希死念慮と強い怒り
私が希死念慮を感じるとき、それは常に強い怒りがそばにいるような気がする。
私はいつも何かに怒っている。
誰かの視線、誰かの言葉、誰かの叱責、誰かの行動。
誰に対して一番怒っているかと言われれば、それは自分に対してだ。
私は、いつも怒っている。
――私に対して。
なんでこんなこともできないのか、なんで優しくできないのか、どうしてニコニコできないのか、明るくなれないのか。
そんなことばかり考えて、ニコニコして優しくて、なんでもできるような自分に擬態しては、
完璧に取り繕うことなんて不可能で、気が付けばすぐに何かに引っ掛けて破れてしまう。
滅びた瞬間、本物の自分がほんの少しでも見えてしまったら”それ”は現れる。
破れた部分、本物の私が見えたその隙間から、希死念慮は薄い膜の形をして、ゆっくりと出てきて私を包み込む。
私にとって、ありのままの自分は醜い化け物みたいなものだ。
それが見られた瞬間に、私は生きていられなくなる。
ーー見られた。見られたぞ。
お前の痴態を、お前の醜さを。お前の汚さを。お前の至らなさを。
ほら、嫌われる、ほら、嫌われるぞ。
できないことだらけのお前なんて、誰も愛してはくれないんだから。
黒く染まった言葉たちが薄く私の周りに膜を張って、私は希死念慮に包まれていく。
私は死にたいわけじゃない。
でも、たぶん、
私が生きていない世界の方が、きっと幸せなんじゃなかと思ってしまう。
だから、私は死にたいんじゃない。
ただ、ただ、消えてしまいたいだけなんだ。
膜が張って、私は繭のようになって、このまま息が止まってしまえばどれだけ楽なんだろうと、嘆いて、嘆いたまま朝を迎えて。
そうしてまた綻びを無理やり縫い付けて「普通」を纏って私は出かけていく。
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