62.雷山小過(らいざんしょうか)~小さな負荷②

六十四卦の六十二番目、雷山小過の爻辞です。
卦辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/nb0f0dc78cc36

62雷山小過

主爻

主爻は六二と六五です。六二は行き過ぎず控えめにして比する九三に会い、六五は九三・九四の賢人の補佐を得て恵みの雨を降らせます。

初六

飛鳥(ひちょう)、以て凶。
象に曰く、飛鳥、以て凶とは、如何ともす可からざるなり。

(立身栄達を謀って)鳥の如く飛ぼうとする。(己の乏しい能力に見合わずして)凶。

初六は上六と共に鳥の羽の尖端であり、柔弱にして不正、才能乏しい陰爻であるにも関わらず、応ずる九四の縁故を頼りにして栄達を謀ります。その結果がどうであるかは言うまでもありません。

六二

其の祖を過ぎ、其の妣(ひ)に遇ふ。其の君に及ばず、其の臣に遇ふ。咎无し。
象に曰く、其の君に及ばず、臣は過ぐ可からざるなり。

祖父(九四)の居場所を通り越して、祖母(六五)に会う(も応じない)。君主(六五)の元へ行くには及ばず、君の臣下(九三)に会う。(分相応であるので)咎はない。

六二から見て九三は父、九四は祖父、六五は陰なので祖母です。しかし六二と六五は不応であり、会っても相感応することは叶いません。別の見方をすれば、六五は君主であり、九三はその臣下です。六二と九三は応じておりますので、意志を疎通し得ます。六二は行き過ぎず控えめな態度を取り、六五へ直接上奏せずして九三の仲介を得るので咎はないのです。

九三

過ぎず、之を防ぐ。従つて或は之を戕(そこな)はば、凶。
象に曰く、従つて或は之を戕はば、凶、如何せんや。

(陽の勢い弱く、陰の勢いを)過ぎることはなく、(下から昇る陰の侵攻)を防ぐ(だけで精一杯である)。行き過ぎてこれを討ち滅ぼそうとすれば、凶である。

艮卦の主爻であり、止まって初六と六二の陰爻が攻めてくるのを防御しようとします。しかし陰爻が多勢であり、防御する分には構わないのですが、攻めの姿勢に転じようとすれば凶に陥ります。

九四

咎无し。過ぎず、之に遇ふ。往けば厲し。必ず戒めよ。用ふる勿れ。永く貞なれ。
象に曰く、過ぎず之に遇ふとは、位、当らざるなり。往けば厲し、必ず戒めよとは、終に長かる可からざるなり。

咎はない。行き過ぎず、(陰爻に)会っても(無難にやり過ごす)。(無理に)進んで行けば危うい。(己の力量を過信せず)必ず自戒せよ。(己の能力を)用いて(見せびらかしては)ならない。久しく正しい道を固守せよ。

陰位にある陽爻にして、柔和なる気分であり、九三のように行き過ぎることはありません。

六五

密雲雨ふらず、我が西郊よりす。公、弋(よく)して彼(か)の穴に在るを取る。
象に曰く、密雲雨ふらずとは、已(はなは)だ上ればなり。

雲が湧き上がるも(恵みの)雨は降らない。君主は罠を仕掛けて穴の中に隠れる獲物(九三と九四の賢人)を得(て用い)ようとする。

雲とは互卦の兌であり、罠とは矢に細い糸を繋いで射るところの糸、すなわち互卦の巽を指します。この卦は坎卦の似象であり、九三と九四の賢人は穴の中に陥っております。かつ六五の陰気は高く昇り過ぎて陰陽和合せず、恵みの雨には至りません。そこで六五の天子は罠を仕掛けるが如く、二人の賢人を探し出して天下のために用いようとするのです。

上六

遇はず之を過ぐ。飛鳥、之に離(かか)る。凶。是れを災眚(さいせい)と謂ふ。
象に曰く、遇はず之を過ぐとは、己だ亢(たかぶ)るなり。

(応ずる九三に)会わずして過ぎ去る。飛ぶ鳥が(罠にはまって)捕らえられる。凶。これを天の災い・人の災いという。

陰の勢い盛んなることに驕り高ぶって、応ずる九三を顧みず、飛ぶ鳥の如く安定した場所を得ずして最後は罠にかかります。これは天のなせる災いであると同時に、己自身が招いた災難でもあるのです。

まとめ

上下の陰爻は能力の足らない小人物であり、中の陽爻は能力の高い賢人君子です。しかし賢人は小人に囲まれて能力を十分に発揮できません。

よって小人に対しては、出来るだけ下るべきことを教え、上ることのみを考えている人には災いが下るであろうことを説くのです。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。