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パピコは人生の孤独を際立たせる舞台装置である

 流石に暑すぎるんじゃなかろうか。ニュースによると、気温は約30度。例年の六月中旬並みらしい。十年に一度の猛暑は、私たちに容赦なく襲い掛かる。
 というか、太陽は本当に何を考えているのだろうか。あと数か月もすれば思う存分暑くして良いとこっちは言っているのに、もう暑いのはルール違反である。最近雨が続いていたから、「僕はここにいるよ」と自己主張しているのだろうか。確かに彼は50億年前に産まれてから誰とも会わず、独り寂しく生きているが、それでもその主張は人に嫌われるだけだからやめて欲しい。勝手に一人熱くなっていても、こちらは引く一方だ。

 少し外を歩くだけで、汗が馬鹿みたいに流れた。ただコンビニに行こうとしただけだというのに、こんな仕打ちを受けるなんてあんまりじゃないか。汗水垂らしてへえこらと歩く今日は、もはや休日でも何でもない。これは立派な労働である。すぐ会社に代休を要求しようと思う。「体調管理も仕事の一環だ」と良く上司は言うが、だったら生命を維持するために暑い中食物を買いに行くこの行為だって労働の一環なわけであり、だったら給料を支払うのが会社の義務だろう。私達労働者はもっとこの件について話し合い、団結し、ストを起こすべきだ。いい加減立ち上がろう。使用者に搾取される日々を良しとする時代は終わりである。私が令和に舞い降りたチェ・ゲバラだ。

 そんなことを考えているうちにコンビニに着いた。
 こんな日に食べたくなるものと言えば勿論パピコであるので、私は真っ先に籠の中にパピコを放り込んだ。
 パピコを知らない人間などこの世にはいないとは思うし、同時にパピコの歴史は義務教育で習っただろうが、確認のため、一応以下に簡単な説明を記しておく。

パピコは1974年の発売以来長く愛されてきたフローズンスムージーです。 発売当初から、2つに分けられるブローボトル容器に入っています。 <チョココーヒー>をはじめとしたなめらか食感が楽しめる商品や、ひんやり 爽やかで濃厚なフルーツ感を楽しめる商品など、フレーバーによって素材や食感 にこだわっていることも大きな特長です。
1974年、現在の<ホワイトサワー>の原型となるパピコ<乳酸ミルク>が発売され ました。子どもの好きな乳酸飲料を氷菓にすることをコンセプトに試作を繰り返し、 白いアイスを2つに分けられるブローボトル容器に入れ、口は開封しやすく工夫しまし た。片手で持って手軽に吸えるという形状から、当時は幼児向けに発売されましたが、 意外にも中学生が多く買っていることが分かり、1977年には姉妹品の<チョココー ヒー>を発売し、大ヒットとなりました。コーヒーにチョコレートを加え、他にはな い味を作り上げたことが成功の要因でした。

江崎グリコ 2022年9月改

 知らなかったが、今年でパピコは50歳を迎えるらしい。半世紀も私たちの生活に潤いをもたらしてくれていたのか。感謝以外の言葉が見つからない。
 そして、チョココーヒーよりも先にホワイトサワーが先に発売していたことに驚いた。ホワイトサワーも美味いが、パピコと言えばチョココーヒーだろうに。主役を取って代わられたホワイトサワーには同情の念を禁じ得ない。
 私も例に漏れず、チョココーヒーのパピコが大好きだ。
 あの濃厚かつさっぱりとしたチョココーヒーのフローズンスムージーをちゅうちゅうと吸うのは、夏の醍醐味であり、暑さを忘れさせてくれる。ずっと吸っていたい。日の大半は吸って、ぼーっとして、気に入らないことがあればわめいて、寝たい。休日の私はほぼ赤ちゃんだ。赤ちゃん労使関係革命家として一世を風靡していこうと思う。

 また、パピコを二つにした理由についても言及したい。

◆パピコはなぜ、2つに分けられるようになっているの?
1970年代、グリコ W(ダブル)ソーダアイスという2つに分けられるバーアイスを発 売していました。これは子どもをターゲットにしており、仲の良い友達同士で分け合える 遊び、コミュニケーションツールとして買われることを想定していました。これを参考に、 2本で1つの形態にして、友達同士、親子で気軽にみんなで分け合って食べられるアイス として「パピコ」が発売されました。企画当初は1本で検討をしていましたが、なかなか 「パピコ」らしさを出すことができず、グリコWソーダアイスにならって「2本で1つ」 にしたところ、楽しさが加わり、急にお客さんの支持を得ることができて発売に至りまし た。この特徴的な形は、現在も大切に受け継がれています。

江崎グリコ 2022年9月改

 「2本で1つ」にしたところ、楽しさが加わったらしい。私には悲しさしか加わらなかったので、きっと誤記だとは思う。
1つをちぎり、1つを冷凍庫に戻すあの作業には孤独を感じずにはいられない。パピコで唯一苦手な要素である。というか、2人でいる人間は好きなアイスをそれぞれ1つずつ買えばいいじゃないか。2人でいる時点できっと楽しいだろうに、さらに楽しくする必要なんてない。本当にパピコは、江崎グリコは、独りの悲しさを増やしてまでそれをやりたかったのか。疑問は絶えない。
 ただ、忘れたころに冷凍庫から1本のパピコを見つけた時は得も言われぬ幸福感がある。ちょっとしたへそくりだ。あれを楽しむことができるのは孤独がゆえの特権であり、私の幸せの一つである。この幸せを共有できないのが、なんとも歯がゆいが。

 とはいえ、私はこれからもパピコを買い続ける。パピコは悪くない。パピコが私を孤独にするのではなく、元から孤独である私が浮き彫りになるだけなのだから。それが嫌なら誰かと過ごせるよう私が努力をするべきだ。
 そう思うと、パピコで感じる孤独はなんだか嫌いじゃない。冷たいチョココーヒーは私を冷静にさせ、しっとりと落ち着いた休日を過ごさせてくれる。
 私は炎天下の中、パピコの封を開けた。凄まじい速さで溶けるそれは、まるで太陽が食べているみたいだった。これで暑さも落ち着けば、なによりだ。

  


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