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【全動画レビュー付き!】井手正和 @IDEmRes が「都会の純粋な子供」に綺麗事を並べ立てて発達障害者を自慰玩具にさせるのをまたも絶望して眺める回【改題】

友人からの一通のラインから最悪な土曜日は始まる…。

参加高校を見るとそうそうたるメンバーだ。まさにこれからの日本をしょって立つ人材たちと言っていい。そんな小綺麗なおガキ様が「発達障害とともに歩める社会をつくる」という抱腹絶倒なテーマにとりくんで発達障害者にインタビューをしてそれぞれ小綺麗なおガキ様が思い描くユートピアを発表して、それでこの世がとても美しく、自分がどれだけ恵まれていたのかを再確認して、これを手土産にAO入試などで上位大学に進学していくのだ。

はっきり言ってこれは残酷な見世物小屋である。僕ら発達障害者はピエロの化粧をさせられ、ブロイラーのように加工場に運ばれて分解されて、適当な支援策を貼り付けてあとは放置されるのだ。何故かは簡単で、発達障害者と共に歩む社会の答えなんてないからだ。あるとしたら障害年金の増額である。同情するなら金をくれ。

もっと精緻に議論してみよう。発達障害者という言葉は極めて粗雑で乱暴な差別用語だ。最新の分類基準のDSM-5では大分類として神経発達障害となりこれが全体を指すが、これには知的障害者も含まれるので、今回のテーマの文脈を読むと合致しない。

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日本で「発達障害」と気軽に言われるのはこの分類方ではコミュニケーション障害と自閉症スペクトラム(おそらく一番多い)、注意欠陥・多動性障害(その次に多いとおもわれる)、限局性学習障害、ほかの神経発達障害、以上になる。

この小綺麗なおガキ様が参加して経歴に金箔を張り付けるためだけの糞だらけのセレモニーを主催しているのが「国立障害者リハビリセンター研究所」の人間というところにこの国の混乱しきって破綻している発達障害者福祉政策の大問題の一端を垣間見ることができる。発達障害者を精神障害者という分類に突っ込むのは間違っている。といって知的障害者の療育手帳とも微妙に違うので、4種類めの手帳を新設して発行するべきだったが未だにそうはなっていない。そのせいで発達障害者の諸分類は混乱しきって、統計データはめちゃくちゃ、何かしらの問題意識を持っても正しい統計に出会うことばできないという「障害者ごちゃまぜ問題」に直面してしまう(就労率も婚姻率も職場定着率も正しく出てこない)。それを改善するどころか小綺麗なおガキ様を連れてきてインタビューだけで「発達障害者」(分類が存在しないので誰のことを指しているか残念ながらわからない)と共に生きる社会の解決策を見つけられるはずはない。

このように国立障害者リハビリセンター研究所という日本でもかなり権威あるであろう研究所の人間ですら、障害分類を間違って「発達障害者」という曖昧で意味不明な分類を使ってしまう。研究者としては欠格の部類だと思う。綺麗なおガキ様はそんなことわからないだろうが、「コミュニケーション障害と自閉症スペクトラム、注意欠陥・多動性障害、限局性学習障害、ほかの神経発達障害」は全て全く違う症状を現すのでこの4つを貫く解決策はあり得ない。風邪に皮膚薬を塗るようなものだ。いや、どちらかと言えば私の祖母が癌にもドクダミ茶が効くと言い張っていた、話の方が近い。これは借金玉を自閉症スペクトラムが見て真似しても仕方ないのと同じだ。借金玉はADHDで、ASDの特徴が現れない。身体障害者の問題解決は階段をスロープにすることだが、知的障害者の問題はスロープが増えても何も解決しないのと全く同じだ。問題が違うのに同じ回答を書き込んだら片方は0点だ。つまり最初から問題設定が間違っているので、答えは100点にならない。このテーマがおかしいのである。
井手正和がやったのなら、大問題だ。発達障害者についてなんら発言する資格のない者ということが明白になってしまった。井手正和!!今すぐ筆を折り田舎に帰れ!!デタラメな問題設定で高校生の推薦入試の種に発達障害者を利用するのはやめることだ!発達障害者という障害者はいない!!!DSM-5を100回読み直すことだ。ADHDとASDは、発達障害者だが「同じ発達障害者」では、決してない。それもわからないなら、もうお手上げだ。日本の障害者福祉はだめです。井手正和は就労移行支援施設に行ったことがあるのかすら疑問だ。就労移行支援施設を100カ所回る「就労移行支援施設お遍路の旅」に出ることをおすすめする。論語読みの論語知らずに陥ってしまっているらしい。日本の障害者福祉地に落ちた日本死ね。なんちゃって♡♡♡


【追記:最終選考会動画レビューで実際に高校生を滅多斬りv】

結論は「差別のない、障害も個性として生かせる社会」という凡庸なよくある綺麗事で特に面白みも独自性もないので0点。

具体策は簡単に作れる絵本アプリを開発してそれを自分の発達障害者たる子供の友達たちに見せるということで、少しはがんばって考えたようで3点(100点満点中)。小さな子供が問題意識をもって面白くもない絵本を読むとは限らない。おそらく1割にも満たないと考えられる。さらに発達障害児がそもそも疎外され友達を作れないようになる小学校以降については一切解決しないアイデアなので(年齢を重ねるほどそうなる)、まあ、うん、そんなもんだよね。最後に「一人一人の個性を認め合う社会をつくりませんか?」知らんがな。うーーーーーんww、3点!終わり。

のっけから「発達障害者の子供の中には多動という…」とADHDについての説明から入っているが、これは井手正和が問題設定を曖昧にしたせいで曖昧になってしまっているせいである。猛省するべきだ。

このチームはADHDの車道への飛び出しの阻止を問題意識にしたらしく、これはなかなか筋がいい。期待が高まる。

解決策の具体策は「センサーでシャボン玉が出てくるマシン」だそうだ。シャボン玉で実際にADHDの子供の何割が立ち止まるかまでは疑問で、まあ点数にすると甘めで30点くらいだ。実証実験はまだらしいが、しかしこういう一見荒唐無稽なアイデアは否定してはいけない。ちなみに知的障害者、発達障害者にとっての過去最高のイノベーションは「お薬のめたね」です。私も散々知的障害者を見てきましたが、お薬のめたねのおかげで服薬を成功させられた。最高のイノベーションなのでみなさんお薬のめたねをあがめ奉ってください!!!!!

このチームもADHDにフォーカスを当てている。これはADHDの問題解決が一番簡単だからだ。身体障害者の問題解決はバリアフリーだ。段差をなくしたら解決で、今やどの田舎の市役所にでもスロープはある。簡単な問題だけ解決していくのは悪いとまではいえないので、ADHDに偏るのは仕方ない。

しかし、フォーカスされている問題が小さすぎる。持ち物をなくさなくなる、確かにADHDは鍵をなくす、財布をなくす、スマホをなくす。これを正すのは容易ではない。しかし、これはADHDの社会での「生きづらさ」の割合からすると最下層といっていいだろう。うーん、10点。これはどちらかと言えば健常者に近いADHDにこそ受けると思う。

これは自閉症スペクトラムの「決まり事が変わってしまう」にフォーカスしているのでテーマ設定がよい。好印象。

ただ、これまでもそうだったが、枝先のような問題提起が多い。さすがにひよっこの子供達に「発達障害者が社会で健常者並みに生きていく」ようなガラガラポンなんてできなかったか。高偏差値高校に過剰過ぎる期待を寄せていたようだ。残念残念。

アプリの出来は微妙で、果たして本当にこれでパニックが防げるかは微妙な出来で、アプリとしてよりはLINEのアカウントとして実装したほうがいいと思う。ただこれは汎用性が高い気がするし、自閉症スペクトラム全体に転用可能な可能性を残しているので45点。

このチームは聴覚過敏にフォーカスしたらしい。聴覚過敏は障害の症状の中でも結構普遍性をもっている珍しいケースなので、目の付け所がとてもよい。ただ、聴覚過敏を解決したからといってただちにASDが健常者並みに生きれる訳では当然無いので、そこはご留意いただきたい。

イヤーマフを愛用するASDにとっての問題をイヤーマフを冷やすことで解決するという単純明快な提言である。これは純粋に健常者にも重要なアイデアではないだろうか。なんとケンウッドも協力するらしい。発展性を高く評価して55点。ただ障害者の解決という単体の意味ではちょっと弱すぎるためです。

このチームは発達障害者にとっての問題意識を自炊をさせることと設定したらしい。まず発達障害者の問題の最大問題は就労問題だと思っているので、自炊は5番目以降の問題だと思うが、自炊は確かにとても重要である。コンビニで食べたいものだけ買う、ファストフードばかり通ってしまう。自炊することが栄養素のバランスという生活の基礎に思いを至らせるまでの深謀遠慮だとすると素晴らしい。

自炊を手助けするレシピアプリが結果物だそうだ。わかりやすい作業動画、詳細な分量の説明、購入物との連携が売りだそうだ。ちょっと新規性がないので15点。

将来的にはネットスーパーと連携することで飛躍的に利用性を向上させるという大風呂敷を広げている。実現性に少し疑問符がつく。問題設定が極めてよかったため、内容が残念だ。

自閉症スペクトラムにフォーカスした問題意識に高評価。発達障害児の子育てにおいて子供のうろうろ歩きにおける外食いけない問題(お母さん落ち着けない問題)は大問題だ。いったいどんな解決策がでてくるんだ……?????

子供において座る意味、座る時間、座る達成感を可視化するのは重要だ。ここまではよい。

成果物はゲームアプリで、座っていることでゲームが成功し、また明記された残り時間で時間が確認できるというシステム。子供がどこまで興味関心を寄せるかが微妙だが、タブレット子育てが有効性を認められる時代なので将来性に35点。ちょっとターゲティングした先が小さすぎた。

学習障害にフォーカスを当てている。成果物はワークショップ。基本的にワークショップを多数行い、「教えることで」知識が増えて学習障害者が助かるという「性善論」である。参加者の善意に完全におもねっている以上効果は限定的であり、そもそもワークショップに参加してもいいと思う人は集団の中で比較的意識が高い人に限られることが明白である。これは絶望的な偽善的解決作だった。マイナス50点。お話になりません。つよく反省すること。

発達障害者全体の「協調運動」の下手さにフォーカスして問題解決を目指している。具体例を徒競走のリレー競争に求めている。成果物はAR眼鏡による動作補助である。

これはかなり全体的に転用可能な可能性が高いのですごい価値を秘めていると言っていい。どちらかと言えばこれは労働が目の前によこたわっている成人の発達障害者の方が求めていると思います。60点。

ここもADHDにフォーカスして忘れ物を解決するという目標設定。ここは散々言われてる(借金玉も繰り返し書いている)手垢のつきまくったネタなので食傷気味。ちょっとマイナス。

忘れ物メモをアプリに読み込ませてアプリで一元管理するというものである。一元管理された情報がプリンターから付箋に印刷され利用される。解決される問題の小ささに対して解決にかかるコストが高すぎるのでちょっと評価が高くない。一度書いた紙データを読み込み印刷するのは迂遠ではないか。10点。

このチームは療育施設の決定的な不足問題をフォーカスしている。療育施設が絶望的に不足している問題は東京都としての予算問題であるのでそれ自体は高校生に解決できない。なので問題解決の成果物として療育待機時期に利用できるSNSを作成した。

これは特に新味性がなく、あまりこれといった評価すべき点が多くない。また、数年の大きさで持続していくためには区役所の協力が必要なので、アイデア止まりである。10点。

文字の読みが苦手な発達障害者、いわゆるディスレクシアにフォーカスして、文字の大きさやフォントを読みやすいものに変更したいという問題意識を設定、文字を読み込んで読みやすくするためのアプリケーションを開発した。

文字が読みにくい、教科書に立ち向かえないという問題は識字障害にとって致命傷で、これを解消しないと知的障害がないのにも関わらず学習が著しく遅れてしまう。そうすると知的障害がないのに知的障害と同じ進学ルートに進まざるを得なくなる。この問題意識はよい。アプリにする必然性がちょっとよくわからないが、問題意識に30点。

感覚過敏の中でも触覚過敏にフォーカスを当てて、ハレの日にも参加できるように、特にウェディングドレスを着られない問題を解決するべきという問題意識を設定した。結婚式を触覚過敏から諦めるケースを無くすということにした。

触覚過敏の人専用のウェディングドレス雑誌を作成して問題を解決することにした。解決方法が簡便で大変わかりやすい。また、触覚過敏の人専用のウェディングプランの相談サービスも立ち上げたいとのことだ。ただ、最大の問題点を彼女達には見えていないのがとても残念だし「Impossible is Potential」とまで大風呂敷を広げた彼女たちに井手正和が伝えてない「不都合な真実」がある。

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「精神障害者の婚姻率の低さ」である。知的障害者は論じるまでもなく、精神障害者も健常者の約半分である。ウェディングドレス問題までたどり着く発達障害者の女性が「恵まれた女性」であることに気づけていれば、彼女たちは100点だったのだが、彼女たちは気づけなかった。気づいていたらその問題のあまりの大きさにぺちゃんこになっていただろう。だから仕方ない面はある。ただ、彼女たちのような育ちのいい高校生にはわからないだろうが、「Impossible is Potential」などということはない。障害は個性ではなく制約条件で、障害があると健常者と同じように生きられないのが「絶対的真実」なのである。

問題意識は「学校で質問したいのにできない」という問題になっている。これは特別、発達障害者の問題だとは聞いたことがないので、ちょっとメインテーマとずれてしまっていると思う。しかし全くないわけでもない。

成果物はクエスチョンマスターというものを作ることで質問の簡便化、教師の空き時間の可視化をするというものだ。

正直な話、先生に質問しやすくなるということで助かる発達障害者というのは極めて少ないと思われるが、健常者にもメリットの多い問題設定は悪くない。発達障害者単体での今回のイベントとしては評価は低く5点としよう。アイデアは悪くない。


【総評】

はっきり言って興ざめだ。全てゴミだ。

今回のテーマを振り返ろう。「発達障害と、共に歩める社会を作る」という大テーマだ。それ相応の大きな問題意識が設定されるだろうと期待も高かった。しかし問題設定は全て極めてミクロな問題に限られてしまい、どれも単体でも、全て合わせても、発達障害者が生きやすくなるような力は持たなかった。

ADHDに焦点を当てた発表が多いのも気になった。これは「解決しやすい問題を解決しよう」という問題の難易度による誘因であり、当然危惧できた問題である。ADHDの症状は、明白で、わかりやすい。身体障害者の対策が最初に進んでしまうのと同じで「声が大きくわかりやすい」問題が先に解決するのは当然といえば当然である。しかしそれではASDは全く生きやすくならない。ほとんどの高校生が「みんなが知れば解決する、素晴らしい社会がやってくる」というユートピア思想にかぶれていたのも残念だった。発達障害者の問題はそんな単純なものではなく、就労率の低さ、雇用の不安定さ、賃金の低さ、職場への定着率の低さが関係する社会そのものを対象とした大きな問題だからだ。ただこれはテーマ設定が悪く、悪いのは井手正和ほかの大人達である。高校生には手に余ることが明白な聞こえのいいテーマ設定をして、その内情は文化祭のカレーのようなおためごかしで終わり。これで高校生が「やったつもり詐欺」「わかってるつもり誤解」になってしまうのが一番のデメリットである。アプリを100個作っても発達障害者、特に自閉症スペクトラムの生きやすさは改善しない。これは就労、賃金、生活の独立という「政治の課題」なのだ。できもしないことをまるでできるかのように気軽に扱わせた井手正和は高校生達に謝罪するべきである。そして就労移行支援施設を共に回るべきである。いま、目の前にある発達障害者の問題が、こんな文化祭のカレーで拭えるようなレベルじゃないことが、肌感覚でわかるだろうからだ。井手正和に伝わったかな??無理だろうねww。

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