私の履歴書(三村明夫編)が話題に上がったが

昨日、日本製鉄㈱名古屋製鉄所のOB会(名称:あゆち会)の総会と50周年記念パーティが開催されました。総会でもパーティでも懐かしい顔を顔を見ることができて、嬉しかった。
日本経済新聞に掲載中の私の履歴書について言及したのは数人でした。平均年齢が80歳の耄碌爺の集まりでは仕方がないが。その中で三村明夫氏のことを悪しざまに言う人がいて、三村氏を高く評価している私は気分を害してしまった。
すきを見て「私が考える次世代高炉」と言う文書を所長に渡そうとしたが、失敗してしまった。これはカーボンニュートラルを意識したアイデア満載の資料でしたが、過去の所長との経緯からすると無視される可能性大であるから。
帰宅するために乗ったバスの中でSさんと地球温暖化について意見交換をしたことが有意義であった。彼の疑問は『たかだか、400ppmのCO2を気にしているが、それ以上に量が多い水蒸気の影響を無視して良いのか?』でした。至極真っ当な疑問ですね。
そう考えると日本製鉄の橋本会長、今井社長が何兆円もの巨費を投じて行く脱炭素とは無意味な活動ではないか?
橋本さんより前の社長が過剰な生産設備のリストラを怠ったツケより酷いツケが回って来そうですが、それを確かめる前にあの世に行ってしまうのが残念至極です。

永野重雄と稲山嘉寛の確執防止について

富士と八幡の世紀の合併で問題になったのは野生児の永野重雄をボンボンの稲山嘉寛がコントロールできるかであった。そこで会社の規則に「会長は本会社の業務を総理する。社長は本会社の業務を統理する」と定めることで、業務範囲に線引きをした。この文言は永野、稲山の体制の意図された曖昧さを表す。これ以外に富士⇒八幡⇒富士と言う社長のたすき掛け人事が繰り返すことになった。

三村さんは幸運な社長であったが

三村さんは社長就任時はミタルの敵対買収で夜も眠られぬ苦労が続いたが、中国の好景気に引っ張られて事態は好転した。
2008年3月期はトヨタの値上げ受け入れもあって3549憶円の高収益をたたき出した。その前に労組と交わした業績連動型賞与制で組合員の賞与は大幅に増えた。技術スタッフや管理職も大幅増額です。企業規模も2003年は1兆5000億円から4兆5000億円(2007年)に膨らみ、ミタルも容易に買収できなくなった。


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