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ぼっち在宅介護 思わぬところでたまたま実験が行われて、ちょっと嬉しかった話

⚠️長いです。認知症とか認知力のお話です。
ご興味ない方はスルーしてください。


先週、父に掘り立てのじゃがいもを見せた。

父は、嬉しそうな顔をして手を伸ばしてきたので、一番大きなじゃがいもを手渡したら、、、そのまま口へ…

ぇえ?

「ちょいちょいちょいちょい、生やから、土ついてるし、蒸してから食べようや」

あ、そうなんか。
と言った顔をして、父はすっとじゃがいもを返してくれた。


ぇ…

😨やばいかも?

いよいよ次のステージ。認知症かなぁ…

と、ちらっと思ったりしながらも、
父のパジャマや布団に散らばった土に掃除機をかけてみた。

「土はらうよー」

全然、パニックになった様子もなく、落ち着いて掃除機をあてさせてくれた。

???

認知力ある感じがする。


その後も、

「入れ歯洗っとこうか、あした歯医者さんの日だよ」

と言うと、すんなり入れ歯を外させてくれた。


。。。。。

なんだか、認知力がない感じとはちがうなぁ…
(血管性認知症、マダラ認知症の母と対峙していた時はこんな風ではなかったのだ)


で、主人に意見を聞いてみたところ…

「認知症ってさ、どうが認知症なんかはっきりわからんけど…シンプルにわからないところとわかるところがあるだけじゃないのかな?サツマイモかなんかと勘違いしたんじゃない?」


たしかに…

するどいかも。

認知症か認知力の低下かいろいろ思うところはあるけれど…

そもそも、認知症って、ヤバいヤバい…と思わないとあかんのか?と言う問題もあるし。
(とは言え、母の時は大変だったのを私も主人も体験済みで、軽々しく言えないことなのだが…)

症として、病気?ぽく捉えるのと、
力の低下として、普通の老化に捉えるのと、
捉える側の態度にも違いが出てしまうんではないか問題と。

はたまた、捉える側があたふたしたことにより、本人が動揺して懐疑な気持ちをさらに募らせてしまっていろいろと言う問題とか…

心理的不調のある時に、たまたまうまく表現できなかった問題とか…

そもそも…問題と捉える私に問題があるとか…
(いやいや、問題だよぉ…と言う自分もいるし、何が正解かはわからない)


話、ズレました、スミマセン…

よくよく考えたら…
高齢化すると目も悪くなってくる。
たしか…父に緑内障があった記憶もあるので(今は放置してます)色味も私と同じには見えないかもしんない。

「目、最近、見えてる?見にくいとかない?」

父、首を振る。

見えるのか…ほんとかなぁ…

と、その日はそのままに。


母の認知症。
血管性認知症はマダラなので、なかなか大変な騒ぎっぷりだった。おかしいとおかしくないが混在していて、こちらも混乱、母自身も混乱していたと思う。混乱と混乱が騒ぎあうので、大混乱だった。

やはり娘としては、父も…となると、気にはなるわけで。

母の場合、、、
他人さまのお宅から花泥棒してきたり…
肉じゃがに塩鮭を投入して一緒に温めたり…
トースターにラップのお茶碗、電子レンジにアルミ箔…
お茶っ葉と間違えて急須に昆布が入っていたり…
もちろん、粗相もあった…とんでもない粗相だった。
下着だけをつけて死んだふりの日もあったり…本当に大混乱していたんだと思う。



ふと、父もなったらどうしよう?と思うのだ。
ま、外に迷惑かけることはないけれど。気分が混乱すると、こちらのメンタルがしんどくなるはず。

これまで意外にもやれてきたのは、父は父なりにこちらの求めに答えられる力が残ってくれているからだ。
今でも体位変換は協力してくれている。

私の介護人体実験は、、、
母と父は、何がこんなにまで違うのか?と言うところを掘り下げたいのだと気づいた!
日常暮らしの中で、自宅でしかわからない理由がたぶんそこにある!と思うからだ。

口腔ケアとか
食事習慣とか
持病とか
性格、過去による人格形成とか

いろいろ原因はあるんだろうけど…
人生の半世紀以上、共に暮らし、同じ食べ物を食べ、同じ環境で寝て暮らしていて、、、
そないに違いが出るならば、やっぱり遺伝か?
とかも思うわけで。
何かがはっきり解明できるとは思わないが…
死ぬまで自分で考えて生きると言うことのヒントが父のどこかに落ちていないか?と日々思う。
『在宅介護』と言う名の探索と実験を続けられるのはそこに尽きる。


えらい病院の先生にしろ
素敵な施設にしろ
優秀な看護師さんやケアスタッフさんにしろ

24時間、生活を見れているはずがない。
やっぱり、時間で言えば、私の方がチラチラずっと見ているわけだから、何かに気づく確率は高いはずではないか?と思うのだ。


また、線路を間違えた…ガタン🚃
話がそれてすいません。長い…


で、思わぬ実験。
身体リハビリの先生が来られた。
いつもの先生はお休みで、以前一度来てくださった先生である。

謎に、父は1日でその先生が気に入り、変更をお願いしてみたりしたことがあったが、他の利用者さんの都合で叶わず。
久々にあって、見た目では分からなかったようだが、会話をしながらわかったかなぁ?と言う感じ。マッサージをしていただき、あまりの気持ち良さに父は半分寝てしまっていた。

でも、いろんな問いかけには答えていたそうで…

「お肌きれいですね。爪もきれいに切られて」
と先生は私に言った。

「お肌は、月水金の看護師さんのケアだけなんで。何にもしてないです。爪は切りましたけどたまたまですよ。普段は伸びっぱなしです(笑)」と私は答えた。

「そうなんですね。先程、Fさん、娘さんに爪は切ってもらったって教えてくださったんですよ。」

「はあ⁉️そんなこと答えたんですか?」

「はい。『爪、きれいに切ってもらってますね?看護師さんですか?』と聞いたら、首を振られて。『娘さんですか?』と聞いたら、うなずかれて、教えてくださいましたよ。」

「ぇえ〜!!!」

爪切りは、じゃがいも事件の日のことである。

短期記憶がしっかりしている…
しかも、ふんふんと話をあわせてるわけではなく、違うものは違うといい、あってるものを正しく答えているのだ…

すげ〜…

とても冷静に判断ができていて、スムーズに記憶を出してきた印象だ。
やっぱりわかってるじゃん。

本来ならば、普段会わない先生だ。
リラックスできるかと難しい場合もある。
が、寝ちゃいそうになるくらいリラックスできて、質問されても得意なスルーをしなかった。

これが
思わぬところで思わぬ実験が行われてて思わぬ結果が出た話である。

これは…

まだ父に認知力が残っていると言うことだろうと思う。
まだ、自分らしく考えながら生きれていると言うことじゃないかと思う。

私はこれまで、そう思ってきた。
でも、それは、私のえこひいきでそう思っていたかったのだと思う。
父が頑張っているから、そう思ってあげたい気持ちもあったと思う。

でも、今回のこれはちょっと違う気がする。
会うのが2回目の先生に、しれっと聞かれて、しれっと正解を答えられるなんて、そこまでとは思わなかった。

ちょっと感動した。。。


じゃがいもは、主人の言うように、緑内障かなんかでサツマイモに見え、イモに聞こえたのかなぁとおもう。
ザラザラする土の感覚は、指先の感覚が鈍ってたからわからなかったのかもしれない。


父にとって、
私は、毎日安心安全な食べ物を運んでくるヤツだから、
「出してきたらそりゃ食べるだろ!」
と言われたら、あ、そうか…である。


私だって、今日、電子レンジにコップを入れようとして冷蔵庫を開けた。

勘違いは、誰にでもある。
高齢者でも若者でも子供でも
病気が特にない人も病気の人も
障害があっても障害がなくても
いろんな人にある。

たった一回の認知症テストの結果とか
たった一回の勘違いを
大騒ぎされたら、
心理的に不安が勝って、
認知力は下降することもあるかもしれない。

それを連日連夜、「しっかりしてよ!」などとキツく言ったら脳も萎縮してしまうことがあるかもしれない。

私は、母にそういう態度を取ってたかも?と思いだした…
心配だったのだ。もっと悪くなるんじゃないか?と、早く引き戻さなきゃと。必死だった。

けど、今は、それが悪化させはしなかったか…と心配にはなった。
母と私は離れてよかったかもしれない、と思った。

「そっか、お母さんには、今日はそう見えるのかぁ。」

と軽く受けて流してあげてたら、ちょっとは違ったかなぁ…と今日は思う。
明日はわからない。


が、こちとら人間だ。
で、娘だ。
同性の母娘だ。

騒ぎまくる親を前に、そこまでの了見はない。

向こうも母としてのプライドがあるから、偉そうに娘に怒られる言われはない。

そりゃ、火はつく、騒ぎになる。
ここが高齢者認知症の難しいところだよなぁ…。


で、父だ。
そうなのだ。
騒ぎまくるとか、騒ぎを起こすとか、ない…
そこがまず違うのだ。

なんでなんだろう…

まだまだ実験は続くのである。

父の寿命の続く限りだ。
命ある間に、ヒントはいくつ降りてくるのだろうか。。。


追記)
今日は、採れたてのブルーベリーを見せてみた。

「洗ってきたから、食べてもいいよ」と渡したら、手を引っこめて口をあーんとあけた。。。

聞き間違いがないようにか、こっちに行動させたのだ…

なかなかやるなオヌシ…

こんなじーさんの結果、どうでしょうか?

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