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古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(4)。~あっけらかんと訪れる奇跡

人並み外れて長く垂れ下がった「鼻」を持った僧侶・内供ないぐ
顛末を描いた芥川龍之介の小説を、二代目古今亭志ん朝の口調で綴る
4回目は、いよいよ弟子の僧が京で教わったという
「鼻を短くする方法」にチャレンジする。

■鼻を茹でる?

さてその方法と言いますのが、ただ、お湯で鼻を茹でて、その鼻を人に
踏ませるという、至極、簡単なもので。
お湯はお寺の銭湯で、毎日沸かしてますんで、弟子の層は、もう指も入れられないような熱い湯を、小鍋のような器に入れて銭湯から汲んで来る。
ただ、この湯に直に鼻を入れますと、湯気が当たって顔を火傷やけどする
恐れがあるってんで、お盆にこう穴をあけまして、
それを小鍋の蓋にしましてね、その穴を通して鼻を熱い湯の中へ
入れるってぇ寸法で。これは首尾よく入ったんですが、
不思議がったのは内供で、熱い湯の中へ鼻をひたしても、
ちっとも熱くない。
弟子の僧は教えられた通りにね。しばらくするってぇと
「もう茹だった頃でしょう」
なんてなことを言いながら、次の手順に取り掛かる。
「いまの言葉だけ聞いたんでは、誰も鼻の話とは気がつかんな」。
こんなことを思っていた内供ですが、鼻はもう熱湯に蒸されてますから、
蚤に食われたかのようにむず痒ゆくなってきた。

■弟子、鼻を踏む

弟子の僧は、これはもう真剣です。
内供がお盆の穴から鼻を抜くやいなや、まだ湯気が立ってるその鼻を、
両足にめいっぱい力を入れながら、どすんどすんと踏み始めた。
内供の方はってぇますと、こう横になりまして、
鼻を床板の上へ伸ばしながら、それを踏む弟子の足が上下に動くのを
じぃ~っと見てるよりほかはない。
弟子の方は、ときどき気の毒そうな顔をしまして、
内供の禿はげ頭を見下ろしながら、
「痛くありませんか。先生は、無理にでも踏めと言われたんですが、
痛くはないですかな」
なんてなことを言っている。
内供の方は、これが鼻のむず痒い所を踏まれるので、
痛いよりもかえって気もちがいいくらいだったそうですな。
そこで、首を振って痛くないという気持ちを伝えようとしたんですが、
何しろ鼻を踏まれてますからね、首の方が思うように動かない。
そこで、踏んでる弟子の足にアカギレがあるのを眺めながら、
上眼使いで、
「痛うはないて!」
なんて、腹を立てたような声で答えるんで、
弟子も気を遣ったようで。

■鼻にできた粟粒

それでもしばらく踏んでますってぇと、だんだんとこのぉ、
粟粒みたいなものが、鼻にでき始めた。
まるで毛をむしった鶏をそっくり丸焼きにしたような感じで。
するってぇと、こんどは弟子がこれを見つけまして、
「さあ、この時が来た」
なんてな顔をして足を止めますというと、
独り言のようにこう言った。

「これを毛抜きで抜けと申されておりました」。

このとき内供は、ちょっとこうね、頬をふくらませて不服そうな顔をする。自分の鼻をまるでモノのように扱われるのが不愉快だったんでしょうな。
それでも弟子の親切がわからない訳ではないから、
黙って弟子のやることに任せている。
まるでぜんぜん信用してない医者の手術を受ける
患者のような顔をしてね。

■普通の長さになった鼻

弟子が当時の鑷子せっし、いまで言うピンセットですな、
これでもって自分の鼻の毛穴から脂あぶらをとるのを眺めていた内供。
このときの鼻の脂は、鳥の羽の茎のような形をして1センチちょっと
の長さで抜ける。
あまり見たいものではありませんが、やがてこれが
一通り済みますというと、弟子の僧が、
ほっと一息ついたような顔をして
「もう一度、これを茹でればようござる」。
なんてなことを言いだした。
内供の方はと言いますと、眉毛を八の字みたいに寄せてね、
不満を絵にしたいうな顔をしていましたが、
それでも弟子の言う通りに二度目も我慢して茹でられておりまして。
これが、いつになく短くなっている。

「これなら、普通の鍵鼻と大して変わりないじゃないか」

なんてんでね、内供はその短くなった鼻を撫なでながら、
弟子が出してくれる鏡を、もう、きまりが悪るそうに眺めた。
そうするってぇと、あの顋の下まで下っていた長~い鼻が、
嘘みたいに縮まって、
上唇の上あたりで意気地なく体裁を保っている。
ただ、恐らく踏まれたときの跡なんでしょう、
所々まだらに赤くなっていましたが、内供は
「ここまで鼻が縮まれば、もう誰も笑う者なんぞいないだろう」
てぇ訳で、鏡の中の内供の顔が、
もう満足そうにほころんでいたそうで。 
(続く)


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