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人生の苦しみとは

こんばんは。

人生の苦しみを考える時に
第一の矢、第二の矢という考えがあります。

例えば、会社の上司がプライベートで恋人や家族と喧嘩をして不機嫌な状態だとします。その上司に挨拶をした際に無視された場合、その無視された行為自体が第一の矢として被矢します。また、無視された原因を自己にて判断しようとし、何か悪いことをしたのかと考えを巡らせたり、嫌われたのかと考えたり、いろんな良きせぬことを考えてしまうことで苦しむ被矢を第二の矢と考えます。

そもそも第一の矢は、行動した際の結果としてあるもので、たまたまiPodを耳にしていて聴こえていなかっただけかもしれないのに無視されたと考えてしまっていることが背景にあります。第一の矢を被矢したと感じることはあると思います。

第二の矢に関しては、無駄に考えを巡らせてしまっており、第一の矢の解釈からさらに飛躍して感じてしまっており、無駄な苦しみだなと感じます。第一の矢も第二の矢も、主観的に考えたところで他人の感情など自分がいくら考えたところで不変的なものであるから考えるだけ時間が勿体無いと思います。

これの対策として第一の矢で止めることが大事です。つまり第一の矢から第ニの矢で深く刺さないことが大切になってきます。第一の矢を被矢することはどうしようもない時が多いです。

そんな感じで自分中心に物事を考えるよりも、自分を無くして考えることが大切です。自分という存在が強すぎると第二の矢を被矢してしまうことがあるため、自分の存在を考えすぎないほうが良いです。

本日も最後までお読みになっていただきありがとうございます。
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Tomo

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