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『寅に翼』を見て〜常識の範疇をちょっとだけ出るということ〜

 子どもらが通園、通学するようになったおかげで、生活にゆとりができて、子供が生まれる前はよく観ていたNHKの朝ドラを、また観れるようになった。

 小説を書くのが好きなので、登場人物の性格やドラマの展開を、「なるほど!」「さすが!」「よくできているな〜」と、一人で頷きながら観ている。

 今週、主人公がついに弁護士になった。が、共に頑張ってきた仲間は諦めるしかなかったり、試験に落ちてしまったり……。
 どうして主人公しか弁護士になれなかったか考えてみると、華族出身者は家の存続のため、外国人は肉親が思想犯の疑いがあるため、離婚された主婦は子供を夫に奪われないため、志ゆえに男装している者は試験で落とされたため、と、そんな風に描かれている。
 ここから分かるのは、主人公だけが”適度に”常識を外れているということだ。だから、ただ勉強を頑張るという当たり前のことだけで試験に合格できる。

『寅に翼』を観ていると、常識の壁がいかに厚くて高いかが感じられる。

 朝ドラを観て、自分の立場を振り返る。今は女性が働いているのが当たり前になってきたが、人の頭の中はそう簡単に変わらない。自分自身、常識の範疇を出ないため、人生のあらゆる選択をしてきたことを認めずにいられない。
 たとえば、結婚。常々、男女共に、結婚しているか否かが個人を判断する材料の一つとして考えられていることを、何気ない会話の中で感じて、おかしいなと思いながら、自分は結婚して子供を産んだため、ごく一般的な人として気にもされずに過ごせるのを安堵してもいることに、自分でもやもやしている。

 ドラマや小説の良さの一つは、そういう自分の姿を作中に鏡のように見ることだと思う。私は、作品世界の登場人物の周りにいる常識的な世間の人の一人である。主人公級になれるかは、努力次第だと思うが、少なくともエンドクレジットに出てくる名前のある役柄にはなりたい。もちろん、反常識の方で!(笑)

 しかし、常識に合わせるべく適度に折れられ、なおかつそれを意識せずに幸せに過ごしている人を批判する気はない。そもそも、自分が常識の範囲を出ないという安全地帯に居て、偉そうなことは言えない。それに、個人の幸せと、常識の壁を打ち破って新しい世界を作ることは、場合により両立しない。個人の幸せを犠牲にしろとは、誰も言えないと思う。常識とそれに反発する割合は、個人が自分で決めることである。

 しかし、今の常識で認められていない個人の幸せがあることも事実だ。たとえば、そもそも結婚を認められていない同性カップルは、どうしたらいいのだろう。そういう人たちに、常識に合わせて適度に折れることを勧める気にはなれない。

 朝ドラでこれだけいろんなことが考えられるのだから、創作は偉大だと思う。ひとり時間も取れるようになってきたので、私も創作に励みたいと思う。創作を通して、まだ見ぬ世界をどんどん見えるようにしていきたい。

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