに
おかしな日本語を平気で使うような
ルールを無視した仕事に見えるかもしれないが、
いわゆるコピーライティングだから許される
フレームは存在する。つまり、
経験を踏まえないと分からない
許容範囲のなかで語っている文章に
現代国語の規範を持ち出されても困るのだ。

恐らくこれは、医療・介護・教育・小売など、
門外漢でも一言言いたくなる業界では
なおさらではないかと思う。
私もつい、教育についての投稿には
コメントしてしまうのだが、
一方的に意見を述べることはせず、 
少なくとも質問口調で書ける
内容に収めている。
一文の背景にプロにしか分からない隠れた
補足が隠されている場合があるからだ。

■(3)思い入れに踊らされる

これはいわゆる、コメント返しの際に、
書き手の意図を誤って解釈してしまうケースだ。
例えば「おでんは、ちくわぶが一番」という
強い思い入れを持つとき、
「ちくわぶは関東の文化だ」という一文に
排他的だと過剰反応してしまって
コメントするような場合だ。
内容をしっかり読めば、おでんの地域特性を
語った一文でしかないのに、
「関東人以外は好きになれない具だ」みたいに
攻撃性を含んだ意見として受け取って
不毛な論争を生んでしまう。
逆に勘違いされて過度に喜ばれる
ケースもあるのだが、
いずれにしても、
思い入れがレンズを曇らせてしまうことが
あるので注意したい(これは仕事にも通じる)。                                    

                            *

以上、思いつくままに挙げてみたが、
いずれにしても、凝り固まった観念による
コメントには落とし穴がある。
私の考え方も凝り固まっている
という自覚は十分あるので、
賛同できない投稿はスルー、
これしかない。

noteのコメントは見城さん流の
内容を評価する感想で。

できれば応援する気持ちで。


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