見出し画像

転職で得たものと失ったもの

人生における大きな選択を振り返ってみる。進学、就職、結婚など選択を求められる場面は人並みにあったけれども、不思議と選択を誤ったと思うことはなかった。運が良かったのか、ポジティブ思考によるものかはわからない。たぶん両方だろう。

そんな数々の選択の中で、明確に自分の人生を変えたと思うものが1つある。転職だ。就職と転職は似ているようで全然違う。就職は学校を卒業するなど、人生のしかるべき時期がきたら半ば強いられる、言わば受動的な選択だ。一方、解雇など特殊な場合を除いて、転職は多くの場合能動的な選択であり、終身雇用が過去のものになりつつあるとは言え、一度も転職を経験しない人も少なくないだろう。私自身、どちらかというと保守的な性格だから、進学も就職も無難な選択をして、生涯転職なんて経験することはないだろうと思っていた。

転職のきっかけ

私が転職をしようと思った直接のきっかけは、所属企業の不祥事だった。名前の知れた大企業に所属していたので、不祥事は連日のようにニュースとなって世間を賑わせた。そんな不祥事が自分の仕事や立場を危うくしたかというと、実は全然そんなことはなかった。私は事業部門ではなく、研究開発部門に所属していたので、職員たちは不祥事が事業に与える危機を肌感覚として直接に感じてはいなかった。会社の上層部は社内よりも社外への対応に追われていて、職員たちが不祥事の最新情報を知るのはヤフーなどのネットニュースを通じてであり、今日はこんなニュースが出ていると職場で話題になることもよくあった。自分の所属している会社の行く末を左右するようなことを、ネットニュースで知り、まるで他人事のように話をしている。私はそれがとても不健全に感じて、たまらなく嫌だった。ある年の末、また大きなネガティブニュースが出て、年明けから転職活動をすることに決めた。

転職を後押ししたことがもう1つあった。その年は、私が大学院を卒業し、就職してから10年の節目であった。15~25の10年間が高等教育の期間であり、25~35の10年間が仕事人として一人前になるための期間であるとすると、次の10年を新たな場所でスタートすることは、非常に好ましいことに思えた。またウソかマコトか「転職35歳限界説」というのは耳にしたことがあったので、ぎりぎり34歳のうちに転職を決められるというのも、ちょうどいいタイミングだった。

そうして、2カ月ほどの転職活動であっさりと転職を決め、社会人の11年目を新しい会社で迎えることとなった。

転職で得たもの

転職という選択は、私の人生を大きく変えた。転職で私が得たと思うものが少なくとも3つある。その話をしよう。

会社の相対化

転職して2つの会社を知ったことで、会社というものが自分の中で相対化された。1つの会社しか知らなければ、その存在は自分の中で絶対的なもので、会社といえばこういうもので終わってしまう。2つの会社を知ったことで比較対象ができて、会社は絶対的なものではなくなった。前の会社の当たり前が、世の中の会社の当たり前ではないことを知った。今の会社の良いところが、前の会社を知っているからこそよく見える。これは強みだ。今の会社は、外から来た人が多く活躍している。多様性のある組織は強いし、多様な価値観を知っている人も強い。

出会い

会社や職種にもよるだろうが、同じ会社で働き続けていると、ある程度決まった人たちと仕事をすることが増えてくる。自分の場合は、異動の少ない研究所で10年間大きな環境の変化がないなかで仕事を続けていたので特にそうだった。
転職先は人脈は0からのスタートだったけれど、配属先の仲間に恵まれたことや、今の仕事が社内・社外の色々な人と関わる仕事であることもあり、転職してから本当に多くの出会いがあった。関わりの浅い深いはあるけれど、たぶん数百人と仕事で関わったと思う。
出会いの質にも変化があった。不思議なもので組織に属する人は、なんとなく組織のカラーがにじむものだ。前の会社と今の会社では、出会う人の印象や受ける影響が違うのだ。多くの出会いを得たことは、転職で得た一番大きなものだと思っている。

自身の変化

価値観が相対化し、色々な属性の人たちと出会ったことで、自分自身にも変化があったと思う。これも転職で得たものだろう。仕事に対する考え方、周りの人との関わり方、以前の自分とはずいぶん変わったなと思う。
以前の自分は、キャリアアップにもほとんど興味がなかったし、あまり人と関わるような仕事を望んではいなかったし、専門性を追求するような働き方をするつもりだった。
今は、色々な人と関わる働き方を楽しいと思うし、専門性は自分の1つの強みとしながらも、マネジメントのキャリアを進もうとしている。
以前の自分が今の自分を見たら信じられないような変化だと思う。自分の選択が自分をこんなにも変えることがあるのかと、自分自身に驚きを感じる。

転職で失ったもの?

得たものだけでなく、失ったものも書かないとフェアじゃないだろう。しかし、正直なところ失ったものはよくわからないのだ。失ったものに関して1つ印象に残っていることがある。それは前の会社を退職する直前にお世話になった先輩と食事をしたときに、先輩から言われた言葉だ。「辞めることで失ったものは思っているより大きいよ」。そう言われた。金銭的なことなのか、会社内で出世して得られたであろう地位のことなのか、この失ったものがなんなのか今もってわからない。結局のところ、選ばなかった選択で得られたであろうもの(≒失ったもの)など、知ることはできないし、知ろうとする意味すらほとんどないと感じる。
ただそれだけではつまらないので、1つだけわかりやすく失ったものについて記しておこう。おそらく退職金については、転職によってかなり損をしたと思う。退職金というシステムは、勤務を継続して積み上げていき退職時に受け取るというものだけれど、勤続年数が短いときに退職すると受け取る額にかなり大きいマイナスの補正がかかる(もちろん制度は会社によって違うと思うが)。これに関しては終身雇用時代の遺物なのだと思うが、雇用の流動性を阻害する側面があり時代に合わなくなっている。

まとめ

あらためて転職という選択を振り返ってみて、思い浮かぶものは選択によって得たものばかりだった。選ばなかった選択の未来を知ることができない以上、どんな選択であっても選んだものが全て。それをどう捉えて、どう生きるかが人生なのだろう。ただ「あの選択をしたから」というテーマで改めて考えてみたときに、人生に大きな変化をもたらす選択というのは、人生をより良いものにする大きな可能性を秘めていると感じた。もし現状に閉塞感を感じているのであれば、変化を生む選択に飛び込んでみてはどうだろうか。

#あの選択をしたから

この記事が参加している募集

転職してよかったこと

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?