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「100人の壁」と未開社会

なんか面白いことを思い付いた気がする。

100人の壁

ビジネスの世界で「100人の壁」というと良く知られてますが、社員が100人を超えると劇的に多くの問題が発生し、それ以上の規模になることが難しい、というものです。ネット上で「100人の壁」で検索すれば、たちどころにたくさんの記事が出てきますし、僕自身や僕の周囲の人々も、肌感でそういう傾向は感じています。

論者によってばらつきはあるようですが、その問題とはたとえば次のようなものです。

  • 社内コミュニケーションが煩雑になる。

  • 縦割り組織の弊害が発生する。いわゆる横連携ができない。

ここで面白いのは、業績の善し悪しに関わらず、というよりも、業績が良くてもこのような問題が発生することです。当然、従業員満足度も低下します。

中小企業では今でも、「ブランディングはうちみたいな小さなところには不要」と思われることも多いようです。しかしブランディング、特にインターナルブランディング(社内向けのブランディング)と言われる取り組みは、中小企業でもだいたいこれくらいの規模になると、次第に必要性が感じられてくるようです。

未開社会の「100人の壁」

ここでいう「未開」とは、「権力を持った近代的な中央政府がない」という程度の意味です。狩猟採集民の社会とか、焼き畑農業や遊牧などで世帯単位で自立生計を行っている人々の社会です。
これらも、実はほとんどが数十人規模で、100人を超えることは珍しいと言われています。まれに5~600人くらいになることもありますが、もうそうなると共同体内部のストレスが限界に達し、分裂してしまいます。
この事実はわりとよく知られています。

こういう社会では構成員は平等で、長老のような存在でも他の構成員に対して強制力をもちません。構成員の自由度や自主性がとても高いという点では、現代の多くの会社組織よりたぶん幸せです。

また、世帯単位の自立生計とはいえ、狩りなどの共同作業では、獲物は住民全員に分配されますし、働き手が少なく困っている世帯などには、他の世帯が食べ物を分けてくれます。
裏を返せば、人より頑張ってたくさん獲物を取ったり畑仕事に精を出したりしても、余剰分は他の住民に分配されてしまうので、頑張る動機があんまりありません。

しかも狩猟採集民の場合、その1日だけ、もしくはせいぜい2、3日食べられるだけの収穫を得ると、みんな満足してしまいます。狩りに出た次の日は何もしなかったりします。あくなき富の追求という、現代人の精神は彼らにはありません。

そんなわけで未開社会は、構造的に生産性が低いと言えます。何かきっかけがないと、未来永劫そんな状態にとどまります。実際、アメリカ、アフリカ、太平洋諸島などのそんな社会は、ヨーロッパ人が入植してくるまでそんな状態だったところがたくさんあります。

この段階を超えるのは、首長と臣下という上下関係が定着した時のようです(たとえばサーリンズの『石器時代の経済学』[1984]法政大学出版局。この本はとても面白いですがちょっと難しいです)。ここで首長とは、前述の長老とは違って、臣下に命令できる人です。臣下の意思がどうであろうと自分の意思を押し付けられる、強い権力をもつ人です。

ともあれ、未開社会で生産性を高めたり、産業や文化を発展させたりしようとするには、そして100人以上規模の共同体を安定的に運営するには、「みんなで頑張ろう」というのでは全然だめで、それまでとは異なった、何らかのシステムが必要になるようです。

示唆

どうも「100人の壁」というのは、企業を始めとする現代の組織だけでなく、人間にとってもっと普遍的な意味をもつのかもしれません。
そうなりますと、文化人類学の知見を現代の組織運営に活用できる範囲が広がりそうな予感がしてきます。

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