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母は子供を楽しませる天才だったのかもしれない。

最近、長男が

ばぁばに会いたい!!!
北海道に行きたい!!!

とギャン泣きを始める。

毎日、本人が眠い時など、機嫌が悪くなりそうなタイミングでそう言い始め、私の手を引っ張り続ける。

最近次男が体調不良で機嫌が悪く、おっぱいを咥えて離さないため、長男が騒ぎ出すと私もげんなりしてしまう。

毎日私の母を想い続け泣く息子を見ると、それほど魅力的なばぁばから産まれてこれて良かったですわ、とも思える。

とはいえ、うちの父は出不精、母は倹約家なので、幼少期これと行って遠出をしたり、家族で旅行をした記憶がなく、親に対して”もっとなにか提供してくれてもよかったのでは”という、ネガティブな想いも少々あった。

父の勤め先の社員旅行で行ったハワイと、これまた父の単身赴任先の東京に行ってディズニーランドに一度行かせてもらったくらいで(それで充分なのかもしれないが)

毎年の夏休みも冬休みも、
やることは墓参りと親戚の集まりくらいで、遊園地に行ったりなどした記憶もなく、特段毎年楽しませてもらったという記憶もない。

これは兄も姉も同感らしく、
本当に小さい頃どこにも連れて行ってもらわなかったね、という話に度々なる。

でも自分に子供が産まれてわかったことがある。

(父は相も変わらず出不精だが)
母は、生活で使うすべてのものをおもちゃに変え、子供目線で一緒に遊びを楽しめる人だったことに気づいた。

敷布団は[のりまき〜]と言いながら、3歳の長男をぐるぐる巻きにし笑いを誘い、シーツは[テント〜]と言いながら、孫と一緒にかぶってふんわりとした真っ白なテント空間を楽しんでいた。

バスタオルは[電車です〜乗ってください]と言いながら、床の上に敷き、その上に孫を座らせ、端っこを引っ張って家中を走り回る。

キッチン用品は大概打楽器に化け、
捨てる予定のダンボールはあえてたくさん組み立て、天井近くまでたくさん積み上げ、

[倒れるぞーーー!!!]

と叫んだと思えば、わざと孫がいる方向にダンボールタワーを倒して大騒ぎをする。


母の手にかかると、子供たちがギャーギャー騒ぎながらはしゃいでいる。

母考案の遊びは知的好奇心をくすぐる工夫があり、母も一緒に精一杯遊んでくれる上、あまり怒らない母は、やんちゃな息子にとってとっても良い遊びお友達になるようだった。

両親はたしかに、私たちが小さい頃はどこにも連れていってはくれなかったかもしれない。

でもきっと、孫たちを楽しませてくれるように、私たちのことも目の前のもので楽しませてくれていたのだと思う。

この、”親がどこにも遊びに連れて行ってくれない問題”は、子供だった当時は深刻な問題だったものの、

大人になると
“親は目の前のことで楽しませる工夫をしてくれていたらしいという理解”に変化していった。

それに気づかせてくれた息子は
すでに私に親孝行をしているのかもしれない。

ありがとう、息子。

ありがとう、母。
(でも幼少期はとても退屈してました。笑)

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