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ある板前の死より(最終回)~その後…~

【その後…】

 私は、この最後の記事を書く前、現地に赴いた。何か所用があった訳でなく、どうしても、一度現地を見たかった。Googleマップではなく、自分の目で見たかった。

 店主の自殺後、同店は閉店した。そのショッキングな死は、地域に衝撃を与えただろうが、長い月日はそのことを忘れさせていた。

 事件の頃、この辺りは郊外の新興住宅地で、近くには小さな総合病院と付属の老人福祉施設くらいしかなかった。少し離れた場所には、大型のスーパーもあったが、やはり離れた場所だった。正直当時は、まだ寂れていた。

 だが今は、コンビニに大きなドラッグストアと、立て続けに出来て、利便性も増した為か、更に住宅地が広がっている。郊外には代わりないが、街らしくなっていた。

 あの店舗は、今でも存在しているが、持ち主は代わっているようで、以前の店名が上げてられていた看板は、別の看板に着け変えられていた。

 今の持ち主もおられるので、最近の画像は出さないが、外観上に大きな変化はなさそうである。

 もし、今でも店主がお店を続けていたなら、食べログコメント💬でも言われていた、狭いガレージ問題は、このコンビニとドラッグストアのガレージで、こっそり解決できそうだな…と、自分が車を止めさせていただいて感じた。

「今日は車だからね。お酒は無理だし、ランチ🍴でも良かったな、あんた(店主)の料理、食べたかったよ。」

 さすがに敷地内には足を踏み入れないが、道路側から思いを込めて一礼する。
周りから不審がられても困るので、手を合わせることはしなかった。ただ、一礼のみ。

 去り際に一瞬、「ありがとうございました!」と、背中から元気な男性の声が聞こえたような気がした。

 振り向いてみたが、もちろん誰もいなかった。

「また、機会(来世)があれば…」

 私は、挨拶を返すように背中越しに、軽く手を挙げた。もう振り返らなかった。

 振り向けば、まだ、白い板場姿の店主が立っている気がした。別に怖いという感じではない。

 ただ、10年以上前に店主の自殺により閉店した同店が、何故あの日、検索トップに上がって来たのか?車に戻る道すがら、歩きつつそれを考えた。

 「きっと、(店主に)呼ばれたのですね。」と、コメントをくださった、有名な実力派女性noterもおられた。

 あるいは、そうなのかもしれない…いや、そうならば、私は自分の役割を果たせたのだろうか?

 しかし、私自身も、人様を救える程、幸せな人生を歩んでいるとは思っていない。むしろ最近は、心折れそうな程、辛いことの方が多い。

 琵琶湖から来た、みぞれ混じりの猛烈な寒風が、車に乗り込もうとする私の横顔に、バッっと吹き付けた。思わず…

「春はまだ来ないのか?」

 その冷たさに、「ふと」春の訪れを願う自分に気付いた。

 そうか…私が彼を救う役割なのではなく、彼が私を救いたかったのかもしれない!

 ここに呼ばれた理由は、そう言うことか…

 「春が来るだけ、あんたはまだ大丈夫だよ。」と、店主は私に伝えたかったのだろう…きっと。

 脳裏に一瞬、あの食べログ画像に写った、笑顔の店主が浮かんだ。フロントガラスには、みぞれを弾くワイパーが動き始め、車はゆっくりと店舗付近を離れて、国道方面に加速する。

 もう一度だけ、バックミラーを見た私は、心の中で、ただ深く店主に一礼をした。


【あとがき】

 シリーズ完読ありがとうございました。今回、ご縁がありまして、「死」という多くの方が意味嫌うキーワードを中心に話しを展開していきました。「死」は私の仕事柄、比較的近くに存在していましたが、作品として表現するに当たり、ただのホラー的作品ではなく、現実的に(といってもフィクションだが)どのように店主が悩み苦しんだのか?を、私が長く仕事としていた精神科の分野で、表現してみたいと思い、挑戦させていただきました。

 しかし、私一人の実力では、この死を物語として上手く表現出来ず、多くの食べログコメントを参考(又は引用)しながら、何とか荒削りながら最後まで書き切ることが出来ました。残念ながら「好き」の数は延びなかったようですが、何度もお伝えしていた「ご不快であれば…」の説明により、懸念していた激しいクレームをいただくことなく、最終回を終えることが出来たのではないか?と思っております。何度も申します通り、今回のシリーズは、実際にあった事件を元にした、あくまでもフィクションです。どうかご理解ください。また諸事情により、記事の突然の削除もあり得ますので、その際はご容赦ください。

 このように、まだまだ実力不足の私ではありますが、これからも、皆様のご指導・ご声援・コメントなどをよろしくお願い致します。

きつたん