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何を書くか 学びと自己表現のはざまで

noteをはじめてもうひとつ良かったこと。それは大学院の学習において自分の書きたいものを書こうとする行為をやめられたことだ。もうすぐ退学になるかもというところで、やっと大学院に行きたかった理由を因数分解してみた(尊敬してる尾石晴さん流に)。そこにあったのはシンプルに書きたいという感情。でも何を書きたいかも書けるかもわからない。創作の才能はさっぱりないと決めつけていたので文学を書く勇気はなかった。そんな理由で大学院に進むなんてとんだお門違いだと今はわかる。

わたしは大学院の勉強を自己表現の場にしようとある種傲慢な吐き違いをしていたのだ。書かなきゃいけない課題は自分の書きたいものではないのに。人類学では書きたい課題を選ぶことができるので、勘違いを起こしやすかったのかも。学位から得られる賞賛も欲しかった。母親になり仕事では高みを望めなくなった現状を学問で満たそうとしていた。それがわかったことで少しすっきりした。

しかし当たり前だが大学院に通ううち自分の書きたいものが書けないフラストレーションにぶち当たる。特に暗記メインのテストは大嫌いだしやる意味がわからない。何度も落ちた。イギリスの大学ではほとんど暗記はなく自分の文章を書くことがメインなのでベルギーの大学院のシステムをわかってなかったのも憤りに繋がった。

今もこの渦中にいるし答えは出ていない。でも一つ気づいたこと。内側から溢れてくる書きたい衝動。わたしの中にあったんだ。課題を与えられなくたって良かった。そしてそれは課題を与えられるまで気づかなかった感情なのだ。


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