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混沌としたクラスの先に「世界」を見た。

私の通う語学学校のクラスがわかりやすく学級崩壊しかけている。

学級崩壊に世界標準があるかはわからないけれど、クラスの状況はだいぶ悪い。日本人の私から見たら「動物園以上、学級崩壊以下」という感じだろうか。かなりギリギリな感じがある。


いくつか要因はあるのだが、概ね理由はこんな感じだ。


①クラス内のレベルの差がありすぎる

今のクラスには、

* 来る前に少しも勉強していない、完全な入門レベルの人
* ひとつ上のクラスが開講されず、下のクラスに来ざるを得なかった人

という人が混在している。
そのために先生がドイツ語で言っていることが一言でわかる人と、何を言っているのかさっぱり分からない人がわかれる。

私と同じく行きたかったクラスが開講されずこのクラスにいる人のひとりがアルバニア人の彼女だ。私は心の中で彼女を「ハーマイオニー」と呼ばせてもらっている。(笑)

彼女は「ハリー・ポッター」の中で登場するハーマイオニーと同じくとても優秀で、向学心も正義感も強い。
彼女は先生の質問に指名されるまでもなく瞬時に答えようとする。海外の大学の学生は「片方はペンを持つ手、片方は手を挙げるために空けておく」みたいな話を聞いたことがあるけれど、そのイメージ通りのすごく授業に前のめりな人なのだ。
私は「もっと頑張ろう!」と刺激をもらっているのだけれど、もちろん弊害もある。

1番の弊害は、完全な入門レベルの人たちが置いてけぼりになるということだ。ここは先生が気をつけながら回答者を調整してはいるのだけれど、やはり理解のスピードが違うので差が埋まらない。

その上、ドイツ語がほとんどわからない人たちにドイツ語で説明し続けても埒が明かない時がある。
その場合先生は英語を使って解説するのだけれど、このクラスは非英語圏の人も多く、私のように英語での解説も理解できない人もいる。
英語は全員をフォローする言葉ではないのだ。

しかも私のように事前にドイツ語を勉強してきたならまだいいが、英語がわからない完全な初心者もいる。結果、授業が進むほど完全な入門レベルの人の中でも差ができてしまう。

ただ、語学学校自体が事前学習を求めているわけではないし、英語がわからない人は授業を受けてはいけないという制限もないので、こうなるのは仕方がない。


②足を引っ張り続ける人がいる

教科書の超序盤。
日本語の「クランケ」にじわじわくる。

私は語学学校に通う以上、宿題をこなすのにプラスして、予習と復習をするのは当たり前だと思っていた。

語学学校は現地の言葉であるドイツ語で授業が行われると聞いていたし、きっと先生がわかるのも英語くらいまでだろうと思っていたので、事前に勉強もしていたし、今も毎日3時間くらい自宅で勉強している。

これは私がもう4ヶ月ドイツに住んでいて、フルタイムで働いているわけでもないし、家族の世話などもほとんどいらないからこれだけの時間が取れている。
ただ、宿題をしながら「授業後に分からなかったところは自分でも調べてみる」というのは、大抵の人がやるものだと思っていた。


正直なところ、私は日本でこんなに真面目に勉強をした授業はない。
けれどそれは、言語が通じる環境でいつでも質問ができるし、授業を受けながらなんとか理解できる割合が高かったからだ。(もしくは完全に投げ出していたから。笑)

しかし外国での言語学習の場合、質問すらままならないこともある。
せっかく学校に来ているのに、何も理解できなかったらもったいないし、ついていけないことへの焦燥感も生まれる。
それに、先生に指名され私が答えるのを待たれている時間が長くなるのも、余計に焦ってしまってわからなくなるので、なるべく避けたい。
そうなると、私には自分を守るという意味でも、予習と復習がマストになるのだ。

しかしそんな余裕がない人もいる。

私のいるクラスには、アメリカ、アルバニア、インド、ケニア、トルコ、カザフスタン、日本、ロシアの人がいて、今のところロシアとケニアの人がかなり遅れをとっている。

特にロシアの人は、いつも朝から疲れた顔をして授業に遅れて来ることが多い。その様子から察するに、本人や家族が何か大変なのだろうと推測する。宿題はギリギリこなせているようだけれど、予習なんてとても無理なのだろう。

足並みが揃わないというところは問題だけれど、学校がとくにルールを決めているわけでもないし、各々の事情があるだろうから、これも仕方がないのかもしれないと思っている。


③英語で話し続ける人がいる

このクラスは英語圏の人と、英語が話せる非英語圏の人が半数以上を占めている。
特にアメリカの人たちと流暢な英語が話せる数人がこれをやるのだが、ドイツ語の授業でドイツ語で説明する先生に、ずっと英語で質問するのだ。

先生はドイツ語で返すとこともあるけれど、ほとんどの場合、結局英語で返してしまう。ドイツ語よりも英語で返したほうが理解されるスピードが早いし、周りにも理解ができるという判断なのだろう。

結局英語が話せる人たちは授業中も発音以外のところではほぼ英語で話をし、休憩中も英語で話し続けている。
この学校へドイツ語を習いに来る人はEU圏が多いものの英語は大体の人が話せていて、3つ目以上の言語習得のために来ている人が大半だ。それもあって、ヨーロッパ出身の彼らも英語しか話せない彼らに合わせてしまうのだ。

正直「ドイツ語で話さないの…?」と思わなくはない。
私が授業やその休憩時間に、周りから「どうして英語がわからないの?」的な反応をされることもあり、納得がいかないところもある。

しかし、ドイツ語の語学学校とはいえまだ入門クラスだと使える言葉も少ないし、コミュニケーションや授業で分からないことを理解するために通じやすい言葉を選んでしまうのは、仕方がないのかもしれない。

最近語学学校へ行くために前よりもエルベ川をよく見るようになった。
いつ見ても素敵な景色だ。

④生徒間で分かる言語で助け合いだす

③でも話したように、授業の補足も英語となると「英語がわからない入門レベルの人」が取り残される。
それが②で出てきたロシア人と、カザフスタン人たちだ。

もちろん語学学校がドイツ語で進むのはわかっていて来ているだろうし、母国語などで補足が入らない可能性は理解していたはずだ。
だから私は予習復習を強化するという手段で解決しようとしている。

しかし彼らは別の手段を選んだ。
それは " 助け合い " という名の分かる言語での情報共有だ。
先生の話が終わり問題を解くタイミングになると、ロシア語らしき言葉で助け合い始める。

10人ほどのクラスで、コの字で先生を囲むような席になっているため、話し出せば先生にも分かる。そして「質問があるの?」とドイツ語で聞かれる。事前に質問のタイミングは取っているので、先生は実質「私語をやめて、問題を解け」と言っているのだ。
しかし私と同じように質問をする語学力がない彼らは、結局先生の目を盗んでロシア語で話し続ける。


こう書くと、この2人が予習復習をちゃんとしないから悪いように見えるかもしれないが、私はそれだけが問題とも思えない。

③でも書いたように、このクラスには英語で話し続ける人たちもいるのだ。しかもそのアメリカ人の彼らもまた、ロシア・カザフスタン人と同じ完全な入門レベルの人たちだ。

この2組の差は、私の見る限り生まれた国が英語圏だったかどうかしかない。
言うなれば「 出身国ガチャ 」だ。

英語が母国語の人は幸いにも授業中に英語で話すことを許され、それがわからないロシア語を使う彼らだけが怒られるのも、同じく授業で母国語が通じない私にとっては、なんだか腑に落ちないところもある。
そもそも授業内で「 英語は使ってもいい 」なんてルールもないのだ。

フォローアップがないのだから、分かる言葉でお互いに助け合いたいという気持ちは分からなくはない。
授業中にやる必要があるのか…と思うが、それは英語での回答を求める人達も同じだ。そう思うと、仕方がないといえば仕方がない。


⑤国同士の諍いがクラスに持ち込まれる

先日行った、ウクライナレストランの料理。
とても美味しかった。

このクラスにはロシア人とウクライナ人がいる。
先日別の記事でも書いたが、語学学校とはいえこの2国間の状況を考えると、どういう感じになるのかと開講直後からソワソワしていた。

この点にはnoteでも何人かの方からコメントをいただいた。
現在の言語力ではデリケートなことを丁寧に聞いたり話したりができないのと、そもそも『ドイツ語を学びに来ている』という目的を大切にしようと考え、私はノータッチという選択をすることにした。


しかし今週になって、ウクライナの彼がロシア人に厳しく当たるようになったのだ。
もちろん言葉での攻撃のみだが、授業中に平気で繰り出してくる。それは英語のあまりわからない私すら分かる、はっきりとした悪口だ。
先生や他の人たちは基本聞こえていないというスタンスでいるけれど、多分クラスの全員に聞こえている。


授業中にそんな悪口言うのはやめようよ……と正直思うのだけれど、国同士のいざこざは置いておいても、彼がイライラする理由がほんの少しだけ分かってしまう。

それは、彼もロシア語で助け合いを続けているふたりに足を引っ張られている側なのだ。

ウクライナの彼は英語も幾分か話せているし、以前から勉強しているのかドイツ語レベルはクラスの中でも上の方だ。

それに、彼がロシア語でカザフスタン人の彼女にフォローする姿を時々見るので、カザフスタン人とロシア人が先生の目を盗んで何を話しているのかもおそらく聞こえている。
何を話しているのか分からない私でも時々気になるのだから、内容がわかる彼はなおのこと耳障りなのかもしれない。

授業中にロシア語で話し続けて度々先生に注意を受けたり、聞かれた問題に答えられず、授業の進みを遅れさせているのことにおいては、彼だけでなく他の人も多かれ少なから引っかかってはいると思う。
話せる言語やレベルに関係なく、大半の人は授業に置いていかれていないし、置いてかれていても自分で翌日までには取り返せている人たちなのだ。

クラスに国同士の問題を持ち込まないでほしいという気持ちはもちろん強い。けれどウクライナ人の彼はかなり若く、多感な時期を抜け出したかどうかの年齢でもある。

それに、別の観点で彼の苛立ちが少し理解できてしまうので、やや彼に同情してしまうところもある。(もちろん、悪口は良くない。絶対!)




(結果)これが世界なのかも、と思い出す。

そんなそれぞれの状況を見ながら1週間半ほど授業を受けてきた。
仕方がないよなぁと思いながら見ていたら、クラスが学級崩壊しかけていた、という感じだ。


でもこれは、誰が悪いとも一概に言えないような気もする。
生まれた国も文化も年齢も違うし、各々が事情を抱えてここにいる。
そしてその事情がどこかに影響して、全体か一部に良いことと悪いことを起こす。
そしてそのそれぞれが、また別の何かに影響して、何かが起きる。
統率する立場の先生にしても、言語が違うにせよ質問を無視するという立場は取りにくいし、まったくドイツ語が分からない人に言語を介さず文法を理解させるのはかなり難しく、それに余計な時間を取るなら英語を使って時短したいというのも分かる。


色々考えながらいつものように学校から帰りながら散歩しているうちに、私はあることに気づいた。


これが「 世界 」なのかもしれない。


歴史や文化、立場の違いで起こる戦争や紛争。
世界の中で少しでも大きな影響力や権力を手に入れるために行われる、協力や一体化。
知識や技術が優れている国が刺激を与えてどんどん世界を活性化させる一方で、その波に乗れず置いていかれる国があること。
そしてその国がこれ以上置いていかれないため、世界で生き残るためになりふり構わずな戦略を取る国があれば、そのやり方が気に入らないと叱責する国もある。
自分たちが劣勢にならないために、自分の特性が優位に見えるように戦う土俵を自分に有利な方向に変えようとする国もあれば、そんな世界のいざこざに巻き込まれないように沈黙を守り、淡々と己の道を進む国もある。



上の文章にある「 国 」を「 人 」に入れ替えたら、私のクラスで起きていることとほとんど変わらない。
つまり、この崩壊しかけていると思っていたクラスのバランスこそが、世界のバランスであるともいえる。この混沌とした感じこそが世界なのだ。

誰が正義で、誰が悪かなんて誰にも決められない。
そんなものは、見る人の立場によって簡単に変わってしまうのだ。

もちろん、本当の世界はもっと複雑だ。
けれど島国に生まれ、ほとんど同じアイデンティティを持った人に囲まれて生きてきた私のような人間には、この場所が「 世界 」を知るきっかけになっているのは間違いない。


語学学校に行くと決めてから、海外赴任した人の家族(特に配偶者?)が語学学校まで行くというのは、少し珍しいということを知った。
子育てなどで忙しい人も多いし、都市に住めば英語も通じることが多いからのようだ。
「え、通うんですか?」と驚かれることが多かったけれど、今あらためてこの選択が間違っていなかったように思う。


ドイツ語を聞きながら探り探りでドイツ語を話す毎日はわからないことだらけでつらくもあるけれど、今までに感じたことがない驚きと発見に満ちているし、刺激的で楽しい。


アラフォーに足を踏み込んでからというやや遅いスタートかもしれない。
でも知ることや学ぶことに遅いことはない。
これをきっかけに、「 世界 」というものをもっと知っていきたい所存だ。









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