へる

子どもがいる人にこそ読んでほしい。村上春樹の「蜂蜜パイ」

赤ちゃんの寝顔を見ていると、心がぎゅっとなる経験をしたことがないだろうか?私は毎日している。そしてぎゅっとなる度に、こんな感情を今まで持ったことがないから、自分の中に生まれたこの複雑なものは一体なんなのだろうかと思った。

かわいい。もちろんそうなのだが、その中に一欠片の「失う恐怖」みたいなものが含まれていて、それを感じてか「この子だけは何があっても私が守るのだ」という義務感と共に、存在の尊さにひたすらにひれ伏す。こんな集合体が胸をぎゅっとさせているのではないか。今ぱっと文字にできるのはこんな感じだ。

そしてこの感情を持った時、大学生の時に読んだ村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」の中の「蜂蜜パイ」という小説が私の頭の中にふっと現れた。葬儀やらでたまに会う遠い親戚のおじさんみたいに「やあ、久しぶりだね」という声を出しながら、それは突然親しみを持ってやってきた。人生でこういう場面が何度かある。こんな時私はなるべく早くその小説を読むようにしている。きっと小説側から「あなたの読むべき時がやっときたよ」と言われているような気がして。話の概要はwiki先生から引用するのでこちらをご覧いただきたい。

兵庫県西宮市で生まれ育った淳平は神戸の私立進学校から早稲田大学に進む。商学部と文学部の両方に合格したが、両親には商学部に入ったと嘘の報告をし、迷わず文学部を選んだ。淳平の望みは小説家になることだったからだ。入学してすぐに、同じ学部の高槻という男と小夜子という女と友だちになった。彼らは親密なグループを形成し、三人で行動するのを常とした。時を経て、淳平は36歳になった。それまでに4冊の短編集を著し、数冊の音楽の評論集を上梓し、庭園論の本を書き、ジョン・アプダイクの短編集を翻訳した。高槻と小夜子は結婚し、沙羅という娘を生んだものの2年前に離婚してしまった。小夜子に結婚を申し込むことについて、淳平は真剣に考えたが結論は出ない。そんなとき、阪神淡路大震災が発生する。日曜日、淳平と小夜子と沙羅は動物園に行く。淳平はそこで蜂蜜とりの名人である熊のまさきちと、その友だちのとんきちの話を沙羅に向かってする。

概要だけみるとなんてことはないのだが、この概要には一点この小説の重要な点が抜け落ちている。それは娘の沙羅が神戸の地震のニュースを見て以降「地震男」という知らないおじさんに毎夜起こされて、恐怖で泣き喚いてしまうようになってしまったこと。どうやらその地震男は沙羅を小さな箱に入れ込もうとしていること。

この不可思議な体験と三人の関係がどうなるかは中の小説を読んでいただきたいのだが、私はこの小説の最後を読んで、泣きそうになってぐっと堪えた。泣くべきではないと思ったから。そして、やはり今読むべき物語だったと思った。

最後にこう書いてある。

これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人をしっかりと抱きしめることを、誰かが待ちわびているような、そんな小説を。でも今はとりあえずここにいて、二人の女を護らなくてはならない。相手が誰であろうと、わけのわからない箱に入れさせたりはしない。たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても。

ああ、私がつむぎさんを見る時の心のありようはこれだ、とぴたりとはまった。自分の心を解くような物語を読むと、なんだか身体が軽くなり、中からエネルギーがわいてくる。よし、今日も一日しっかり生きねばという決意が。この決意のようなものをしっかり持つのは社会と離された育児中は意外と大変で、どうでもいいたくさんの情報に気を散らされたり、やらなければならないことをただ片付けていると消耗するだけで、エネルギーが生まれてこない。でも、子どもを育てる上で親自身が一番大事にしなければいけないことはおそらくお金でも教育でもなく、今日この一日をしっかりと生き抜く決意だと最近思う。

別に間違ったり、怒ったり、悲しんだり、できなかったことがたくさんあってもいい。それがこの決意の上で起きたことであれば、みな正しいことなのだと思う。というか、そう思いたい。そうあってほしいと心から思う。

そんなことで、赤ちゃんを見て胸が締め付けられられる人、何かに言いようのない尊さを感じている人には村上春樹の「蜂蜜パイ」を私の全想いを込めておすすめする。

つむぎさんにまた一つ、教えられたことが増えた日である。


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