見出し画像

小説『丼とburger』草稿 田辺篇②

「パンという共通言語で、世界に日本の食文化を伝えたいのです」
 手のひらの完全食。日本食コンセプトの世界への発信…丼とバーガーの意義を熱く語り、あがらバーガーの空想レシピについて話した。
「わかりました。面白いですね。あさって木曜日の14時頃お越しください。
 バーガーはもう少し和食を活かした方が面白いと思います。それまでに考えますので、楽しみにしていて下さい」
 乗っていただいた。ありがたい。久しぶりの撮影だ。
 いつのまにかお店の休憩時間に。外に出る。
もう随分と時間が経った。午後のまったりした時間が流れている。
 この田辺で気になっていたエリアがある。江川地区という、川向こうの漁師町だ。

 車輪の前後外して、輪行用の袋に詰め込んでワゴンに乗っけているグラベルロード(悪路走破自転車)を取り出す。
 車輪をつけて、江川地区に向かう。気になっていることはふたつ。
 一つは、飲食店でググると、このエリアはお好み焼き屋が非常にたくさん出てくること。この狭い港の地区にしては異常なくらいの数だ。
 もう一つは、銭湯。田辺は銭湯がほぼない。唯一この地区だけに残っている。漁師町には銭湯、という番組リサーチのジンクスがある。まだけっこう残っている漁師町が多い。ここもそうかと思う。どんな銭湯なんだろう。
 グラベルロードで川を渡る。まずは銭湯の確認。大乗湯。なるほど、昭和の渋いビル。酒屋さんの上にあるんだ。はりがみでは、開くのは16時、19時には閉まるようだ。わずか3時間の営業!お湯沸かして3時間。やっていけるのだろうか。
 そこから江川の町中に入る。お好み焼き屋は、やってる店が二、三。閉まってる店、もう廃業しているだろう店。風呂入ってから風呂上がりのビールをこの店にいただきに来ようと決める。わくわくする。
 銭湯の開店までしばらく町を探索する。静かなものだ。むしろ人の気配があんまり感じられない。過疎化しているのだろうな。どんな魚を捕って生活しているのだろう。

「昔は本当に忙しくて、みんな夫婦で働いていたから、漁師は外食するのは普通。お好み焼き屋だとおでんもあるし、そばもうどんもある。子どもたちはお好み焼きは大好きだし、おとうさんはお酒も飲める。それでいて安くてお腹いっぱいになる。粉もんだからね。本当に便利だった。お客も毎日いっぱいだったね。もともと駄菓子屋がお好み焼きとおでんを出していた。昔はもっとたくさんお店があったね。
 今は、高齢化してそんな家族みんなで食べる姿も無くなってしまった。うちも子どもたちが東京に出ていて、私たちでこの店も終わり。お父さんは腰を痛めて、長くは立っていられない」
「チャンポン食べますか?」
「はい」
 知らなかった。田辺江川の名物、チャンポン。焼きそばと焼きうどんのチャンポンということらしい。
「大阪のテレビ局では、けっこう取り上げてもらってますけどね。見たことない?」
「はい。知らなかったです」
「関西の人じゃないか。」
 フレンドリーなおばちゃんだ。この地域のこと、身内のこと、いろいろ話してくれる。
 今朝歩いた熊野古道の話。話したいことがたくさんある。でもほとんど乗ってこない。
「地元の人は、ほとんど歩いたことがないから。お父さんが小学生の頃遠足で行った記憶が微かにある。でももう2人ともそんなには歩けないから行くことないかな。」
 おでんの玉子とさつま揚げ(名古屋でははんぺん、ここではてんぷら)をつつきながらビールを飲む。
 この店は3番目の候補だった。
 酒屋の2階の銭湯を出てから、狙っていた近くのお好み焼き屋に向かったが、なんともう閉まっていた。
 なのでその近くの店を覗く。なんか嫌な予感して、ビールありますかと聞いたら、予感通りというか、酒類を置いてないとの返事。「ごめんなさいね」とおばあちゃんは申し訳なさそうに手を合わせて何度も謝る。こちらこそ「ごめんなさい」と、おばあちゃんに手を合わせて店を出た。
 それで町側へ川を渡って橋のたもとのこの店に入った。
 おばちゃんの話を聞きながら、すごく安心してカウンターにもたれた。随分、からだと気持ちがこのまちに溶け込んできた。

 入った銭湯は、地元のおじいさんで小さな湯船はいっぱい。入ろうと躊躇しているとリーダー格の恰幅の良いおじいさんが声をかけてスペースを開けてくれる。申し訳なくすみっこに小さく入った。
 とたん、「熱いよっ」、リーダーのおじいさんが小さく叫ぶ。
 うわっ熱っ。熱湯の出口が角にあった。慌てて離れた。みんな笑っている。
 やがてリーダーのおじいさんは「お先に」と言って出る。湯船から上がると洗面器でお湯を汲んでフロアを流し始める。誰のものかもわからない、シャンプーや石鹸の泡を流して行く。
 銭湯文化という言葉を思い出した。使った人が掃除をして行く。脱衣所にモップが置いてあったのは新潟だったか。誰かが濡らしたフロアを拭いて行く。自分たちの周りを整えているという感覚だ。
 番台のおじいさんは、番台の下の椅子に座っている。もう台に上がるのが辛いのだろう。お客さんも番台の上にお金を置いていく。
 入る時に、僕は、「シャンプーを下さい」と声をかけた。
「ごめんなしゃい、ない。あれ、使って」とカウンターに置いてある忘れ物のカゴを指す。シャンプーとリンスが何本か立っている。
「ありがとうございます。手拭いは借りれますか?」
「しょこのを使って」棚の上に畳んで積んである手拭いタオルの山を指差す。
「ありがとうございます」
「しぇっ〇〇は?」
「え?」
「しぇっけん」
 せっけんか。「ああ、大丈夫です。シャンプーで」
「いいの?あるよ」
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」

「はい、チャンポン」現実に戻る。
 ああ、なかなかの炭水化物だな。焼きそば麺、うどん麺を一玉ずつ。薄焼き卵が生地のように上に乗っかっている。ソースは酸味が強い。けっこうお腹いっぱいになった。
 でも、お好み焼きも頼んだ。職業病。リサーチ癖。やっぱりテレビの仕事が抜けきれていない。どれを取り上げるのがいいか、まずは食べてみる。
 これも懐かしい味だった。つなぎのゆるいキャベツをたっぷり食べるやつ。中学の同級生のお好み焼き屋のそれを思い出した。遊びに行くと必ず出してくれたつなぎのゆるい具沢山のでっかいお好み焼き。何をして遊んだのか覚えていないけど、お腹いっぱいになって幸せだったことは覚えている。
 これ、さっきのチャンポンと合わせると最強ですね。
 モダン焼きのチャンポンね。メニューにはないけど、ありますよ。
 裏メニューか。
 それこそ昔は普通によく出てましたよ。男性ひとりでも、家族でも。よく食べてましたね。お腹いっぱいになるからね。安くて。
 子どもたちも幸せいっぱいだったんだろうな。子供たちの声が聞こえてくる。

この記事が参加している募集

ご当地グルメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?