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自己探究・自己理解は究極の「自分教」

「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ Poison」
と反町隆史がうたい、日本中のリスナーが「Poisonとは」と疑問を胸に抱えながら誰にも聞けなかったのが26年も前。

それからSNSが出現し、
誰もが言いたいことばかり言うようになったこんな世の中の時代のPoisonは
「いろんな人がいろんなことを言いすぎて、振り回されている」
「自分に確信が持てない」
なんじゃないでしょうか。

「なぜ講座で自己分析をやっているのか」と聞いていただくことがあります。
それは「自己探究・自己理解で見つかるもの =自分教」 だからです。

教祖はじぶんひとり、 信者もじぶんひとり。

冒頭の話に戻ると、今はSNSで色んな人がいろんなことを言うじゃないですか。
今や一億総教祖時代です。

真面目で向上心の強い方ほど周囲の強い言葉に流され、自分の考えが正しいという確信が持てず、正解探しを続けてしまう。

「稼ぐ女性が素晴らしい」もひとつの宗派。
「母親は家にいた方が良い」のもひとつの宗派。

世の中の数ある宗派の中でわたしは
【世の中のいろんな宗教に入信するのも悪くないけど、たまには自分を教祖にしてみないか】 という宗派を採用してます。

どんな主義が自分自身と家族にとって良いのか、あるいはどっちでいいと思えるのか、自分で決めたらいいのです。

自己探究講座の中ではさまざまな方法でアプローチをしているのですが、
そのひとつに心理統計学を採用しています。

世の中には数多くの「〇〇診断」と言う統計学がありますが、それの何がいいかって「答え合わせから考察・深掘りができる」からなんです。

でも「診断結果で〇〇タイプだったから、××が向いている」と言う単純な使い方だと意味がありません。その人だけの過去の経験や感情を棚卸して、紐づけてこそはじめて腹落ちと確信が生まれます。

また、自分で心理統計学が使えるようになると、ほかの人がなぜその宗派を採用してるのかを高い確度で推察できるようになります。

自分とほかの人の素質の違いがわかるから、人の魅力を素直に称えられるようになるし、人と比べて落ち込むこともなくなる。

ほかの宗派とどうコミュニケーションをとれば良いかがわかるので、負のエネルギーを使うことがないんです。

もちろん自己探究してもブレたり迷ったりすることはあります。
自己理解したからって一生モヤモヤしないとかはないです。

でも自分自身で立ち返ることのできる指針を持っているかどうかって大きいと思うんですよね。

サポート本当にありがとうございます…! コメント等でお題のリクエストいただいたら、それについて書きます!