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ポートフォリオのようなもの #10

卒業制作
テーマ自由。形態自由。

一般大学のゼミがどんなふうなのか知らないが、ゼミと言ってもいつもの実技授業と何も変わらない。授業の先生がゼミの教授というだけ。

だから、ゼミを選ぶときはとても迷った。
先生が変わろうとも、自分の作るものに影響が出ないと思ったから。
でも、自分のいままで作ってきたものを知っている先生がいいなと思ったから、知っているであろう先生のゼミを、水面下で調査した人気順に並べて希望を出した。

ゼミの発表があった日、1番人気の先生のゼミに入れたらいいなとほんのり思っていたら、その先生のゼミに入ることになった。

希望が通らなかった人は何人かいて、「運任せに決めたのに、ごめん」って思った。
無神経にも、悔しがって泣いている子に「ゼミ変わろうか?」と聞いた。
「ううん、ごめんね。大丈夫。」と言われたけど、ムカついただろうなと、いまさら思う。

別のゼミでもそういうことが起きていたようだった。
希望のゼミに入れるかどうかは運ではなく、ゼミの先生の授業を多く取っていた人から順に選ばれたらしいと、風のうわさで聞いた。

後日談として。
その泣いていた子は優秀賞を獲った。
悔しい気持ちって人をどこまでも成長させるなと思う。

大学4年の夏休み前に、卒業制作のオリエンテーションがあった。
学年全体のものと、ゼミごとに分かれたものが行われたけれど、どちらのオリエンテーションでも「悔いの残らないように」という話を聞いた。

ゼミのオリエンテーションの最後に、「やりたいことを考えて、夏休み明けに発表してね」と、夏休みの宿題が出て、大学最後の夏休みを迎えた。

夏休みは、7月の終わりから9月の始めまでの1か月半くらい。
昼も夜もバイトをして、卒業制作でどれだけお金がかかってもいいように備えた。
自分が何を作りたいのかまだわからなかったけど、予算を理由に作れないということにはしたくなかったから。


やりたいことが自然に湧いてくるかなぁと思ってぼんやり過ごしていたら、あっという間に初回ゼミの1週間前になってしまった。

さすがにまずいなと思い、最後だし好きな事をやろうと、いままで作ったものを振り返ることにした。
「1、2年のときは文字を使ったものをよく作っていたなぁ」とか「あのときは、あんなことやこんなことが…」などと、色々思い出した。

結局、ゼミの先生が文字をグラフィックにしたポスターを作っていたこともあって、文字を使ったものにしようと思った。
思えば、デザインやアートに触れる前から習字を習っていたし、私が1番長く続けた習い事でもあった。
それに、昔から文字が好きだった。

文字を作品にすることは決めたけど、この先どうすればいいのかわからなくて、とりあえず習字のセットを取り出して、墨汁を付けた筆で半紙に文字を書いた。
その半紙の束を初回のゼミに持って行った。

初回のゼミでの発表は、私含め全体的にぼんやりとしたものだった。
「なんとなく、こんなことをやってみたいな」ということを発表し合って終わった。

制作するときに一番時間がかかることがテーマ決めだということを、このとき改めて感じた。

私のゼミでは月、水、金の3、4限に行われた。
ゼミの時間は、個人の作業スペースを巡りながら先生が講評をして、それをみんなで聞くということをした。
作業は各々ゼミ以外の時間に進めておくことになっていた。

毛筆を起点に始めてしまったので、どうしようかなぁと思いながら、線のパーツごとに切り抜いて、いじいじしてみたりした。

文字を書いて、切り抜いて、いじいじするという作業をした。
作業してる風を装い、講評から逃れながら。

そのうち、毛筆の書体の事が気になり始めた。
習字の基本書体には、以下の5つがある。

光村図書より

左に行くほど、使われた時代が古くなるように並べられている。

私は小学生のころからずっと、篆書体が書きたかった。
私の通っていた習字教室では、学生の部の手本に篆書体が載っていなくて、大人の部からだったので、中学生になった頃に学生の部の八段位を取得して、大人部の手本を手に入れたくらい篆書体が書きたかった。
だって、面白いカタチしてるから。

そういうことを思い出し、篆書体で何かできないかなぁと考えるようになった。

篆書体で書いた文字を切り抜いていたあるとき、「篆書体ってパターン(紋様)みたいだな」と思った。
それで、漢字で紋様を作ってみようとなった。

木の板の裏に、篆書体の漢字を元に作った紋様を掘って、紙に押してみることにした。
なぜかよくわからないが、黒い紙に、金の墨汁で紋様を押している。
それっぽいと思ったからだと思うけど、押してみてなんか違うなと思った。

なんか違うなと思いながら、こんな感じで10月の中間講評を迎えた。

中間講評の日は誕生日だったので、よく覚えている。
自分の作業スペースで待っていると、回ったきた先生たちがコメントしてくれるという形式だった。

ほとんどの先生は話しかけて下さった。
「漢字を文様にするんだ?ふうん。頑張ってね」とか。
「面白いね、漢字が元になってることがわかりやすくなるといいね」とか。
そんなことを言われた。

「あー、やばいな。どうしようかな」と思いながら、その日の夜、中学校のときの親友2人から相模大野駅の近くのバルで、誕生日のお祝いをしてもらった。

当時は、4桁の数字を打ち込めば誰でも鍵を開けられるという激甘セキュリティの部屋に住んでいたので、親友のひとりが私が帰るよりも前に家に来ており、制作で荒れ散らかった部屋を見てドン引きしていた。
しょうがない。講評の日は絶対散らかる。

その日は大粒の雨が降っていた。親友にレインブーツを貸したけど、サイズが合わな過ぎて、しがみつかれながら近所のバルに行ったからよく覚えている。
はしゃいでいる間も、「遊んでる場合じゃないんだけどな」と思っていたことも。

ワインをたくさん飲んで、その日は2人とも私の家に泊った。
自分以外の布団を夏休みに処分してしまったので、シングルの布団に3人で入って眠った。
「いやん、もう、狭いんだけどー!」とか言い合いながら、女3人でわちゃわちゃしているうちに私だけ眠ってしまった。

2人の話し声で目が覚めたけど、私は起きていないふりをして会話を聞いていた。
いつの間にか部屋の電気は消されていた。
「こうやって3人で会うのも、もう最後なのかもね」
「1枚の布団で寝ることももう無いんだろうね」
「卒業して、このうちの誰かが結婚したら旅行にもいけなくなるね」って話していた。
そのまま聞いていたら泣いてしまいそうだったので、寝たふりをやめて「あれ、寝ちゃってた?」って、話の流れを打ち消した。

そんなことがあった後、リフレッシュになったのか、あることを思いついた。
漢字には「へん」と「つくり」があって、それを組み合わせて1つの文様が作れるんじゃないかということ。
つまり、こういうこと。

これも木版でできている

漢字と同じように「へん」と「つくり」を組み換えれば、1つの文様が完成するというシステムを考えた。

10月末に、展示計画表の提出締め切りが迫ってきた。
展示計画をミスったら、作品に対して空間が狭すぎて見づらい、もしくは広すぎてこじんまりしすぎるということが起きるので、作品の最終形態を確定させなくてはならない。

B全ポスター4枚が貼れるだけの壁と、長机1つを申請した。

「へん」と「つくり」のシステムを思いついたときは、常用漢字を網羅するつもりでいたが、常用漢字は1,945種あり、1日に作れる木版の枚数はせいぜい3枚だったから、絶対に審査までに間に合わないなと思い、4枚のポスターに使用する漢字の分の木版を作ることにした。

ポスターは、文章になるように読めて、曼荼羅のように配置したかった。
文章を何にするか迷って、4枚だから四季を表す文章がいいなと思い、それぞれの季節に合う万葉集の歌を用いることにした。

11月から審査までの記憶がほとんどないので、審査直前の話になる。

審査直前、つまり12月末。
私が母に連絡したのかわからないが、「食事を作る時間も、食べる時間もない」と言ったら、母が食事を作るために数日間泊まりに来てくれていた。

今まで気にしてもらったことがなかったので、とても驚いたが、驚く暇もなかったので木版を彫って、母が作ってくれた食事を摂って、木版を掘って、図版を考えて、食事を摂って。そろそろ寝たらと言われたら寝て、みたいな年末を過ごした。
いつ年が明けたのかもわかっていなかった。

年明けすぐに卒制の審査があった。

最終的に彫った木版は200枚ほど。

常用漢字を網羅するには全然足りない…

審査会の展示はこのような感じ。

計画外に木版を展示することになり、空間が足りなかった。

辞書のような本も作った。

春夏秋冬と書いてある

3徹の末の審査会だったので、全然覚えてない。

そんな感じで審査会が終わり、学内展示の前に、学外での有志展示を行った。
2020年の2月。
有志展示は初日の1日のみ、時間を短縮して行われた。

監視役として在廊していた数時間しかいなかったが、それでも予想外にたくさんの人に見てもらえたと思う。

監視が終わった後、お世話になった先生ちょうど来て下さったので、自分の作品の前で感想を貰っていたら、通りがかった何人かの人に声をかけてもらって、感想をいただけて、とても嬉しかった。

その後、学内展示も卒業式も中止となった。
中止になったけど、徹夜の日々から解放されて、なんとなく「終わったんだな」と思い込むことにした。

そんな感じで、卒業制作は終わりを迎えた。


何の因果か、これからやろうとしていることも木版なのだ。なぜだろう。
それに、やっぱり卒業制作はまだ終わっていない。
常用漢字を網羅できていないのだ。
なぜだか、それがずっと心に引っかかっていて、気になる。
続き、やりたいな。


この10本に渡って連載してきたこの「ポートフォリオのようなもの」シリーズは、今回で最終回となる。
他にも載せようかなと思ったものもいくつかあったが、大人の事情で載せられないものや、今後の制作に必要の無さそうなものは記憶のまま留めておくことにした。

やっぱり載せようかなと思ったら、載せるかもしれないので、その時はご覧いただけると嬉しいです。

それでは