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「あらいぐまラスカル」原作は“元トモ”を描く実話だった




先日、こんな記事を書いた。要約すると、

・「あらいぐまラスカル」の原作は作者の実話を基にしていた
・残念ながら今は絶版となっている
・気になるので再販求む



といった旨の内容である。
その後どうしても原作本が気になったので、Amazonで古本を取り寄せて読むことにした。
届いたのがサムネイル画像の本。2007年に出版された再版本の第二版で、幸いなことに新品同然の状態だった。中古の美品が多く流通しているのだろうか…?



この度、そんな『はるかなるわがラスカル』を読み終えた。
まずは改めて小説のあらすじを振り返ってみる。

アライグマの赤ちゃんを親から拉致して※飼った少年:スターリング(作者の少年時代)。
一人と一匹は、現代なら炎上待った無しの出会いを果たした。
やがて「rascal=やんちゃぼうず」と名付けられたアライグマは、少年と生活を共にするようになる。
少年と寝食を共にし、釣りや農作業はおろか、地域のお祭りや学校にまで顔を出すラスカル。
しかし成長するに従って、凶暴な野生の本能が見え隠れするようになり…。
少年は野生動物との共存の難しさを悟り、発情期を迎えたラスカルを森に帰す決意をする。


アニメ版では“猟師に撃たれたアライグマの子を保護する”という内容に改変されているそうだ。


本作は基本的に、小動物と過ごすスローライフを描いた児童小説である。
そんな中、戦時下(第一次世界大戦)の生活・母の死・兄の徴兵・姉との微妙な仲といった重い現実が影を降ろす。
新たな友人を得ても、たった一年間過ごしただけで疎遠となってしまう。
釣りやカヌー作り、そして美味しそうなサンドイッチや果物等の描写は楽しい反面、読後感はとても切ないものだった。



そして大人の読者の観点からこの児童小説を読むと、ある馴染み深い概念が見えてくる。
ああ、これは“元トモ”を追懐する物語なのだ。




大好きなラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」・「アフター6ジャンクション」の投稿コーナーとして提唱されたこの概念。
以前は凄く親しかったのに、何かのきっかけで、或いは自然に疎遠となってしまった友人──それが元カノ・元カレならぬ“元トモ”である。




もう二度と出会うことがなくても、過ごした日々はかけがえのない思い出だ…という幸せ。
そんなかけがえのない思い出の日々を、もう新たに紡ぐことができない…という辛さ。
元トモエピソードを聞くたびにそんな相反する想いが胸を駆け巡り、自分自身の記憶の底に眠った郷愁へと訴えかけてくる。




幼少期以降の友人関係を100パーセント維持できる人は数少ない。
だからこそ元トモエピソードは多くの人が持っており、自身の経験に当てはめて感情移入してしまうはずだ。
社会人となってから新たな出会いが減ることで、より強くその想いを感じるようになるのだろう。




沢山の“友人”が“元トモ”となっていった寂しさを痛感する今日この頃。
たった一年限りの元トモを懐かしむ本作『はるかなるわがラスカル』は、アラサーの俺の心に鋭く突き刺さった。




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