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看護師の感覚的指導について、私の考え。

10年以上も変わらない感覚的指導。

感覚的指導とは、新人看護師Aのフォローとしてついていた、X看護師の先日の指導場面だ。

★「ねぇ。私、この間も伝えたと思うんだけど、Aさんの抗菌剤の側注とBさんの鉄剤の側注だったら、どっちからやるべきだって説明した?Bさん、リハビリがあるって言ったよね?」

この文章だけでは、情報が少ないので答えとなる推論がしずらいかもしれません。

気がついて欲しいことは、そこでは無いので、この文章は、私にとっては感覚的指導なのです。

投与する相手が、別々の受け持ち患者のため順序が存在するとしたら、理由は何か。

★のことは、入職して3ヶ月の新人にわかるレベルですか?経験学習から起きている複数の情報から判断した結果ではないか。

そもそも新人看護師は、指導の元できるレベルをラダー0として1年間の目標としているはず。

はっきり言います。

そんな感覚的指導をやめてもらいたい。

経験則が必要なことは新人では視野が狭く、気がつけません。

逆に気がつけていたら、褒めるべき。

★の内容は、複合された情報で患者が変更されたら、考え方として投与する時の順序性はリハビリテーション、透析、検査、教育指導、患者カンファレンスなど様々である。それらは毎日のように、変更されることもあれば、数日同じタイミングで投与できる場合もある。

指導すべきは治療上、時間を守る必要があってその時間に適切な治療を最適解で受けられる、患者の利益を中心として考えて行くこと。

どのような視点を持つことが必要なのか、具体的に説明をして、新人がどのように考えるかを意見が言えることが大切なのであって、指導する側の看護師のその場の感覚的なものを押し付けて指導する必要はない。

鉄剤を先にとした根拠は、何も伝わっていない。

もしかしたら、新人はあなたが持っていない情報を持っているかもしれない。とは考えていない、感覚的(経験則だけで)指導する看護師が多い。

互いの考えを、自由に話せる関係性が心理的安全性の確保には必要である。

新人は、経年の看護師の感覚的指導には反応でききない。何を問われているか、なぜ注意されているのか、意見を聞かれることなく突然、「前にも言ったよね?」と詰問されるのである。

「私は、先輩のように考えられないので看護師になってはダメだったのだと思います。」

この時期に多い。新人のメンタル不調者の話だ。

この新人看護師のAさんは次の日から3日間来れなかった。

この時の、病棟の反応は「なんで休んだのか。そんなきついこと言ってないのに。」

言い方の問題だけでは無いことに気がつくべき。もちろんハラスメント傾向がある人は注意すべきだけれど、医師の上級医の指導を見ていたら気がつくと思う。

【尊厳を守った言い方なのか】

医師の指導関係では、全員とは言わないがハラスメントに対する意識が、この数年で随分変わったと感じる。

看護界は、遅れていますよ。

コンプライアンス研修の時に、ハラスメントだと話をしに来た職員に「大袈裟ですよ」と言うことを説明したコンプラ研修担当者がいる施設に務めている事実を知り、辞めるべきか悩むきっかけになりそうである。

ここで言葉の整理をしておくが、

ハラスメント(Harassment)とは、相手の意に反する行為によって不快にさせたり、相手の人間としての尊厳を傷づけたり、脅したりすること。 いわば「いじめ」「嫌がらせ」と同等の意味をもつ行為。 たとえ、相手を「傷つける」「いじめる」という意図がなくても、相手が不快な感情を抱けばハラスメントは成立する。(参考:journal)

この言葉を、理解すべきは「相手を傷つける意図がなくても、ハラスメントは成立する」ということだ。

私はある管理者に挨拶をして貰えないという事実を毎回記録している(笑)

毎回不快な思いの積み重ねを記録しているのだが、まさに上記に該当すると思っている。相手を傷つける意図がなくても起こしているハラスメント事象。

看護界は、早急にこの対応をしなければ大変なことになる施設が多いと思う。

久しぶりの臨床施設で働き始めたが、離れていた10年と少しの間、人を育てるスキルが良くなったとは言いにくく、そんなに変わっていない気がしている。まあ、自施設だけかもしれないが。

施設経営が奉仕からビジネスモデルを使用したなんちゃって運営だった時代から見たら、まだマシだと思う。

看護部はなんちゃって目標管理の状態が見えすぎて怖い。確かにビジネスモデルでの目標管理は大事なんだけど、その考え方だけでは【人が育たない】ことに早く気がつくべきである。

種を巻き、芽が出るまで、適した環境を与え、水をやり、日当たりを考え、時には栄養、時には風を、刺激として与え、茎が伸び、ようやく蕾が膨らみ、咲き、綺麗だと褒められ、散っていき、種を残す。これまでの工程は人材を育成する過程に例えることができると自分は思っている。

新人看護師として、入職する前から卒業後に仲間作りをしたり、入職後も研修を受けて、大事に育てられるためのプログラムに乗っかり、お姉さん役割の人が常にそばにいて、一緒に歩いてくれる。少しずつできることが増えて、任せられることが増え、褒められ、自信がついていく。1年経ったら人に教えられることも、増える状況になる。

どことなく似てる。

これからの時代は、少子化に伴い、施設として選ばれなければ、働く人が来てくれない。相手は選び放題なのである。

施設の経営にはもちろん、ビジネスモデルで事業運営するのが経営視点であれば妥当であると考えるけれど、「教育のブランディング」をきちんと打ち立て、人材育成に本気でメスを入れるなら、ビジネスモデルだけでは看護師という集団を動かせないと思っている。

今は、Z世代と言うのは、あまり好きでは無いが、嫌になったら、辞めたら良いと考える現実主義は多く存在している。

そうなれば、悪循環だ。

職員の定着率が悪ければ、ピラミッド型の組織型は、崩壊する。中堅層で帰属意識もあり、管理者まで行かなくても、何時でも病棟管理者を支えることができる人が多く存在することは、安定した組織に不可欠だ。

でもその中堅が、離れていく事実。

現実に起きている、離職者の増加について大変なことだと思っていない、他人事に思っている管理者の言葉を聞いて、変わりはいくらでもいると思っているのだと感じる。

その病棟管理者は認定管理者研修が終わってあとでも、何ら自分の立ち振る舞いは変わらないらしい。

本気で自分は大丈夫。と思っているのだなと感じる。

なぜ自分の所属で、人が辞めるのか。

忙しいからではなく、病棟としての教育ブランディングができていないからだ。

病棟管理者は、1次感情をスタッフに見せることは出来ない。そう思って、数年前に管理職として働いていた時のことを思い出す。

病院のブランディングをする前に、病院の教育を何とかしなければ、人財育成はできない。辞めたぶん、人を集めたら良い訳では無い。

医師のように、専攻医となり自分の登録している大学の上級医から紹介されたりと自分という、医師としての個人のブランドを作っていける場合とは、現状の看護師は違う。

簡単に、看護師免許だけで次の職場は探せても医師のように、自分の個人ブランドで仕事をして行ける訳では無い。専門看護師、認定看護師、特定行為や診療看護師としての資格的なものはでてきたが、看護師のプランドとしてその価値で働くことは、医師のようにはすぐにはいかないと感じる。

大量に看護師を育成しても、世の中が満足できるための充足は永遠にできない。

なぜなら、人間関係をずっと目を瞑りすぎているからだ。

人を育てるのに、感覚的指導をいつまで続けるのか。

「新人Aさん、今から点滴準備していくけど、今日の点滴どの順番でやっていく?どうしようか?急ぐ人いたかな?私も気がついていない情報あるかも」

この、言葉は多くの新人が救われると思っている。

自分が考えていることを聞こうとしてくれる。

たかだか、そんなことと思うかもしれない出来事が、新人の心を救うこともあることを忘れないで欲しい。

さてここから、私にできることはなにか。

やってみてダメなら、自分では無理だったと思うしかないか(笑)


この文章を、ここまで興味を持って読んでくださり、ありがとうございます。

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