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クロード・モネ最後の連作『睡蓮』

みなさんこんにちは。
本日はモネについての記事を書こうと思います。

言わずと知れた印象派の巨匠。
モネは生涯に数多くの連作を残していますが、その中でも彼の最後の大作なのが『睡蓮』。
いつかモネの連作睡蓮をこの目で見てみたいと思い、オランジュリー美術館に行ってきました。今回はその睡蓮について簡単にまとめられればと思います。

モネの睡蓮はどのようにして生まれたか

モネはフランスのノルマンディー出身ですが、パリでブータンという画家に出会います。彼は戸外での絵画制作に力を入れており、モネも戸外での絵画制作に打ち込みます。(当時、1850年代は屋外で絵画を作成することは主流ではなかったようです。)

1874年、第一回印象派展が行われます。そこに作品を出したモネの作品名は『印象ー日の出』。
モネは万国博覧会に出店されていた日本の浮世絵からも影響を受けており、浮世絵を思わすタッチを残す絵画の手法も取り入れています。
フランス人のアカデミー画家で絵画評論家のルイ・ルロワ(印象派画家とは違い、国立の美術学校を出ているエリート画家)はモネの日の出の作品を新聞でぼやけた作品で印象的(impressionism)であったと酷評しています。

印象派という言葉は最初は否定的且つ皮肉的表現として使われていましたが、印象派画家たちは自分たちの存在をフランス国内に広げるため印象派という言葉を取り入れて活動していきます。

当初、印象派の地位はかなり低いものでしたが、1880年代ごろにはアメリカで印象派人気が少しずつ高まっていきます。

モネの睡蓮は彼の最後の大作です。1924−26年に作成しており、作品を仕上げた当時、彼は85歳でした。

モネの睡蓮の連作は印象派画家が世界で認められ、画家としての地位が高くなってから作成されているものです。

モネの睡蓮プロジェクト
第一次世界大戦が終わりフランスがドイツに勝利した証としてモネが絵画をフランスに寄贈したいと申し出たことがきっかけにモネの睡蓮プロジェクトが始まります。

プロジェクトが始まった当時すでにかなりの高齢でさらに白内障を患っていたため、途中で作品を仕上げるのを諦めたそうですが、友人のクレマンソー(フランスの首相でモネの友人)に何度も励まされ、目の手術を経てモネの最後の力を振り絞りついに作品を仕上げます。

睡蓮の間

オランジュリー美術館にはモネの睡蓮の間が2部屋用意されていました。
下の作品は私が実際に撮影した写真になります。

睡蓮の間は頭の先からつま先までどっぷりとモネに浸ることができる空間でした。


横から見てもこの迫力。そして何よりも色調にうっとり。


雲を反射している晴れの日の池。季節や時間帯を想像しながら鑑賞するのもとても楽しいです。

オランジュリー美術館はとても面白い構造になっています。
天井から自然光が入るよう楕円の窓が設置されています。つまり、時間帯や天候により光の当たり具合が変わるため行くたびに作品の変化を楽しむことができる仕組みになっています。モネの指示により、作品には保護ガラスも付いていないためガラスが光を反射する、ということもありません。

毎日通ったとしても毎回色の変化を感じることができるかも知れませんね。

モネについてもっと知るには

モネの睡蓮いかがでしたでしょうか。
さいごに参考までにですが、私が好きなモネにまつわる本をご紹介できればと思います。

『ジヴェルニーの食卓』原田マハ著

印象派画家に関わった人々の視線で語られる短編集です。
フィクションですがモネの義理の娘(モネのパトロンだったオシュデ夫妻の娘)の視点から紡がれるモネの後期の物語です。こちらの作品は
睡蓮の連作も話の中心に入ってきます。オランジュリー所蔵のモネの睡蓮が表紙を飾っています。

『モネのあしあと』原田マハ著

私がモネに会いに行こうと思うきっかけになった本です。
モネの作品ガイドと言っても過言ではないと思っています。ゴッホのあしあとという本も出版されており、そちらもおすすめです。

『IMPRESSIONISM』RALPH SKEA

こちらの本は文字通り印象派の解説本で、フランスの印象派が印象派と呼ばれる前の段階から、印象派後期まで作品を紹介しながら解説してくれるタイプの本です。印象派絵画の変遷以外にもオーストラリアやアメリカの印象派作品まで紹介してくれており、かなり内容が充実した1冊になります。

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