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運命が誰のためにもあるのだとすると

私は、自分ともしかしたら巡りあう運命の人が、「必ず男性である」と言い切ることができない気がしています。

こんにちは、淑江はるかです。
6月といえば日本では梅雨の季節で、祝日がなく、それから私が生まれた月でもありますが、世界で見ると「LGBTプライド月間」でもあります。

LGBTについては、今では日本でも多くの人が認識しているように、いわゆる「性的少数派」を示す言葉であります。
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとってそう呼びますが、じつはこの後にまだ続きがあって、Q=Questioning(自分の性自認が決まっていない、わからない、きめたくない)とか、A=Asexual(恋愛や性愛の感情を持たない)とか、まだまだあるけれど、それらをまとめて「LGBTs(複数形)」とか「LGBTQ+」とか言ったりするそうです。

LGBTプライドとは、そのままの意味で「性的少数派である自らの性自認に誇りを持つ」というようなニュアンスですが、あわせてそうした性的少数派が従来晒されてきた「shame(羞恥)」に対する「pride(誇り)」でもあるそうです。
いわゆるストレートな性自認や性的指向でないことを、咎められたり非難されたり、あるいは病気であるかのように扱われたり、恥ずべき事であるように錯覚するだけの仕打ちを受けてきた、またその歴史があった、それらに対して「自らの誇り」を肯定的に抱くことが、LGBTプライドだと認識しています。

つい先日、私が大好きな俳優のクリス・エヴァンス(キャプテン・アメリカの俳優さん)が、このようなツイートをしていました。

LGBTプライドパレードに対抗する形で企画検討されている「ストレート・パレード(異性愛であること、素晴らしさをアピールする目的のパレード)」についてのツイートを引用し、これを批判するもので、これを私が訳すとすると

「ウケるね!ところでこれはどう?『ストレート・パレード』のかわりに『子どもの頃に自分の感情と向き合えなかったことを、同性愛嫌悪をする事で自分の抱える同性愛への認識にフタをしようとする人のパレード』っていうんだけど、図星つきすぎ?」

みたいな感じでしょうか。
性自認や性的指向はとてもプライベートであると同時に、自由で尊重されるべき事です。だからこそ、それを否定するような心を形成してはいけないし、それは無知や弱さが原因で、クリスは「子どもの頃に感情と向き合うことを教わらなかった」事が理由にあるとしています。
前後して、もう少し詳細にこのパレードの問題点をフェイスブックに記載した作家さんがいて、そこに書かれている事がひとつ残らず正確であり、思うことが丁寧に書かれているので、よければご一読ください。

ストレートでいるということは、自分の性自認においても、誰かを好きになるということにおいても、瑕疵を抱かず生きていくことができると思うのです。
いっぽうLGBTQ+の人たちは、差別や批判以前に、自分自身の抱いた『誰かを好きになる』という気持ちに絶望し、そのたびに孤独を感じたり、傷ついたりしてきたのではないでしょうか。

前述したように私は、私に運命の出会いがあるとして、それが「異性愛者の男性である」ことが絶対であるとは、思えません。
なぜなら、私が知るかぎり『好きになる』という感情は、唐突で、身勝手で、臆病で、まるきり手に負えないものだから。蛇のように心にとぐろを巻いて住み着いて、ぎゅうぎゅう締め付けて苦しくなったりする。

そんな魔物みたいな、けものみたいな感情を、どうやって自分の思うように、ともすればステレオタイプな『普通』とか『一般的』とか『常識』なんていう型どおりにおさめることができるんだろう、と思うからです。
そもそも誰かを好きになるなんて、とっても非常識な事じゃないですか。
自分を知って欲しくて、好きになって欲しくて、前後不覚になって、無防備になって、防御力も下がるような異常事態。

それなのに、どうして自分だけが、あなたの周りにいる一人ひとりずつが、他人が思いついたような「正しい」恋愛できるだなんて思えるんでしょうか?わたしは逆にそんなの、あるわけないとすら思ってしまう。

愛しいあなたの姿なら、どんなものでも愛してしまうと思う。

あなたが愛した誰かなら、たぶんすべてを美しく思う。

私たちは自分が明日どうなるかも、きっと約束できないはずだ。物事はすべてが不可逆的であり、一度きりで、そして一事が変われば万事が変わる、そんなところに産み落とされたと思うから。

だから、セクシャルマイノリティの人たちが晒されてきた「違いへの差別」を、私は根本から間違ってると断言できます。
『異性愛者であるべきなのに同性愛者として生まれてきた』人なんて、一人もいないのですから。
あなたは人を愛しただけです。彼や彼女は、誰かに恋に落ちただけです。

明日がどうなるかは約束できないけど、これを読んでくれているあなたに私が約束できることは、あなたやわたしたちは誰かを愛してもいい心で生まれたということです。愛してもいいし、愛さなくてもいい心で生まれたということです。

セックスをしたい愛でも、髪の毛に触れてみたい愛でも、空想の愛でも、自分を好きでも、過去への思慕も、そう感じていい心をもって、他の身体や名前やその他ぜんぶを奪われても、あなたの中にありつづける心をもって、あなたがいなくなった後にも誰かや何かにそっと宿る心をもって、生まれてきたのだから。

どんなわからず屋があなたの目をくらませようとしても、好きでいるあなたが好き。
わたしもずっと、好きでいたいです。

どうぞ素敵な人生をお祝いしましょう。
今日も好きでいてくれてありがとうございます。


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