さようなら、いつかまたこの世界で

昨日、母校の立教大学で、心理学部の生徒さんたちに講演をしてきました。「キャリアと心理学」という、心理学をどのようにキャリアに活かして働くかというようなお話です。

私自身もともとは、カウンセラーになりたくて心理学部に入ったのですが、学生時代にやっていた好きなことが、旅すること、写真を撮ること、書くことだったし、カウンセリングは人の人生に深くかかわらなくてはならず、軽々しくなれるものではないと悟り、産業心理学のゼミをとりました。

産業心理学は、なぜ人は失敗をするのか、忘れ物をするのかや、交通心理、労働者心理、消費者心理などを学びます。

誰かの人生に直接かかわるよりは、もっとクリエイティブなことに心理学を活かしたいと思いました。

でも、結局いま、好きなこと、やりたいことをやっている私は、心理学の専門性を直接活かしているとはいえません。

だけど思うのですよ。
社会で生きるとは、集団に属し、その色に染まらなくてはならない。つまり個性を埋没させられてしまう危険性があると。
実際的にそういうふりをしなくてはいけないとしても、本当の心まで染まって没個性してはいないか?

ふと立ち止まり、思うのです。その羊の群れから飛び出すライオンにならねばと。もちろん羊でいることが居心地よくて、それでよければ、それでいいのです。人それぞれですから。

でも、わたしは集団から飛び出して、たとえ一人になっても、自分らしく生きてみたいと思いました。ダメならすごすご集団に帰ろう、なんて気楽にさえ思って。笑

それには、心理学でいう認知バイアスとよばれる偏見や思い込み、ステレオタイプから抜け出して、社会に対して「個」を維持するための力が必要となります。論理的に、客観的に社会をつかむんです。(もちろん、簡単なことではありませんが)

「自分はこうしたい」と思うのに、誰かにどう思われるか怖い、あの人が止めろというから迷う、など縛られて動けなくなることはよくありますからね。

この世界が人の心で動いているものだと思えば、社会に埋没されない人生を歩むには、「人はそれぞれ」と思うことが、第一歩! とても大事だなと思います。それは、余計な嫉妬や妬みがいかに無意味なことかわかって、心が自由になっていきます。

学生たちには、将来その専門性をどう活かすかを考えながら勉強してもあまり意味がなくて、それよりも「どう人生を生き抜くか、人生の荒波を乗り越えていく力をつけるか」を養うための武器として心理学を勉強してほしいというお話をしました。

人生のほとんどは、ツライことがたくさんあるから、なんてシビアなお話もして。
嫌われたり、悲しみにくれることがたくさんあるからと。

そうしたらですね。
大学の帰り、とても親しくしている人のお嬢様が亡くなったと知りまして、急いで池袋駅でその方に電話をして、ホームで大泣きしてしまいました。

心理学を学んでも、悲しいことは悲しい。

その少し前まで学生に話していたことも虚しく、学問でも悲しみは拭えない。いくらメンタルケアを学習しても、涙は止まらない。

生きたくても生きられない人がいる世の中、死にたいと思っている人もいる。どこにいても、私たちは苦しくて、悲しみにぶちあたるんですね。

けれどやっぱり、悲しみにくれて、一緒に泣いてしまうような他者と出会える人生って、美しいなあとも思うのです。
最高の愛が孤独とセットなように、最高の出会いは悲しみとセットなんだと思います。

お亡くなりになった同年代のお嬢、天国で安らかに眠ってください。そしていつかまた、この世界のどこかで会いましょう。それまで、さようなら。

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小林希