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希死念慮と強い怒り

希死念慮
ー死にたいと願うこと。
[補説]自殺願望同義ともされるが、疾病人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。

私が希死念慮を感じるとき、それは常に強い怒りがそばにいるような気がする。

私はいつも何かに怒っている。

誰かの視線、誰かの言葉、誰かの叱責、誰かの行動。

誰に対して一番怒っているかと言われれば、それは自分に対してだ。

私は、いつも怒っている。
――私に対して。

なんでこんなこともできないのか、なんで優しくできないのか、どうしてニコニコできないのか、明るくなれないのか。

そんなことばかり考えて、ニコニコして優しくて、なんでもできるような自分に擬態しては、

完璧に取り繕うことなんて不可能で、気が付けばすぐに何かに引っ掛けて破れてしまう。

滅びた瞬間、本物の自分がほんの少しでも見えてしまったら”それ”は現れる。

破れた部分、本物の私が見えたその隙間から、希死念慮は薄い膜の形をして、ゆっくりと出てきて私を包み込む。

私にとって、ありのままの自分は醜い化け物みたいなものだ。

それが見られた瞬間に、私は生きていられなくなる。

ーー見られた。見られたぞ。
お前の痴態を、お前の醜さを。お前の汚さを。お前の至らなさを。
ほら、嫌われる、ほら、嫌われるぞ。
できないことだらけのお前なんて、誰も愛してはくれないんだから。

黒く染まった言葉たちが薄く私の周りに膜を張って、私は希死念慮に包まれていく。

私は死にたいわけじゃない。

でも、たぶん、

私が生きていない世界の方が、きっと幸せなんじゃなかと思ってしまう。

だから、私は死にたいんじゃない。

ただ、ただ、消えてしまいたいだけなんだ。

膜が張って、私は繭のようになって、このまま息が止まってしまえばどれだけ楽なんだろうと、嘆いて、嘆いたまま朝を迎えて。

そうしてまた綻びを無理やり縫い付けて「普通」を纏って私は出かけていく。

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