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『魔術の書』

☆mediopos-2487  2021.9.7

魔術は「思い」から生まれる

人は「思い」を現実化させるために
それを形や言葉に込めたり
さらにさまざまな存在たちを使って
願いを叶えようとしたりもする

現代の科学もまた
魔術を物質界に閉じた形で
因果関係をとらえ
そこでつくられた技術を使って
世界に働きかけようとする
(物質界以外の世界については
科学では説明がつかないと謙虚に表現されたり
極論では存在が否定されたりもするが)

人間は多くの場合
科学的な最小限の因果関係しか
理解できないから
それ以外の世界では
宗教の世界も含め
古代の呪術的な世界と
異なった生を送っているわけではない

異なっているのは
科学を信仰してそこで自足しようとするか
科学の対象領域以外の領域とともに
ダブルスタンダードで生きているかだ
(唯物論者でも寺社に詣ったり墓参りをしたりする)

今回ご紹介している
『魔術の書』に多彩に紹介されている魔術は
それぞれそれなりに面白いのだが
それはそれとして
重要なのはそれらの根底にある
「思い」の世界の現実化のためのプロセスが
どのような仕方でどのような技術を使って
行使されようとしているかに意識的であることだろう

「思い」はそのままでは現実化し難いから
(すべてが現実化してしまうと大変なことになる)
現実化するための方法が魔術として伝えられてきた
そのひとつが科学であることはすでにふれた

ときに魔術は黒魔術的なものに傾斜したり
魂をスポイルしたりもしてしまうので
そうした危険性を避けるための神秘学的なガイドとして
キプロスのヒーラーでもあった
ダスカロスのものから説明のための用語を引いておいた
これを参照すれば大まかな視点は理解できると思われる

ここでは物質世界を超えたものを扱っているため
霊的な説明がされているがだからといって
通常の科学的なあり方が否定されているわけではない
科学は物質世界にのみ適応可能だととらえているにすぎない

それはシュタイナーの神秘学も同様で
基本は認識の霊的世界への認識の拡張が基本となっている
(シュタイナーの用語をそのまま使わず
ダスカロスの使っている用語を使っているのは
シュタイナー用語では説明し難い部分が多くあるからだ)

まず世界は物質世界だけではなく
それ以外の世界とそこに存在しているものがあり
その対象に応じ「アチューンメント」(波長合せ)が必要になる
物質を対象とするときには物質を認識するレベルに
「エーテル」を対象とするためには「エーテル」のレベルに
感情を対象とするためには感情のレベルに
意識を合わせる必要があるということだ

「思い」(思考・感情・欲望は)は
「〝想念形態〟と呼ばれる「エレメンタル」をつくり出し、
「エレメンタル」は「固有の存在として生き続けることになる」
つまり「思う」ということだけで
それはある種のエネルギー体となるということだ
それが強ければ強いほど大きなエネルギー体となる
そしてそれは実体化して決して消えることはない

ネガティブな思いをだせばネガティブなエレメンタルをつくり
ポジティブな主をだせれポジティブなエレメンタルをつくる
そして同種の「思い」は集まって
さらに大きなエレメンタルへと成長していく

魔術の基本はこのエレメンタルである
これを制御して大きな力とし
それを使って世界に働きかけることも可能となる
(陰陽師が式神を打ったり飛ばしたりするのも
四大存在であるエレメンタルを使役する術である
このエレメンタルは思いではなく見えない霊存在のこと)
しかし多くはそういう魔術としてではなく
無秩序で無自覚なままにいろんなエレメンタルが
無数に生まれそれがさまざまに働きかけることになる

ある種の霊的磁場も
場所の持つ基本的な力に
そうしたエレメンタルが働きかけてできる
ある場所にゆくと特有な磁場ができているのは
そうした働きによっている
そして人がたくさん集まる場にいたりすると
その場の影響を受けてしまうことになる
(だから人はできるだけ群れないほうが安全である)

さて霊的法則(宇宙の法則)の基本は
与えたものが与えられるということだ
「思い」を出すだけでそれは原因となって
直接的間接的に時空を超えたりもしながら
やがてじぶんへと返ってくる

魔術を興味本位で見ない方がいいのは
それが原因となって
じぶんへと返ってくることになるからだ
(もちろん直接的な働きかけはいうまでもない)

科学はある程度物質世界のなかでの
直接的な因果関係のなかでオペレーションされているので
そのぶん見えるところでそれをとらえることも可能だが
見えないところでの因果関係は捉えがたい

たとえば無自覚な批判は魂を損なうというが
その批判という「思い」は対象への働きかけであるとともに
みずからの魂への反作用を伴っているからでもあり
結局のところ批判している相手と通じてしまうことにもなる
「人を呪わば穴二つ」ということである

■DK社(ディーケーシャ編
 池上俊一 (監修)・和田侑子・小林豊子・涌井希美 (翻訳)
 『魔術の書』
 (グラフィック社 2021/6)
■ダスカロス
 真理子 ランバート・ハラランボス ランバート (監修)/須々木光誦 (翻訳)
 『エソテリック・プラクティス―キリストが遺した瞑想法とエクササイズ』
 (ナチュラルスピリット  2003/12)

(『魔術の書』〜「第1章 古代のルーツ(先史時代から紀元400年ごろ)」より)

「魔術は、人類と同じくらい古くから存在している。古代の人々は、周囲の環境を認識し始めるとすぐに、そこには精霊が満ちており、その力を借りれば、自分たちも直接、あるいは、シャーマン(精霊の世界を行き来できると信じられていた)もしくは芸術を通じて周囲をコントロールできると考えるようになった。古代人が土偶をつくったり、洞窟の壁に動物の絵を描いたりしたのは、そうすることで魔法の力が手に入ると信じていたからだという。
 社会が発達するにつれ、人類が想像する精霊の世界にも上限関係や秩序が形成されていった。紀元前4000年ごろ、古代エジプト王国やメソポタミアの都市国家シュメールにおいて、神々は、統治者や神官、貴族らと同等の存在として扱われていた。文字の発明によって、こうした地域の公の宗教については、新石器時代の祖先たちのそれに比べてはるかに多くのことが分かっている。魔術に関してはさらに、よきにつけ、あしきにつけ詳細が明らかにされている。例えば、偶像の足を折ることで、さまよう霊や魔女を追い払った古代バビロニア人や、マルドゥク神をそそのかして敵を病気にした魔女などは、意図的な害意をもってそうしたのだとされる。また、家の中に邪気が入り込まないよう土偶を敷居の下に埋めるといった行為は、精霊界に悪の力が存在することを認め、それを鎮めなくてはならないと信じての行動だ。
 後世に使われた魔術道具の多くは、驚くほど早い時代から登場している。古代バビロニア人やエジプト人は、護符を身につけ、呪文書も記していた。エジプトでは墓碑にまで呪文を刻み、危険をくぐり抜け死後の世界に無事にたどり着けるようにと、死者の魂を魔術で守ろうとした。話したことも、書いたものも、言葉は魔力をはらむと長い間信じられてきた。古代ギリシャ人やローマ人は、呪いの石版に悪の願いや呪文を書き込むと、それが叶うと「信じていた。
 やがて魔術師は、独自の秘儀や理念を持つようになる。古代エジプト人は、類感呪術(Sympathic magic)−−−−治療薬や、その素材・色・形などが魔術で治療する対象となる病気そのもの部位や症状と類似しているはずだという考え方(だから黄疸には黄色の薬が効く)−−−−を知っていた。
 ギリシャ人は、束縛の概念を生みだした。つまり、魔術師は適切な儀式を行えば、月ほどの大きなものであっても、谷にゃ対象物を物理的もしくは精神的に支配できるというものだ。文字による情報が豊富になるにつれ、個々の魔術師に名前もつくようになった。例えば、ホメロスの『オデュッセイア』に登場するキルケは、オデュッセイアの女たちにとり憑いて豚に変えてしまう。また。ローマの詩人ルカヌスの詩に謳われた魔女エリクトは、狂犬病にかかった犬の唾液をかけて死者をよみがえらせたという。
 多くの文化が、魔術に関し、具体的かつ規律ある規則を生みだしている−−−−その最たる例が日本で、陰陽寮という役所まであった。それ程ではないにしても、精霊の永遠の力はどの文化でも意識されていた。マヤ文明では、宇宙観測が行われ、壮大な時間のサイクルが認識されている。そして、神経を興奮させる煙を吸い込むことで精霊の世界に入ることができた。また、強大な魔術師の供となる聖なる動物たちへの信仰もあった。これは、太古の石器時代の魔術信仰を踏襲したものだ。古代の世界においては常に渾沌と死がつきまとい、決して遠ざけることはできなかった。だから人々は、たとえ一瞬でもそこから逃れることを切望したのだ。つまりそれは、魔術が人の傍らにずっと存在し続けてきたことを意味する。」

(『エソテリック・プラクティス』〜「用語集」より)

●アチューンメント(Atunement)
「対象物の本質を学び、観察できるようになればなるほど、永遠の存在から一時的な存在まで、私たちはあらゆる対象物の振動数に自分の波動を調整し、合わせられるようになる。こうして自らの波動を調整し、対象物と合わせる「アチューンメント」は、一体化に到達する前の段階。」

●エゴとエゴイズム(Ego and Egoism)
「本書ではこれら2つの用語を、現代の心理学用語とは違う意味で使っている。私たちが利己的な感情・敵意・ねたみから利己的欲望を生み出す時、「エゴイズム」はマインドを誤った目的に使っている。「エゴイズム」とは野放しになっているエレメンタルの総計であり、一人ひとりのパーソナリティから国家に至る、世界中の混乱や病気の根源といえる。いっぽう、「エゴ」とは永遠の存在、すなわち自己認識・魂としての私たちの本質であり、理性と愛に満ちたパーソナリティを通して現れる。「エゴ」という本質は、愛、憐れみの念、理性的思考と行動を私たちにもたらす。」

●エーテル(Ether)
「エーテル・ダブルに取り込まれたエーテル・バイタリティは、「創造エーテル」「感覚性エーテル」「刷り込みエーテル」「運動性エーテル」といった、機能が違う4種類のエーテルに分かれる。創造エーテルによって私たちの生命現象は組成・維持されている。感覚性エーテルは私たちに〝感覚〟を与え、刷り込みエーテルによって、エーテル・バイタリティは形成され、運動性エーテルは私たちの活動を助けている。」

●エレメンタル(Elemantals)
「あらゆる思考・感情・欲望は、〝想念形態〟と呼ばれる「エレメンタル」をつくり出し、「エレメンタル」はそれぞれ特有の形態・エネルギー・知性を持つ固有の存在として生き続けることになる。私たちは「欲望→思考型」と、「思考→欲望型」という、2つのタイプのエレメンタルをつくり出したり、甦らせたりしている。理性的な思考ではなく、主にネガティブな感情から欲望を抱く時に生じるのが、感情的な想念形態である「欲望→思考型」エレメンタル。いっぽう、私たちの思考・感情・欲望が理性と愛を通して現れる時に生じるのが、理性的な想念形態である「思考→欲望型」エレメンタルだ。どちらにしても、いったん生じたエレメンタルは絶対に消すことができない。したがって、ネガティブなエレメンタルをつくってしまった場合にできることは、エーテル・バイタリティを与えずに、エレメンタルを弱体化させることしかない。また、同じ種類のエレメンタルは集まって強力なグループ・エレメンタルを形成する正接があるので、個人であれ団体であれ、同じような振動数の場合は。こうしたグループ・エレメンタルを引きつけることになる。ちなみに、大天使は神聖なる計画を遂行するために、さまざまな自然界の精霊や天使といったエレメンタルを創造している。」

●原因と結果の法則(Law of Cause and Effect)
「「原因と結果の法則」は、神秘主義者だけでなく、科学者にもよく知られた法則だ。この成長、調和、バランスをもたらす神聖なる法則は、作用(原因)に対して、必ず何らかの反作用(結果)を引き起こす。つまりあらゆる行ない、思考、感情は、良かれ悪しかれ何らかの結果として戻ってくる、ということだ。東洋で知られる「カルマ」という言葉は、こうした「結果」の総計を意味している。この指導的な法則は短い期間だけでなく。3次元の物質界を超え、いくつもの転生にわたって作用し続ける。」

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