映ったのは自分だった。

息子のことを少しでも理解しようと思い、年末に購入していた本を読み進めていた。

そして読んでいくうちに気づいてしまった。
これは私のことだな、と。

大人になるにつれ対処法を身につけていて、
蓋をしてしまっていたけれど、感覚過敏ですぐ疲れていた学生時代。音や光などをおそらく多く感じていたのはこれだったんだなぁと思いながら、読んでいて最後に出てきた「共感覚」でハッとした。

ミラータッチ、色のついた文字、景色に付く味のようなもの、音に対する形、人に対して感じる色(オーラとは違う)とにかく降ってくる情報が多くて教室のようなざわざわした中にいるのは苦手だった。すごくエネルギーを使うので、定期的に保健室で休憩をしたりしていた自分がいた。

息子に見えている世界を覗こうとしたら、自分がいた世界を再確認することになってしまったそんな読書の時間だった。

不思議と情報量が多くても安心できる場所があり、それは保健室と図書室だった。保健室にはどこか薄い透明なバリアが貼られている空気感があったし、図書室は文字からの情報が多いものの、印刷物だからなのか全体から発せられているちょっとくすんでいる湿度がある感じが心地よかった。

今もどこかそんな空間を作れたらいいなと思っていることに改めて気づけた時間。そして自分の中にいる誰かに、今もそこにいたんだね、と久しぶりに再会したような時間でもあった。

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