見出し画像

"母"を解体するアートプロジェクトを経て

 "母"という言葉を解体するアートプロジェクトに縁あって関わることになり、アーティストやリサーチャーの方はじめ、多くの方の想い、そして思いやりに触れた半年を過ごした。
その過程が一冊の本にまとまり、昨日、座談会の席で頂いた。

読んで、嗚咽した。

子育ての辛さは、今までにもいろんな方に受け止めて頂いたので、そういう意味では私は不幸ではなかった。でも、アートに関わるというそのために子どもと離れること、それは誰かに「良いと思う」と言われたからといって、"真に良い"ことにはならなかった。
おそらく、同じ言葉であっても、私はアートの価値を知る人の言葉が欲しかったのだと思う。

私は別に自分と違うものに価値を見出した人や、違うことを生活の軸にしている人を否定しているのではない。彼らにとってのそれもまた、私にとってのアートであるとすれば。
大事なのは、想像力と、想像力もまた万全ではないという謙虚さだと思っている。

プロジェクトそのものは、私達の安全を確保することを最重要とした上で進められた。とても感謝している。
加えて、そこにはもう一つの奇跡があったように思う。
一緒にプロジェクトに参加した方たちは、実はプロジェクト以前から、ある活動を通し、お互いを知らずとも繋がっていた。その前提(理念の共有に近いだろうか)があって、安全が確保された部分はあると思う。
残念ながら、"母"同士だからというだけでは、安全を確保できない。母同士は、時に激しくぶつかり合う。
母は、自分が生んだ子以外を知らない。知ろうと思えば、学ぶしかない。ここでも、想像力とその不完全さを理解することが必要になるが、母たちにそんな時間はない。そうしようと思わなければ、自分の子以外に関わる必要はないし、日々をやり過ごすだけでも精一杯だと思う。
これに対しても、私に非難する意図は全くない。それは母たちの責任ではないからだ。学ぶ環境のない学生と同じで、仮に学びたいと思っても母たちにそれは容易ではない。

私自身は、学ぶ必要を感じながら、その環境の整えられないことに心折れそうになりながら、このプロジェクトに参加した仲間やその他の同志の存在に支えられながら、諦めてしまいそうな気持ちに日々抗っている。
子育てにおいての私の願いは、親も子もそれに関わる誰もが受け止められること、ただそれだけなのだが、それはあまりにも難しい。置かれた環境によって、そして各々の個性によって定まっていく生きるための軸、要するに価値観の違いは、どうしても傷つけ合う悪循環をうむ。

冊子を読み、ケアの場に、ある程度閉ざされていることが必要なのを再確認した。軸が違うことは対話を必要とするが、それは非常に気力と体力を必要とする。ケアの場に、それを求めるのは酷だ。
私は、何度となく、プロジェクトの最中に涙を流している。傷つき、気力も体力もなく、それでも参加できたのは、安全だったからだ。もし、このプロジェクトがもっと開かれたものだったら、思いがけない言葉に傷ついたかもしれないと思う。
人を意図的に傷つけようという言葉かけは、子育ての場にそんなに多くはないと思う。むしろ、元気づけようとか、応援しようとかいうものが大半だろうと思うと、傷つく私が悪いと思ってしまう。
そういうことがなかったことを思っても、このプロジェクトが"母"ではなく個人を気にかけて進められたものだったことがよく分かる。
個人として、"母"を私の一面として見てもらえたことで、"母"として不完全だった私は、"不完全な母である私"になった。"母"は、たしかに私にとっても解体された。

問題は、私が解体からの再構築に耐えるか、である。
プロジェクトへの参加が終わると、私はあっけなくもとの生活に戻ることになった。母の日常は、あと一つここに何か積んだら崩れる積み木のようなもので、危ういところで成り立っている。だから、今より少し先の未来の私が、手間がかかる再構築より、解体したものをもとに戻すだけの道を選んだとしてもおかしくない。だから一歩、たった一歩で良いから、早く前に進みたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?