ぼっち在宅介護 じゃない方の遠くの友達の話
コロナ前から所在が変わった私は、介護離職ならぬ、介護離友になった。あまりもともと友人はいない。数少ない友人は歳下さんかすんごいお姉様方だった。
介護のはじまりは、
「あれ?なんかおかしくない?」と家族が気づく頃には、そこそこな事態が起こっていて、立て続けに災害が来るようなてんてこまいに巻き込まれてゆく。
で、必ずしも友人たちの親御さん達が、自分の親と同世代ではないので、、、
話したところで、「大変だねぇ、なんでそんなことに…」としか返せない空気を作り出す。
だんだんいたたまれなくなって、会わない、連絡しないでいたら、コロナが出てきて…
で、実家界隈に移ってみると、身近な友人という人たちは、まぁ連絡しなくても大丈夫だったりして…あ、そんなもんかなぁという感じで過ごしてきた。
ただ、友人の中には特別な人たちもわずかにいて。お互い「特別な友人だねー」なんて確認しあうような距離感でもない人たちだったけど、なぜか大切に感じていた人たちだった。
そして、その人たちとは、SNSとかで繋がるわけでなく、アナログにメールとかハガキとか宅急便なんかで季節をやりとりしていたんだけど。ここ数日、連絡を取り合うことがあった。
私は、3冊の料理の写真集を作ったことがある。この世にその写真集は3セットしかない。
一つは、私たち夫婦の手元に。
一つは、料理人の友人に。
一つは、若い料理人の友人に。
たまたま、ふらっと入った小さなイタリアン食堂(タベルナ)が、びっくりするくらい美味しくて、美しくて。一瞬でトリコになった私たちは、それから毎週末、その店でランチを食べ続けることになった。
ちょっと照れ屋な青年とちょっと人見知りというか、苦手な人があるオーナーとの二人が、店を営んでいた。
私は、あまりに幸せな味のランチが嬉しくて、「写真を撮ってもいいか」確認をした。
オッケーだった。
その日から、私は誰に見せるでもないその店のご飯をただただ撮り続けた。
当時、飲食店紹介サイトとかで、あーだこーだ勝手をいう人たちが出はじめていて、たいそう嫌な思いを重ねていた二人だったけど、若い青年が私たちはちょっと違うと思ったらしく、オーナーを説得してくれていたらしい。
主人は、「何に使うの?」と言いながら、被写体になってくれたりしていた。
私たちは、そこで、野菜の美味しさを知った。
知らなかったわけではないけれど、
本当に美味しい料理は、人を幸せにすると言うことを教えてもらった。
どんどん写真は増えていって、パソコンの中で、美味しいがいっぱいになっていった。
でも、ある時、そのお店とのお別れがやってきた。オーナーは無理をしていた。私たちに幸せを腹一杯食べさせるために頑張りすぎていた。
で、終わりがきた。
若い青年が一足先に旅立つことが決まり、私たち夫婦は、何ができるか考えまくって…
自己満かもしれないけれど、私たちを幸せにしてくれた料理の数々を本にまとめて渡すことにした。
気分を害しないか気が気じゃなかった。
けど、この美しさは、とにかく感謝と共に伝えずにはおれなかったから、「形にしよう!」と作って渡してみた。
すると、青年は、後ろを向いてしまって…
あ、まずかったかなぁ…と思っていたら
泣きながら
「ありがとうございます!」と笑ってくれた。
オーナーもつられて泣きながら喜んでくれた。
ずっと皆が喜ぶ価格で美味しさを届けることに頑張ってきて…
全く自分たちの料理を写真に撮る暇がなかったそう。
「何にも手元に残ってなかったから嬉しい」
「ずっと見ていてくれた人がいたんだ」
「まちがってなかったね」
と、こっちまで泣けてきちゃうような言葉をくれた。
ちょっとぶきっちょな彼らに、いろいろ言う人がいたらしい。写真ばかり撮って熱々をたべない人もいたらしい。
私たちが初めて行った日、またそういう人たちが来たかも…とオーナーは勘ぐったそうだ。
後日談、彼らが次のステップに進む時、この写真集はポートフォリオとして使われたそうだ。
(よかった〜)
「これまで私たちの料理にこんな風に向き合ってくれたお客さんはいなかった」と言ってくれた。
で、たまーに、やり取りをしながら4人は、なんとなく友人になっていった。
そして、何年の月日が経っただろうか。
若い青年は、新たな店を持った。
あの時のあの味を提供できる店を開いたのだ!
おめでとう!
遠い、彼が生まれた土地の近くで、
「あの味、あの経験を元に、人生と向き合っていく」と、連絡をくれた。
そして、
元オーナーは、今二つの仕事をしながら、新しいステージを計画している。
二つの仕事を掛け持ちしていても、人生の休憩中という。あのお店の時のハードさを考えたら、全然余裕なんだそう。
私よりもちょっと歳上の人だ。
が、「まだまだこれからよ」と電話口から前よりも若々しい声が返ってきた。
私の歳なんて「若い若い」という。
そうか…
まだ若いんだなー。
とか思いながら、写真集を取り出してみた。
全く色褪せない。
美味しい幸せが蘇る。
ぁぁぁぁ、食べたい。
でも、新しい美味しいはちょっと遠い。
そして、私が食べたいのは、この本の中にあるのだ。
次に、美味しい幸せを感じる時は、
新しい美味しいなのだ。
決して、あの時のあの味には戻れない。
けれど、新しい味は待ってくれている。
私も新しい私をまた見つける日が来るかなぁ。
素敵な友人は、ちょっと遠くて、ちょっと心に敷居があるんだけれど、ちゃんと人としての気持ちよさとか、人の良さがあって。
連絡の頻度とか
今何をしてるとか
何を持ってるとか
全然そんなのが関係ない距離にいて。
いっぱい悩んだり苦しんだり、笑ったり泣いたり、言葉が足りなくても、全然大丈夫だったりするなぁ…
と、久々に電話をして思った。
私もいくつになっても彼らのように、ぶきっちょでも人生をじわじわっと重ねていきたいなぁと思った。
本当に素敵な料理なので、ちょっとだけ見てほしい。彼らは美味しいの天才なんだ!
うまそうでしょ?
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