わたしは横たわり、嵐が過ぎるのを待った

昨年だったか「排除アート」という言葉を知った。駅などのデッドスペースに「アート作品」を配置することにより、そこにホームレスの人が居座るのを阻止するのが目的である。阻止まるわかりの柵や格子を設置するよりも優しい印象を持たせる意図があるようだが、「芸術」を用いて間接的に彼らを遠ざける手法が、かえって冷酷さを強調しているようでもある。そういえば近隣の駅の、四角いらせん状階段の真ん中部分にも花壇が置いてある。ちょうど雨風をしのぐことのできそうな空間だが、そこにホームレスの人が横たわれないようにするために花壇を置いたと思われる。

この排除アート、牧師という仕事がらホームレスの人とかかわることもあるので気になるというのもあるが、わたし自身の体験から身につまされることもあるのだ。

わたしは以前、繁華街などでとつぜん過呼吸に襲われ、吐き気に苦しむことがあった。嘔吐することはないのだが、えづいたり、激しい呼吸が収まらなくなったりする。動悸は激しく、手足は痺れ、こわばり、指や口はひきつり、とにかくどこかで休みたくなるのだ。わたしがその症状に襲われていた当時は、まだ商店街や公園に長椅子があった。わたしはそうした椅子に身を横たえ、苦痛が去るのを待ったものである。空あるいはアーケードを見ながら「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と呼吸を落ち着けるのである。

椅子が見当たらない場合は、階段の下とか柱のすみなどにうずくまった。人目が恥ずかしいけれども背に腹は代えられない。とにかく体を横たえ、じっとした。ビルのあいだの隙間に隠れて横たわったこともある。そのまま少し眠ったことさえあった。とにかく、そういうことをしながらでないと、わたしは長時間外出することは難しかったのである。

もしも今、そういう症状に襲われたらどうだろう。ベンチというベンチには、真ん中にこれみよがしな手すりがついている。横になることは不可能だ。柱のすみには植え込みや「アート」がある。やはりうずくまることはできない。最近こんな光景を見た。再開発された大きな駅で、酔ったおじさんが柱にもたれかかり、しゃがんだ。するとすぐに警備員が飛んできて彼を連れ去ったのである。駅にはゴミひとつ落ちていなかった。おじさんもゴミも、ただちに片付けられるというわけだ。今わたしが過呼吸に襲われ、いつもの治る儀式どおりにどこかへ横たわったとしたら、やはりすぐに片付けられてしまうのだろう。そうやってきれいな都市は維持される。

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