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母さんの玉子焼き



昨年、母が82歳で他界した。
母は料理が上手だった。というよりも母の味が僕は好きだったのかもしれない。

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小学校の道徳授業の題材に『ブラッドレーの請求書』(お母さんの請求書)という話がある。

僕はこの話を、20年近く前にある人から聞いて、とても感動したのを覚えている。
そして、親の愛情というのは、見返りを求めない尽くし切る愛なのだと思った。

母の愛情といえば、母の作る料理が思い浮かぶ。

昔は家庭の味は、それぞれの家で違った。

しかし、今はスマホで検索し、レシピ通りに料理すれば、大体似たような味になる。また失敗することもあまりない。

僕も今は、その恩恵を受けている。

普段は妻が料理をするのだが、妻が仕事で帰りが遅くなる時は、夕飯は僕が作る。
また、子どものお弁当を作るときも偶にあるが、おかずは当然、冷凍食品ばかりだ。
せめて一品ぐらいは、手作りのおがずを作ろうと思い、スマホをガス台の横に置き、油がつくのを気にしながら、動画を見て玉子焼きを作るのである。

今はその玉子焼きも、随分と上達したと自画自賛している。

冷凍食品などあまりない時代に、この大変なお弁当作りを、母は毎朝作ってくれていたのだと思うと、少し胸が詰まった。

母親は大変である。そこには子どもには気がつかない母の愛情がある。

妻の作る玉子焼きも美味しいのだが、母の味には敵わない。

そして、僕が作る玉子焼きも妻の味には遠く及ばない。

ー了ー


このエッセイは、『倚門之望』② 親の心を探るから抜粋。補筆しています。

最後までお読み頂き、ありがとうございました🙇


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