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ジョン・コルトレーン
ケニー・ドーハム
ソニー・ロリンズ
キャノンボール・アダレイ

最近は古き良き古典ジャズを寝落ち用BGMにしている。

これまではお気に入りのポッドキャストだったり自然音BGMを流していたが、結局消してしまった方がスッと入眠できたりすることが多かったので、試行錯誤の末にジャズに行き着いたというところ。

音量をギリギリ聞こえるか聞こえないかぐらいにまで下げて布団に潜ると、ちょうどよくサックスの音色が脳みそをくすぐってくれるような感覚になって心地がいい。
この感覚にだいぶ助けられているような気がする。


18歳で実家を出てからは、あまりにも睡眠を大切にしてこなかった人生だった。

大学で在籍していた水球チームは朝練を6時半からやっていた。
朝5時半には起きて身支度をして自転車を飛ばさなければ間に合わない。
万が一遅刻をすれば、練習終わりに「謝罪会見」をやらなければならないという謎風習もあったので、なんとしてでも寝坊は避けなければならないという雰囲気もあった。

早寝をすればええやんという話なのだが、
当時はキャンパスから列車で数十分離れた飲食店で終電までバイトをしていたので、家に帰り着くのは午前1時ごろ。
そこからシャワーを浴びて翌日の準備をして眠りにつくのは2時ごろだったので、ほぼ毎日3時間睡眠という状態だった。

今思えば、あんな状態であんな激しいスポーツをやって授業にも出て、よく死なずに済んだもんだと思う。

大学院に進んでからも社会人になってからも、入眠時刻が日付を超えなかったことはあまりなかった。
ストロングの缶チューハイを睡眠導入剤がわりに飲み漁るようなザマだった。

うつ病になってからはさらにひどくなった。
パートナーがいた時期こそまだ良かったものの、別れて一人になり、さらに休職が始まってからは、布団に入っても全く眠れず、明け方になって日が差してからようやく眠気が襲う、というパターンがしばらく続いた。
「また今日もこれか…」と絶望感に浸りながらかろうじて睡眠を確保しなければならない状態は、なかなかに辛いものがあった。

それが、運動を再開させ、栄養面も少しずつ改善させられるようになってから変わってきた。
現在はオールナイトのDJイベントなんかにお出かけする時以外は、日付を超えてから眠りに入ることはほとんどない。

今、巷にはよく眠れると噂の入眠グッズや、「こうすれば入眠も目覚めもスッキリ!」という”科学的な”睡眠法が溢れている。

俺も時にはそういうものに頼りたくなるような気持ちになったことが多くあるが、今はさして興味がない。

結局、よく眠れるかどうかというのは、「起きている時間にどれだけ自分を大切にできているのか?」にかかっていると思うからだ。
ここ10年の経験から出た結論はそういった所だ。

言い換えれば、睡眠というのは、「ちゃんと自分を大切にしていますか?」と毎日自分の身体に問われる、いわば小テストのようなものなのかもしれない。

ほぼ毎日満点を出せる人は少ないと思うし、そもそも高得点を狙う必要なんてないのかもしれない。
でも、人間は眠っている時だけ身体のメンテナンスを行っているのではなくて、起きている時間の過ごし方によってその精度を決定づけられているとしたらどうだろう?
忙しく動き回ったのに全く眠れない日もあれば、一日ゴロゴロしていただけなのにぐっすり眠れる日もあるだろう。
結局大切なのは、使った体力の多寡ではなく、その時々で自分の状態や役割に対して誠実であれるかどうか、その一点なのかもしれない。

そんなことを考えながら、今夜もプレイリストをいじる。
今夜はアート・ブレイキーとかにしてみようか。
ジャズの知識がある方ではないので、造詣の深いおじさまたちからは「ブルーノートを寝落ちに使うとは何事だ!!」とか怒られるかもね。
まあいいや。

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