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戦争を経験した祖父が99歳で亡くなり、仏となった

父方の祖父は、もう少しで100歳だった。

私が最後に直接会ったのは、2022年10月末でした。


その日のおじいちゃんは、
ニコニコ笑ったり泣いたりお喋りしたり
頷いてくれたり「ほぇ?」という顔をしたり。
表情豊かな様子だった。

その日渡した色紙には、おじいちゃんの似顔絵も描いてみた


「来てくれてありがとう」

おじいちゃんが、涙ぐみながら言ってくれたのを
今でもめちゃくちゃ覚えている。


その日から、約半年が経過した4月20日の日中。
おじいちゃんが入居している老人ホームに
父親が急遽呼び出された。

「様子を見に来てください」と呼び出されたのは、
初めてだったそう。

その日父親が送ってくれた動画の中でのおじいちゃんは
声を発することが出来ず、
でも、目はパチパチしていて
声は聞こえているような、そんな様子だった。


赤ちゃんの成長もあっという間だけど
おじいちゃんおばあちゃんの成長スピードも早いんだな…と感じた。


そして、日付が変わった4月21日の午前2時半頃
おじいちゃんは、息子(私の父)や娘たちに見守られながら
極楽浄土に迎えられて行ったのでした。

99歳。今年の10月で100歳でした。


おじいちゃんは、タイトルにも書いたように
戦争を経験している。

それも、特攻隊として…。


おじいちゃん(イケメン)


昭和16年、大学に入学したものの
昭和18年、第二次世界大戦の真っ只中のため繰り上げ卒業
そして特別操縦見習士官として、飛行機乗りになりました。

様々な飛行技術を習得し、
昭和19年、当時20歳だったおじいちゃんは
決死の覚悟で自ら手を挙げ、特攻隊員となり
その年に第104飛行隊に入隊し、
翌年、不可侵条約を破棄して
満州へ侵入してきたソ連軍への攻撃を任命
されました。

そして戦闘機に乗り、攻撃へ向かいますが
ガソリン弾倉爆発により、戦闘機が満州に不時着。
不時着したこと、満州で助けてくれた方々のおかげもあり
8月15日の終戦を迎え、
昭和21年に無事、日本へ帰国できたのです。


幼い頃から、おじいちゃんの戦争の話を聞く機会があり、
中学校の修学旅行で訪れた知覧特攻平和会館では
「富永稔さんのお孫さんですか?」
と、館長から話しかけられ写真を撮った記憶があります…


おじいちゃんは、昭和21年に日本に帰国後、
教員となり、その後は教育の世界一筋に
「戦争は、いかん」と言い続けていました。


おじいちゃん家には、アルバムや手紙、本などがあり
戦死した仲間のことや、
共に生き延びた仲間のこと、
教官のこと、助けてくれた方々のこと…
本当にたくさんのお話をしてくれました。


いつも穏やかでニコニコして私たちを迎えてくれて
私たちは本当におじいちゃんの笑顔が大好きで。

そんな可愛いおじいちゃんだけど…

戦争のお話をする時は
とても真剣な顔つきになり、
時に涙ぐんで声を震わせていました。

その様子を見て、「戦争は絶対にダメだ。。」と
強く感じるようになりました。


そんなおじいちゃんは、毎日早朝・夕方に
必ずお経を唱えていました。

私たちは、おじいちゃん家の横に住んでいた
というのもあり、
できる日は一緒にお経を唱えていました。

言葉の意味とかは全然わかってないんだけど…
おじいちゃんと一緒にお経を唱えるのが好きで
そしたらお経自体も好きになって
今でも、何も見ずに口ずさめたりする…


それぐらい、おじいちゃんは
毎日欠かさず、お勤めをしていた。


直接聞いた訳ではないけど…、
きっと戦死した仲間のことや色んなことを想いながら
毎日手を合わせていたんじゃないかな…と思う。


生涯を通して
平和の尊さや、人と助け合うことの大切さを
伝え続けてきたおじいちゃん。

そして最後は、
「自らの死を看取ってもらう」ことによって
死を、教えようとしたのかな?。。


おじいちゃんが生前関わっていたお寺の和尚さんが
お通夜の日に、こんな話をされました。

世の中の大抵のことは、経験して学ぶことが出来ます。
勉強や、運動、なんでもそうです。
でも「死」だけは、経験することが出来ません。
自ら経験して学ぶことが出来ません。

とある特攻隊の方は言いました。
「自分が死ぬ様子をしっかり見ておけ」
「死ぬとはどういうことかをしっかり見ておけ」
その後、
周りの方に看取られながらゆっくり息を引き取りました。

このお話で出てきた特攻隊の方、というのは
別の方の話でしたが、
生き様、死に際がまさにおじいちゃんと同じで…

もしかするとおじいちゃんも…
自分の死を通して、死を教えようとしたのかもしれない
と思わざるを得ません。


おじいちゃんが満州に不時着していなかったら
満州で助けてくれる人がいなかったら
帰国後、おばあちゃんと結婚していなかったら
お父さんが生まれていなかったら
お父さんとお母さんが結婚していなかったら

私は今、ここに居ません。


人の歴史は、
親、祖父母、そしてご先祖様が
紡いで成り立つ。

一人一人、
それぞれの時代で必死に生きた証が
今の自分なんだと思う。


人は必ず死ぬのだから
必死に生きるしかない。

必死に生きて
次の世代に繋いでいこう。


大きな貢献を成そうとしなくてもいい。

おじいちゃんを助けてくれた
異国の人々のように、
ただ身近な人を大切にすることが
平和への一歩になると思います。


おじいちゃん
これからも、おばあちゃんと一緒に
見守っていてね

生きてくれててありがとう🙏

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