見出し画像

【滝口寺伝承(2)火宅の女⑧】

倒幕

有世のはたらきもあり、命からがら伯耆国ほうきのくにに辿りついた帝一行は、伯耆国の地頭、名和長年なわながとしかばわれ、伯耆国船上山せんじょうさんにて挙兵いたします。

この名和長年、伯耆国で海鼠いりこ乾鮑ほしあわびを売って財をなしたおかげで、鎌倉から厳しいいましめを受けており、倒幕の機運に乗じて帝に与した者です。商才たくましき者でありながら、その武は鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためともの再来とされ、特に弓術は並々ならぬ腕前にて、五人張りの弓をいとも簡単に引き絞り、放つ矢は同時に2人を貫くと言われておりました。

隠岐の佐々木判官は、不破の結界から帝ににげられたのですからおおいに慌て、帝を奪還せんと船上山を攻め立てますが、ことのごとく名和長年の豪弓の餌食になります。いて夜討ちを掛けようかと思えば有世が起こした暴風雨に阻まれ、英気を取り戻した千種忠顕も奮戦しましたので、佐々木判官は這う這うほうほうの体で退却いたしました。

帝、隠岐より還幸す。

この報せは流水が如く全国を駆け巡り、後醍醐帝は時を置かず各地の守護地頭へ倒幕の綸旨りんじを発します。これで鎌倉方に与する者は逆賊のそしりを免れず、離反し官軍に与する者、いくさ場を離れ国元に帰る者あまたおりました。また各地悪党の御家人狩りも盛んとなり、鎌倉方の士気は瞬く間に衰えていきました。

千早城で奮戦する楠木正成は大軍で包囲する鎌倉方を軍略をもって退け、鎌倉へ南下する新田義貞は難攻不落の東都鎌倉に進撃。稲村ヶ崎で龍神の加護を受け、ついに執権北条高時一族郎党を自害に追いやります。

時を同じくして鎌倉方の先鋒として船上山に向かった足利高氏尊氏は首尾よく離反、丹波篠山より取って返し、京六波羅探題を制圧いたしました。

高祖源頼朝公の開府より150年。
鎌倉幕府はここに滅びました。

千種忠顕の回想はここで終わります。

奇門遁甲

再び男山岩清水八幡宮

「父上……隠岐では難儀でしたな……。初めて聴き申した。それにしても童子わらはでありながら陰陽師 安倍有世恐るべし。瑞獣ずいじゅうにも通ずとは……。つまり有世のおかげで隠岐から逃げおおせられたのでしたか……。」忠顕の息子、長忠は溜め息をつきます。

「あーそうよ。これは我らのかくろえ事ゆえ。長忠よ……お主が言う通り。この挟撃の計は不完全じゃ。尊氏の大軍には勝てん。如何いかでも、如何でも、有世の奇門遁甲きもんとんこうの術が要るのじゃ。」忠顕の拳に力が入ります。

「奇門遁甲……ですか……!?。」前の長忠であれば道術、占いの類はにわかに信じませんでしたが、それはこの父忠顕の話を聴くまで。父とて同じことでありましょう。

「八門陣からいうと、うしとらの我が軍は生門、新田党のいぬいは開門から攻め入るゆえ吉門じゃ。対して尊氏の軍はひつじさる、死門から入る。ゆえに死を免れん。……それも有世の奇門遁甲の術あってこそじゃ。八門にはそれぞれ人間じんかんの生死を司る吉凶がある。もって都を八門陣とするのじゃ。……まず行くぞ。有世のもとへ。」

長忠は、ほう、なるほどとは思えど、道術が最後の頼り綱とは。やはり不安は拭えません。

千種忠顕父子は一路、堀川今出川の安倍宗家へと向かいました。

有世の旅立ち

「父上……衛士えじがおります。」忠顕父子は安倍宗家屋敷近くで中の様子を伺います。

「あーそうじゃ。帝の還幸後、有世のことは坊門清忠ぼうもんきよただ卿の知るところとなってな。いましめておって有世は容易たやすく外には出れん。それだけ、有世の力は恐れられておる。」

「年端もいかない童子わらはがこれではあまりにも……。」長忠は眉をひそめます。

「あー参議千種忠顕じゃ。通せ。」衛士を押しのけ屋敷に入り、中へ呼びかけますと安倍泰吉有世の父が出迎えます。

「あー安倍権助ごんのすけ殿、息災で何よりじゃ。本日はご息男に用があっての。おわしますや?」

「有世は先刻、伯父に引かれて旅に出ました。もうここには戻りませぬ。」泰吉は神妙にこたえました。

「⁉……しかし衛士えじに固められておろう!?」

「衛士に気付かれずにすり抜けることなど、有世にとっては造作もないこと。近ごろ星をみるにあれは正に破軍の星。この都が再び劫火ごうかに焼かれることもあるゆえ……、都のそとに隠しましてございます。君がためとはいえ、有世を頼るのはもはやお止めください……。」

「何を無体むだいなことを、泰吉殿……。さればこそご息男のお力を要するというものを……。」

「有世の母が亡くなり申した……。」

「…………⁉」

「有世は……生まれ持ってのその力ゆえ、幼き頃より母元を離れて、君が為に尽くして参りましたが、やはり心寂しかったのだと思いまする。ようやく都へ戻り、こうした横目よこめの身ではありましたが、母子で仲よう過ごしておりました。しかし、昨年の暮れに病になりましてにわかに亡くなりましてございまする。有世は朝な夕な、おいおいと打ち泣いておりましてな……。」

「御内室がお隠れ亡くなりになられたとは……。泰吉殿、謹んでお悔み申し上げまする。」

「有世は我が一族でなれど、所詮は童子。この屋敷に閉じ込められて居るより、童子らしく蝶々を追いかけるような普通の暮らしをさせたいと思うのがこの父の願いでございます。子のいない我がの兄夫婦が引き取りたいと申すゆえ。」

「泰吉殿はそれで……?。」

「私はここでを弔いながら星を見て暮らしまする。どうか有世のことは打ち置いて放っておいてくだされ……。」泰吉は目を伏せました。

「……そうじゃったか……しからば。」忠顕は安倍屋敷を辞去しました。

「なあー参議忠顕殿。今は差し別れ分断のときです。わかんどおり皇統も、武家も、公卿も、我ら陰陽師も。みな心をたがい、差し別れ、憎しみあい、打ち消しあう、……その果てに何が見えましょうや?」

泰吉の問いを背に受け、「それはお主ら陰陽師の仕事じゃろう。……わしにはこたうことできぬわ……。」忠顕は立ち止まってうつむき、一瞥しました。

「父上……。有世なき今、どうなされますか……?」長忠が問います。

「まだじゃ。まだ最後の策が残っておる。ただ……それは楠木河内殿の胸三寸じゃがの……。」忠顕は見上げます。

暮れゆく都に烏鳴き、いつしか雨も降りにけり。

火宅の女⑨に続く

この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?