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寅さん映画の想い出

戦後、テレビの放送が始まり、映画は斜陽産業という言葉が生まれたが、わたしの子供時分の1970年代前後は、高度経済成長の恩恵の真っ只中で、まだまだ映画は捨てたものではなかった。

70年代後半あたりかな、私の高校・短大時代の想い出に松竹映画の「男はつらいよ」フーテンの寅さんがある。確か当時は、お盆とお正月に毎年新作が上映されていた。

1981年、学校の人間関係・コミュニケーションでつまずいて、1年と11ヶ月を学んだ短大を自分は中退した。そうした頃に観た映画が「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」1982年8月7日公開 第29作だった。

毎回ゲスト出演として迎えられる、寅さんの相手役女性になる「マドンナ」は、この回は歌手のいしだあゆみさんであった。歌謡曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」のヒットで知られる。

著名な陶芸家の家でお手伝いさんをする薄幸の女性(いしだあゆみさん)と知り合った寅さんだが、それまでのコミカルな寅次郎映画のストーリーとは一味変わって、本作はシリアスな展開を見せる。

鎌倉成就院の紫陽花の坂道の映像が今もわたしの脳裏には記憶に残っている。寅さんとマドンナがデートした場所だ!。京都・丹後のマドンナの実家まで追いかけていった寅さんが、なんとあろうことか!宿泊をしたその夜、あわや男女の一線を越えるのか?とびっくりするような場面に\(^_^)/

寅さんの相手を思いやる気持ちが画面に流れて、印象的な映画でした。

映画のラストのオチも良かった(笑)人間国宝並に凄い人の陶芸作品とは知らずにとら屋の面々が、寅さんが貰ってきた茶碗を灰皿にしたりどこかへ紛失したりで、大騒ぎ、なんだこんなモンが!と大笑いするところが秀逸でした。

なにか人生の機微を見つめることが出来た気持ちがする青春の映画でした。
映画って良いなぁ~ (^^ゞ

葛飾柴又の寅さんの像と、わたし

追伸:
わたしの通っていた大学は、JRの大船にあった。松竹大船撮影所がかつてあったところだ!。寅さんの映画は当時そこで撮影されていた。大船駅から陸の方を見ると白いお姿の大船観音が見える。昭和2年の観音像建設の企画から戦争を挟んで30年の時を経て、私が生まれた頃に完成をみた仏様であるという。

大正12年の関東大震災とその後の戦争と敗戦と復興。人々の苦境を観ていらした観音様は、人間の心根(こころの音)をご覧になるのだという。辛い時もいつもそこにいて観ていてくれる、知っていてくれる仏様だそうだ。
なにか救われるような想いがした。

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#映画にまつわる思い出



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