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広告コピーが「ずっと読まれる」理由とは? ー『0才から100才の広告コピー』によせて


これは『0才から100才の広告コピー』という本の書評なんだけど、ちょっと最初に告白しとくと、私は広告というものが……そんなに好きじゃなかった。

だって自分の買うものは自分で決めたい。面白いドラマの合間に入るCMも、パソコンの画面にちらちらうつる宣伝バナーも、電車でやたら脱毛と英会話を喚起するポスターも、必要ないよ、と思ってしまう。欲しくないものがざらりと視界に入ってくるのはストレスだ。ほら買いたいだろ、って言ってくる広告たちには、そう言うきみたちはこの商品を欲しいと思ってんのか、とちょっと毒づきたくなる。

だから広告コピーなんてのも、なんとなく、「うまいことを言えればいい」という、言葉に対する「ほんとうっぽくなさ」が蔓延してる感じがして、そんなに好きじゃなかった。商品を売るためにうまいことを言うなんて、ナンセンスでしょ。


しかしこの度、私が世界で一番お世話になっている出版社であるライツ社さんから『ずっと読みたい0才から100才の広告コピー』って本が出たっていうじゃないですか。しかもライツ社さん、この本だけじゃなくてたしかほかにも広告コピーの本だしてるじゃないですか。

なんとこの本、年齢ごとに広告コピーが用意され(たとえば0才ならこのコピー、100才ならこのコピー、と)。いくつであっても自分の年齢のためのコピーが用意されている、という本になっている。


あらためてこの本の表紙を見てみると、そもそも広告コピーって「ずっと読みたい」って言われるもんなんだな、と、気づく。私の思う広告コピーってわりと一過性のものというか、ある時期に生まれて流されてそんで消えてくもんだと思ってたけど、この本のコピーはちがうんだ、と。

って思いつつもしかし広告に対する不信感をぬぐえない私(頑固)は疑心暗鬼のまま本をぱらぱらめくってみると、POLAとか養命酒とか積水ハウスとか福井新聞とか神戸女学院大学とか、まーこんなに世のあらゆる企業と商品には広告コピーがあるのか、とおどろいてしまう。


そんで、思う。

いまの自分が住んでいる世の中って、「企業」がつくってるんだもんなぁ、と。



世界は仕事でできている、なんてのもどこかの広告コピーだったと思うけれど、だれかの仕事が商品になり、私たちに売られて、私たちが買って、それを使って、私たちは生き延びる。

服を買い、食材を買い、切符を買い、本を買い、最近では恋まで買う世の中だ。どうしたってだれかの仕事のおかげで私の人生はできている。生きてから死ぬまで。それこそ、0才から100才まで。

その、商品と私をつなぐ言葉が、広告コピーだとするならば、たくさんのだれかの仕事と私の人生をつないでくれるのもまた、広告コピーだ。

……ほんとうに、そうなんだよな。


29才のときに「手紙だと、両親に敬語になる不思議。(2012年梅園会(ペン習字)のポスターのコピー)」って言葉にふしぎと共感したり、
19才のときに「好きな人に、裸より先に見られるのは、お部屋です。(2010年ハウスメイトのコピー)」って言葉に苦笑したり、
99才のときに「ねえ、ケンちゃん、ポッキー、食べますか?(2013年ポッキーのラジオ中の台詞)」って言葉にきゅんときたり……、する。のかもしれない。まだ99才になったことないからわかんないけど。

その無数の人生のかけらが、広告コピーっていう、みじかい言葉になっていて、「くそう、いい話じゃないか」と、降参しかけてしまう。



人生の、いろんな瞬間の感情を言葉に残すのって、意外と難しい。写真を撮ればその時の表情は残っているんだけど、感情は残らない。言葉にしないと。何を考えていたのか、何を考えているのか、想定よりも人は時間を経て忘れてしまう。19才のときのことは、29才のときに、ほら、わりと忘れてるし。おおざっぱにしか残っていない。

でも不思議なことに、19才の時にきゅんときた言葉を29才で読んだとき、ものすごく鮮明にありありと10年前の――つまり19才だった時の自分の、感情を思い出したりする。

不思議なことだけど。ほんとうに。

うわーこの歌詞に中学生の時共感したんだよな、とか、この本の台詞が大学生の時好きだったんだよな、とか。


そしてだからこそ、こうやって年齢ごとに「あなたの歳に読んでもらいたい広告コピーはこれですよ」って教えてくれる本は、読まれ続けることができる。

うん、どうやら私が思っていたよりも、広告コピーは読まれ続けることができるらしい。驚くけど。実際は一時期の商品CMのために作られた言葉だとしても、こうやって本にすれば、人生のなかでずっと読まれる広告コピーになり得るんだ。なんだか感心してしまう(っていうと上から目線だな)。



人生は続くし、広告コピーは生まれ続ける。

なぜなら誰かがどこかで私を生かすための仕事をーー服とか本とかごはんとかお菓子とかドラマとかネジとかプログラミングとかーーし続けてくれているからだ。

この本を読めば、人生の、いろんなところで支えてくれて私を生かしてくれる、たくさんの商品や企業や企画の「コピー」を、本のなかで、めくることができる。ひとことで人生を語ってくれる言葉を見つけることができるし、なんならいまいちばん共感できる言葉をさがしたくなる。そんでできれば、10年後にその言葉に共感できるかどうか、ちょっと試してみたい。


ちなみに私はいま25才なんですけど、25才のコピーがわりと好きでした。

あなたは何才のコピーが好きですか?




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