見出し画像

「白い弾丸、頬を染めて」 #シロクマ文芸部(雪化粧)

 雪化粧に染まった山薗やまぞの市民球場に、無数の歪な白球が飛び交う。
 前日の降雪が嘘のように晴れ渡った空の下、紺色のジャージに身を包んだ山薗ジュニアベースボールクラブの面々は、特別練習という名目のレクリエーション──雪合戦に精を出していた。
 雪玉と軟式球は、重みも触感も何もかもが異なる。それでも、フウカの持ち前の球速と制球力は衰えを知らず、放たれる雪玉は弾丸のように鋭かった。


 ふっ、と投球の度に漏れる白い息が、青空に向かって溶けていく。同時に、耳を露わにした凛々しいショートヘアが微かにそよぐ。
 肩、胸、腹。Bチームのメンバーの身体中で白い粒が弾けていった。フウカの餌食になった選手達は「ヒットしたら30秒間投球禁止」のルールに従い、雪を積んで造られたバリケードの背後に下がっていった。
 選手達は一様に感じていた。フウカに当てられることは恥ではない。小学五年生にしてエースピッチャーである彼女の投球には、絶対に敵わない。たとえ遊び半分の雪合戦であったとしても。
 そのような諦観が、Bチームの面々を包んでいた。ただ一人の少年を除いて。

「何やってんだよ!当てに来いよ、ほら!」

 挑発するカナタの身体を、フウカは確かに狙っている。だが、雪玉はどこにも当たらない。カナタの姿を視界に入れると、正確無比なコントロールに狂いが生じる。手に力が入らず、指だけでなく心までが震え、ざわつく。
 やがてフウカに先んじて、他のAチームの選手が放った雪玉がカナタの膝へ直撃した。五分刈りの頭を掻きむしりながら、カナタはバリケードの裏へ引き下がっていった。

「このバカ!」

 罵声が自分に対して向けられたことを、フウカはすぐに察した。

 フウカとカナタ。同級生で体格も近い二人は、山薗が誇る二大ピッチャーだ。二大・・とはいえ序列は明確であり、あくまでもエースはフウカ、次ぐ二番手がカナタ。重要な試合の先発投手はフウカの役回りで、一ヶ月前に行われた秋季大会の初戦も同様だった。
 しかし、山薗のエースは初回から崩れた。
 フォアボールが続いたかと思えば甘い球を狙い打ちにされ、いつの間にか5失点。キャッチャーのリードは正確だったが、その指示に応えることができなかった。
 3回で降板したフウカに代わりマウンドに立ったカナタは、リリーフとしての役割を完璧に果たし、相手の攻撃を0点に抑えた。しかし、その後も味方の打線が奮起することはなく、山薗は0-5で一回戦敗退を期した。
 泣きじゃくるエースを誰も責めなかった。両親も、監督も、キャッチャーも、チームメイト達も。あの・・フウカが失投を繰り返すなんて、と誰もが思った。不調の理由を問うた者も居たが、真相は誰にも語られなかった。


 秋季大会のマウンドに上がったフウカの脳裏には、ベンチに座るカナタの顔が浮かび続けていた。少年の頬は、赤紫色に腫れていた。
 カナタの一家は野球に賭けている。立場上、フウカは誰よりもその環境を意識せざるを得なかった。
 それから一ヶ月、二人はろくに会話を交わしていない。少女に深く刺さった邪念の棘は、未だに抜けずにいる。

 やられた、くそ、寒い、冷たい……。皆が思い思いに、独り言じみた声を挙げる。両サイド越しに言葉をぶつけ合っているのは、二人のピッチャーだけだった。

狙って外してる・・・・・・・のか!他のヤツには当てられるくせに!」
「別にっ、わざとじゃないから!」

 雪に土が混ざり始めた地面に、フウカが投げた雪玉が落ちて弾けた。

「ウソだ!あの試合だって、わざと失投したんだろ!」
「……違う!」

 フウカが返した叫びには、自信が伴っていなかった。敗退行為をしていないのは事実だったが、意図的な失投だと言い切ることもできない。
 一つの思いを抱き続けたまま、フウカはマウンドに立っていた。
 降板したい──。

「私がダメなピッチャーだから!それだけ!」

 やりきれない思いと共に放たれた雪玉は、虚空を掠めて飛んでいった。

「投げなければよかった!私が投げなかったら!最初からカナタが投げてたら!」
「ふざけんな!」

 雪玉がフウカの右腕で弾ける。さほど固まっていない雪にも関わらず、右腕は得体の知れない痛みを覚えた。
 ルール通りに退こうとするフウカ目掛け、立て続けに叫び声と雪玉が投げられる。雪玉は全て的を外れていったが、一直線に向かっていく声は、確かにフウカの胸へと届いた。

「ダメとか言うな!余計なことすんなよ!」
「オレは上手いお前よりも上手くなりたい!下手なお前と比べられたくないのに!」
「小学生のうちに勝ちたいんだよ!中学に上がってからじゃ遅いんだ!」

 バリケードに隠れたフウカにカナタの顔は見えない。それでも、言葉に混ざった荒い息から、その必死な表情が鮮明に想像できた。頬を腫らして俯く姿ではなく、ひた向きに練習に励むカナタの姿が。
 復帰早々、フウカは右腕を振りかぶった。他の相手と対峙した時と同じように、その指が震えることはなかった。

「ごめん!」

 放たれた雪玉は、カナタの腹を白く濡らした。

「謝るなよ!」

 ジャージに付いた雪を払うと、カナタはすぐさま雪玉を投げ返した!

「当たったじゃん!」
「知らねーよ!」
「まだ怒ってる!」
「怒ってねーし!」
「大声出してるくせに!」
「お前もな!うまく聞こえねーんだよ!遠くて!」

 幼稚な口喧嘩を続けながら、二人は無闇矢鱈に雪玉をぶつけ合う。既に何発も当たっている二人を、チームメイト達は大慌てで諫めた。

 大人が用意した形式的な謝罪の場は、多くの少年少女にとって居心地の悪い空間だ。それでも、まだ幼い二人には、純粋な対話と和解の場が必要だった。

「……ごめん。色々ごめん」

 フウカから差し出された右手を、カナタはまじまじと見つめた。中指の先にできた血豆と硬化した白い皮膚は、彼女がエースである証明だった。

「オレの方こそ。悪かった」

 数秒の後、カナタは自身の右手を伸ばし、エースの手を硬く握った。
 ──と同時に二人は屈み込み、左手で足元の雪を無造作に掬い取った。そして右手を取り合ったまま、ありったけの量を相手の顔にぶつけた。

「冷たっ!」
「ぐぁっ!」

 素っ頓狂な声を上げた二人は、改めて顔を見合わせた。
 やがて、堪えきれない笑い声と共に、互いの左頬を染めた雪化粧がこぼれ落ちた。


─────────────


※こちらの企画に参加させていただきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?