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知って・行って・観て・会ってきました@発酵のまち(新潟県上越市)

私たちNPO法人日本再生プログラム推進フォーラム(NSP)では、ヨコ型・シェア型・参加型の活動を通して、これまで観光立国・新しい農業・日本列島の大掃除を政策提言してきました。

偉大なる共生社会の実現に向けて、2016年・平成28年より「健康立国」を提唱し、健康イノベーション 3本の柱:(1)ストレスのない職場(2)病気にならない生活(3)安心できる社会インフラを展開していく新しいライフスタイルを推進しています。

そして、ご縁と共に「現場に行ってこそ出会える・味わえる」衣食住、働遊休知美健交を体感し学びや気づきを共有しながら、未来を創る発想や行動のきっかけをヨコにつなげていくプロジェクト「知って・行って・観て・会って」。

今回の舞台は、4月第2週末:9日10日(土日)新潟県上越市

健康イノベーション3本柱の(1)ストレスのない職場(2)病気にならない生活の参考となるよう、発酵に適した気候風土の上越市(夏は高温多湿、冬も雪により低温多湿での二日間のプログラムの様子や参加者からの感想メッセージをお届けします。(3月に事前情報を掲載したページの投稿更新)

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お天気にも恵まれ、現地でご縁をいただいた皆さんと北海道・岩手/佐渡移住・千葉・埼玉・東京・神奈川・長野・愛知・大阪など各地からご参加くださった皆さんのおかげで、新しい息吹を感じる上越でのすてきな春を愛でながらの交流、とても充実した二日間となりました。ありがとうございました!

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岩の原葡萄園・日本のワインぶどうの父 川上善兵衛

創業132年になる岩の原葡萄園(従業員23名)に伺いました。

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*写真利用許可をいただいて紹介掲載しています。(岩の原のまいにちより

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岩の原葡萄園では、自家葡萄園(約6ha・総面積23ha・原料ぶどう国産100%)で栽培・醸造・瓶詰・販売まで一貫して行われています。代表の神田和明さんより、これまでと今・そしてこれからのお話をお聴きしました。

<創業者 川上善兵衛>
・7歳で家督を継ぎ、後に日本のワインぶどうの父と呼ばれる
・米作一辺倒で貧困に苦しむ農民救済のための新しい産業、ワイン醸造に着目
・「地域で暮らす人々の暮らしを豊かにしたい」想いと行動
・1890年(明治23年)、共存共栄を目指して新潟県上越市(旧高田市)に私財を投じて岩の原葡萄園を創業(農地は小作人から土地を取り上げて準備したものではなく、自家の庭園を壊し土地を深耕してつくりあげたもの)
・日本のワイン造りの礎:単に地域振興としてのワイン造りではなく品質を追求、20年の歳月をかけ10,311回の交配実験(気候風土に適したぶどうを求めた品種交配、赤ワイン用の葡萄代表種マスカットベリーAはじめ多くの優良品種を作出)
・雪を利用した低温発酵や密閉醸造など、現代に通じる技術をいち早く確立

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<創業150年を見据えた経営>
・創業の精神である「地域社会への貢献」を推進
・農業振興への貢献、地域観光・文化の顕彰、楽しく働ける職場づくり
・「水田」から「ぶどう」への転作:園芸作物生産転換促進事業
・土地改良と根圏栽培
・ワインの搾りカスをヒラメの飼料に
・上越妙高エリアでの交流人口拡大に向けて:四代社長おもてなしプレミアムツアーの実施
・佐渡文化遺産「猿八座・人間浄瑠璃」の普及活動:人間浄瑠璃と岩の原ワインの夕べ
・元祖「発酵のまち上越」名産品開発普及事業:健康に良い発酵食品を地元でブランディング化(上越発酵鍋開発普及委員会・さかきん発酵鍋開発)

日本最古のワイン貯蔵庫の岩の原葡萄園第一号石蔵(1895年/明治28年建造・国登録有形文化財)や雪の冷熱を利用してワインの発酵や貯蔵の温度を管理する雪室と第二号石蔵も見学しました。

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<石蔵と冷気隧道>
・斜面を開削し凝灰岩切石で建設された石蔵(面積93㎡)
・地下水と地中の冷涼な空気によって石蔵内の温度管理をするために併設された冷気隧道(トンネルは山側に向かい全長40mを超え掘削)

<古くて新しい雪の利用:雪室>
・自然エネルギー利用の伝統を引き継ぎ、2005年に雪室を再建(1898年/明治31年、川上善兵衛による日本初のワイン低温発酵・雪室設置)
・貯蔵雪量約330tの雪解け水を循環、熱交換してワイン樽貯蔵庫(石蔵)を冷房
・雪エネルギー利用により、年間約4tのCO2削減可能

見学の最後には、(輸入ワインではなく、国内製造ワインでもなく)日本ワイン(日本のぶどう100%)である岩の原葡萄園の魅力をソムリエの藤井佳美さんよりご説明していただきながら、テイスティングを愉しみました。

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「私は今日すごく感動いたしました。日本料理のお供には日本ワインです」(藤原理事長談)

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平和記念公園展示館(直江津捕虜収容所跡地)

岩の原葡萄園から移動して、日本海・直江津港 佐渡汽船フェリーのりばを経由して(参考:佐渡市と上越市のつながり/上越観光Navi)、平和記念公園展示館を訪ねました。

平和記念公園展示館は、かつての直江津捕虜収容所跡地にあります。

当日は、上越日豪協会代表の関勝さんと協会の方のお話をお聴きしながら、平和記念公園展示館に展示されている当時の様子や直江津捕虜収容所についての資料などを拝見しました。

・1942年(昭和17年)12月、古い倉庫を改造して東京俘虜収容所第4分所・直江津捕虜収容所が開設
・戦時中、オーストラリア兵やイギリス・アメリカ・オランダ兵など700名余りが収容
・厳しい寒さや飢えでオーストラリア兵60名が亡くなる
・戦後のB,C級戦犯を裁く横浜裁判で、当時の収容所日本職員15名が責任を問われ、そのうち8名が戦犯として処刑
・元オーストラリア兵捕虜の方達との相互理解と平和友好交流
・1995年(平成7年)10月、戦後50年の節目、世界の平和と国際友好の大切さをみんなで語り継ぐ広場として整備

・2000年(平成12年)4月、捕虜収容所に関する資料や展示館整備までの交流の足跡、上越日豪教会の活動に関する資料などが展示

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百年料亭 宇喜世

夕食懇親会では、「世の中を喜ぶ」気持ちが込められている料亭 宇喜世にて越後高田の旬(*)をいただきながら歓談の時間を愉しみました。

(*) 百年料亭 千年御膳
発酵文化が続く越後高田で100年以上続く老舗の食材(味噌・醤油・酒・飴・蒲鉾等)が使用されたお料理。老舗の創業年数の「和」が1,000年を超える歴史文化を食するお料理。

仕出し屋から数えると150年以上の歴史があり、地域を代表する歴史的景観資源のひとつ(国登録有形文化財)宇喜世の今昔物語を代表の大島誠さん(全国の料亭同士がヨコ連携して活動しているプロジェクト「百年料亭ネットワーク」の立ち上げ役)からお聴きしました。

そして、支配人の加藤公一さんから料亭のしつらえ、趣のあるお座敷をご案内していただきながら料亭内を見学することもできました。

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第97回高田城址公園観桜会

およそ1,300年前に国府がおかれた現在の上越市。
奈良時代から港町として「水門」とも呼ばれ、江戸時代からは北前船の寄港地ともなった現在の上越市。(参考:城下町高田まち歩きガイドブック

今回の知って・行って・観て・会って@上越では、ちょうど第97回高田城址公園観桜会の会期中となり、日本三大夜桜のひとつといわれる高田城址公園観桜会を夕食懇親会後に鑑賞しました。

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阿部理事による、すてきなお写真と一句。

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急遽、藤原理事長による夜桜ライブ配信も。

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坂口記念館・応用微生物学者/歌人 坂口謹一郎

「何か問題があれば、まず微生物に聞け」として、発酵・醸造・応用微生物学、バイオテクノロジー(生命工学)に関する微生物を生涯探究し続けた坂口謹一郎(愛称:坂謹)の記念館を訪ねました。

館長の笠原昇治さんより、坂謹の魅力や発酵の魅力について解説していただきながら見学することができしました。

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微生物からさまざまなかたちで恩恵を受けている私たちの暮らし、坂謹は古い枠の中でのみ研究することを習慣付けられた醸造学の分野を応用微生物学・バイオテクノロジーと呼ばれる広い分野に導いたといわれています。

<坂謹語録・坂口記念館展示資料より>
“何か問題があれば、まず微生物に聞け”

・麹菌の研究
・日本初の国産ワイン生産のきっかけとなるぶどう酵母の発見
・アセトン・ブタノールの生産、工業化に寄与
・ペニシリン生産の研究
・イノシン酸(かつお節などの旨味)、調味料旨味の研究
・チーズに生息する珍しいバクテリアの発見

“微生物を目に見える高等な動植物と同じく人類の福祉に利用する仕事は意識的にはやっとこれから始まるといってもよいくらいである”

”たとえあらゆる菌がいるとしても、いざ住みつくとなると容易なことではないのであります。そこには極めて複雑な基盤や条件が縦横に関係しているものと見なければなりません。地域の食の文化と微生物の関係もまたおそらく例外とはいえないのではないでしょうか”

ご縁をつなぐ坂謹
発酵微生物の探究者という枠を超え、人と人・人と地域とを結びつける魅力を備えた人物ともいわれています。発酵研究の最先端にいた坂謹は、発酵を用いた製品製造を目指す人たちにとって頼れる相談役だったそうです。

 ・鳥井信治郎と川上善兵衛
 昭和7年、「国産のぶどうを使ったワインの醸造を成功させたい、醸造の指導を頼みたい」と寿屋社長(現サントリー創業者)の鳥井信治郎(国産ウイスキーの製造販売やワインの輸入事業で成功)からの相談。国産ワイン醸造の先駆者(岩の原葡萄園創業者)の川上善兵衛を紹介し、3人で国産ぶどうを使ったワインづくりに尽力

・乳酸飲料カルピスの生みの親、三島海雲
 カルピスに続く新しい製品・ピルマン(フルーツヨーグルト)開発にあたり、坂口研究室に通い続け、助言を受け見事成功

・60年ぶりに黒麹菌里帰りと幻の泡盛「御酒」復活
 
1935年(昭和10年)春、坂謹が沖縄の酒造場の麹や発酵桶、周囲の土壌を回って採取した黒麹菌(沖縄の酒・泡盛づくりに欠くことのできない)を持ち帰り東京大学で凍結乾燥保存。その後の東京空襲激化のため菌も疎開(標本を命とも思う坂謹は高田などに分散)

 1945年(昭和20年)の沖縄戦により沖縄県内の黒麹菌全滅・首里の酒造業も壊滅したが、1998年(平成10年)那覇市の瑞泉酒造が戦前の味の復活を決断(琉球王朝時代に王府の置かれた首里には戦前100を超す造り酒屋)、60年ぶりに黒麹菌里帰り後、幻の泡盛「御酒」が復活

坂口記念館展示資料より

50歳前後から折に触れて歌を詠み、歌人としての風流な一面や色々な分野の人たちとの交流を深めた文化人としての坂謹の素顔、想いも記念館を通して受け継がれています。

こしのくにの しるしのはなの雪椿 ともかきこぞりて 植えみてませり

地元・頸城村(現在上越市)での疎開から戦後東京に引き上げる際に、「何か将来の村のために役立つものを、農村振興の一助になるようなものはないか」と考えた坂謹は、雪椿品種のコレクションと保存事業を発案し「雪椿保存会」を結成。

私財を投じて地元の文化人をはじめ、多くの人たちの協力を得て雪椿の保存育成に努め、現在約190本の椿と坂謹の歌碑が庭園「雪椿園」として記念館内で継承されています。

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今回の知って・行って・観て・会って@上越では、ちょうど見頃な雪椿鑑賞も叶いました。

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林富永邸・第75回NSP時局ならびに日本再生戦略講演会

歴史のいとを未来につむぐ「上越名家ネットワーク」のひとつ、幕末まで庄屋役を勤めた名家・林富永邸(築139年)も訪れました。移動中には、上越市制施行50周年を記念したブルーインパルスの飛行も見ることができました。

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歴史が息づく邸内を御当主の富永さんからご案内していただきながら見学し、御当主の妹さんで料理家の酒井さんによる上越の伝統食材を活かした発酵スイーツを苔庭を愛でながらいただきました。

 <林富永邸>
・1883年(明治16年)高田藩の御林であった土地に邸宅建設
(茅葺き屋根の主屋:けやきの梁や鴨居で構成された農民仕様のお部屋や
書院造りの座敷などの武家仕様のお部屋など)
・川上善兵衛と子弟関係にあった勝海舟も訪れたといわれている
・杉苔が敷き詰められた枯山水庭園、水田や山々を取り入れた借景庭園
 眼下に広がる水田を「うみ」
 西頸城の鉾ヶ岳や権現岳を「やま」
 北西手前の小高い丘陵を「みさき」に見立てられている

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第75回NSP時局ならびに日本再生戦略講演会(短縮版)として、藤原理事長による令和4年4月質疑応答も行いました。

「何が一番感動したか、いきとどいたお掃除ですよね。すごい人がいるなとしみじみ思いました」(藤原理事長談)

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ご参加くださった皆さんからの感想メッセージ

ご縁と共に「現場に行ってこそ出会える・味わえる」衣食住、働遊休知美健交を体感し学びや気づきを共有しながら、未来を創る発想や行動のきっかけをヨコにつなげていく「知って・行って・観て・会って」。

一山越えれば、一河越えれば、歴史も自然も資源も衣食住も違う地域らしさを愉しみながら、似ていることの嬉しさを発見する喜びも一緒に味わっていただいた上越の春。

インターネット検索情報だけではなく、ご縁を通して現場で体感する幸せ、共に考えたり、談笑したり、団欒の場にご一緒くださった方々からの感想メッセージをお寄せいただきました。

私はひとりでエステサロンを15年ほどやっていて、エステなので、けっこうきれいにしていたつもりだったのですが、今日、細かい薄汚れが気になって、気になって、、お客様用ハンガーラックもずっと取り換えておらず、今までは変える気はまったく無かったのですが、古さと薄汚れが気になってしまい、新しいハンガーラックを購入しました。

間違いなく、今回の新潟に参加したことでの変化だと思いました。

細胞が浄化されたのか、、精神的に浄化されたのか、、オンになった遺伝子が増えたのか、分かりませんが、藤原先生のいらっしゃる方向に引き上げてもらえた感覚があります。

これ、反対に向かってしまうとゴミ屋敷で生活出来てしまう人になっちゃうんですよ。

仕事が温熱のサロンなので、ワクチン接種された方からのシェディング伝播をもらってしまう事もあるのですが、トータルでは、崩壊後の世界が楽しみで楽しみで仕方がないです^^
参加して良かったです。とても愉しい二日間でした。
時間の経過を忘れる体験でした。

一番印象深い岩の原葡萄園について書きます。岩の原葡萄園の創業の歴史を知って感動しました。この地に来なければ一生気付かないで過ごしたことでしょう。

大地主の長男に生まれた川上善兵衛は7歳で五代目当主となり、14歳で見聞を広げるため東京に行き、勝海舟に出会い葡萄園を開拓し、ブドウを栽培、ワインを醸造して販売までの事業を志しました。これにより貧しい小作人たちが日銭収入を得て豊かになれると構想しました。家族、親戚すべての反対を押し切っての事業です。事前調査や研究中に先人たちが次々と経営破綻していることも分かったが怯むことなく、全財産を投入し、さらに大借金をしてやり遂げました。その成果は報われ、東宮殿下(後の大正天皇)が新潟地方に行啓された時、たっての希望で岩の原葡萄園を行啓されました。当時としてはまれなことだそうです。その時の東宮殿下のお言葉は「日本人が己一人の個人の力だけで、これだけの盛大な事業を起こしたことは、感心するばかりである。」と記録されています。

そのような歴史の積み重ねで醸造されたワインは何か宝物ように感じます。
日本の各地には埋もれた偉人たちがいて、日本の文明文化を育んできたのだろうと思いました。

やはり現地に行って全身の細胞で感じることがいいですね。
桜が満開の最高のタイミングで、美味しく楽しく新潟の発酵文化を体験させていただきました。

自分だけでは知ることができなかった日本の名所を訪問でき、現地の方々との交流、また、ご一緒した皆様からも沢山のことを学ぶことができ、貴重な旅となりました。ありがとうございました。

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おかげさまで、まるで時期を選んだかのように、美しい桜が満開で心華やぎ、空を眺めるとブルーインパルスが飛行しているという天候や環境にも恵まれた2日間を過ごすことができました。

今回のテーマの一つでもある「発酵=醸す」は、私たち日本人が食するもの、人とのつながり、文化など全てに宿っていて、大切なエッセンスがあることに今さらながら気づくことができました。

これまでの時代は、スピードが重視され、仕事の場では、熟成は疎か何でも即戦力を求められてきました。しかし、この激変により人々の意識も変わってくるように思います。恐らく、激変後には、日本の「醸す」というライフスタイルが注目されていくのではないでしょうか。

1日目のお夕食で寄せていただいた「宇喜世」は、ゲストを喜ばせる要素がたくさんありながら、どこか心が落ち着くという不思議な料亭でした。また機会があったら、再訪させていただきたいです。

最終日のお寿司屋さんで藤原先生が語ってくださった「お寿司の熟成」は、大変興味深い内容でした。素材の鮮度は勿論ですが、素材を仕込み、熟成させることで未知なる旨味が生まれ、さらには職人(握る方)の手からも
常在菌というエネルギーが加わって、格別な味わいを愉しむことができるのですね。お寿司(日本食)が世界から好まれるのも、頷けます。

もとより私たちの身体も日々醸していますので、これからは、岩の原葡萄園ワインのように味わい深い人生を送れたら幸せです。

そのためにも今回の学びを活かし、今後もNSPの皆様と良いつながりを熟成させ、紡いでいけたら嬉しいです。次回の前橋も参加させていただきたいと思いますので、引き続き、よろしくお願いいたします。

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二日間写真撮影にご協力くださった小川修さん、ありがとうございました!

現地でご縁をいただいた皆さんと北海道・岩手/佐渡移住・千葉・埼玉・東京・神奈川・長野・愛知・大阪など各地からご参加くださった皆さんのおかげで、新しい息吹を感じる上越でのすてきな春を愛でながらの交流、とても充実した二日間となりました。ありがとうございました!


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