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『響け!情熱のムリガンダム』を見たが

私自身インド古典音楽は好きだし、南のカルナータカ音楽も好きなので、南インドの代表的な太鼓であるムリダンガムをモチーフにした映画、ということで観に行った。

ムリダンガムの演奏は映画の割にしっかりした尺で聞けたし、音楽も後付けでなく実際に演奏していたので、大変にダイナミックでした。またムリダンガム工房の様子なども知れたので、そこも良かった。


では映画としてはどうだったのか。私は、昔からあるスポ根もののモチーフをムリダンガムに置き換えた以上のものではなかったと思う。

主人公はそれまで映画スターのファンクラブをやるなどして無為に過ごしていたのだが、街で喧嘩になりビール瓶でぶん殴られたのを治療してくれた看護師さんに一目惚れ。看護師さんを追いかけ廻すも、「もっと意義のあることしたら?」の一言でムリダンガムに打ち込むようになり、様々な苦難を越えてムリダンガム奏者として成功する、というもの。

そもそも主人公がムリダンガムに打ち込むきっかけについては、一応実家がムリダンガム工房だったという建て付けはあるが、それまでムリダンガムに何の興味もなさそうだったのが急に脇目も振らずに打ち込み出すのは、やはりストーリーの必然性としてやや弱いような気がするし、何よりカースト・出自の問題、またインド古典音楽における男尊女卑的な体制の問題、果ては「南インド古典音楽の中では打楽器は声楽より下に見られている」と嘆いていた主人公のお師匠さん(大竹まことそっくり)が南インド打楽器の中でもムリダンガムが1番だ、という入れ子構造のヒエラルキーに絡め取られていたりと、複雑に入り組んだ問題がそこここでちらりと顔を覗かせるにも関わらず、それらの問題に対して映画の中できちんと向かい合うことはなく、何となく主人公が成功してしまう。主人公が出自を乗り越えて成功できたのも、「無茶苦茶に頑張ったから」という域を出ないのも苦しいところか。


映画というフォーマットにするのであれば、この作品の中で乗り越えられないといけないものがあると思うし、それはムリダンガムをモチーフにするのであれば、ムリダンガムでなければ乗り越えられないものでなければならないと思う。この映画は、メインモチーフがムリダンガムだろうが切手蒐集だろうが、この筋立てが成り立つのではないか。

音楽や絵画、文学、況や映画そのものにおいても、表現形式は所詮表現の手段でしかないのだから。


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