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友達をなくした話

「明日から友達やめるから!」
こんな残酷で幼稚なことを口走れたのは
いつまでだっただろうか。

友達やめると言っても、
次の日また学校で会ってしまうのに。
どちらからともなく謝ったり、謝らなかったり。
それでも、同じ毎日の繰り返しの中で、
自然と元通りの「友達」に戻ったりできる。
今はもう戻らないそんな時代が、
うらやましい。


小さい頃から友達がとても少なくて。
その少ない友達と大切に付き合ってきた。
保育園からの友達がひとり。
中学校からの友達がひとり。
高校でできた友達がひとり。
大学でできた友達がふたり。

いま現在、
その誰とも連絡を取っていない。
厳密に言うと、連絡を取ることはあるにはある。
けれど、
仲が良かった頃のそれではなくなってしまった。


保育園からの友達は、いわば自然消滅。
地元が同じだから実家もとても近いけれど、
帰省しても会うことがなくなった。
連絡先もちゃんと知っているけれど、
だからといって毎回連絡するわけではない。
コロナ禍以降、もう1度も会っていない。


中学校からの友達は、相手の音信不通。
高校時代まで、何でも話せる一番の友達だった。
大学時代まではなんとなく繋がっていたのに、
社会人になってから返信が来なくなった。
風の噂で、妊娠して出産していたことを知った。
一方的だったけど、そこまで悲しくなかった。


高校でできた友達は、
大学も、職場も、住む場所も違ったけれど、
お互いの家に遊び行って、たくさん話をした。
少しずつ会う頻度が減って、
文字だけのやりとりをしていた頃、
相手からの返信が数年、途切れた。
何があったのかわからなかったけれど、
ひどく悲しかった。
たぶん、相手は気づいていないのだろう。
何もなかったかのように突然、連絡が来た。
わたしは初対面の人に送る文章のように、
ものすごく丁寧な敬語で返信した。


大学でできた友達は、
戦友のようなふたりだった。

ひとりの友達は、
一緒に住んでいたほど、仲が良かった。
卒業して何度目かを最後に、会わなくなった。
話す言葉が、全く噛み合わなくなっていた。
お互い違う仕事についたから、ではない。
大学という狭い空間の中で、気が合っていた。
と錯覚していたから。
水が入った何かを裸足で踏んでしまい、
それが放置されたゴミだと気づいたとき、
「どうして仲が良かったんだろう」
と思った。


もうひとりの友達は、
何かあったときに助け合える仲だった。
なぜか、人生の修羅場に同席することが多く、
お互いの涙が止まるまで話を聴き合った。
ただ、いつも悲劇のヒロイン話をする相手は、
「嫌な場所や人から離れよう」と何度話しても、
愚痴を言うだけで環境を変えようとしなかった。
最後は、会おうと言われて会ったのに、
「ここにいるのは自分じゃなくてもいいな」
と感じたときだった。


嫌な思いをしても、忘れればいいんだよ。
友達に求めるものが、厳しいだけだよ。
また会おうとすれば、普通に会えるよ。

それは半分正解で、半分不正解。

一度でも心を閉ざしてしまったら、
きれいさっぱり元通り、とはいかない。
連絡先を知っているからといって、
ずっと繋がっているとは限らない。
どんなに近くにいても、
会おうと思わなければ、会えない。

逆に、

しばらく会っていなくても、
昨日会ったみたいに話せることはある。
住所しか知らなくても、
伝えたいことがあれば手紙を書く。
どんなに遠く離れていても、
会いに行こうとすれば、会える。


会いたいと思わなければ、
話したいと思わなければ、
その思いが一方通行ならば、

わたしにとっては、
もう、

友達じゃない。




いつもと同じように、
「またね」
と言って別れたあのとき。

わたしは心の中で
「さようなら」
をいった


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