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【滝口寺伝承(2)火宅の女②】

炎(ほむら)

帝の御諚……?義貞は顔から火のでる思いがした。 酒に酔った勢いで内侍のことを口走ったのだろうか?それとも忠顕が裏で動いたのか。それが帝の御耳に届き……考えただけでも恐ろしい。

あれだけ望んでいたものが目の前に、しかも簡単に手に入れられる位置にあるのに、義貞の心は疑念ののち羞恥、そして戦慄に変わりました。

「あの……私が参ること、忠顕様は何も?」上目遣いする内侍の顔が曇ります。

「いや、はや、忠顕殿からは何も聴いてはおりません。あまりに唐突な出来事で……。あの…武者苦しい所ですが、中へ…。」棗(なつめ)のように耳を赤くして、義貞が離亭の小部屋へ内侍を誘うと、こくん と頷いた。

……もとよりここは尊氏が弟め(直義)の家ではないか!武者苦しいのは私のせいではない!……と弁明したい気持ちを抑え、内侍を丁重に介添した。

…………またしばらく沈黙が続く。
外面似菩薩(げめにぼさつ)」。高灯台のに浮かび上がるこの、恐ろしいほど美しい女(ひと)の内面はいかなるものであろうか。義貞は話の緒口(いとぐち)を探ります。

「あの、内侍……殿ですよね?」
「はい。いかにも…。」

「義貞めのこと、知っておりますか?」
「はい。存じております…。」

義貞は掴んでは離れる糸を手繰る。

「帝はなんと……?」

内侍は ぴくっとして「良き日に義貞のもとへ行け。子細は忠顕に……と。」

「忠顕様が言うには、御身はこの度の鎌倉北条ならびに足利追討の恩賞(ほうび)として、新田左中将殿に下賜されるのだ……と。」ようやくぽつりぽつりと内侍の口から言葉が出る。

そんな……。いくら私が心に染めていることを知られたとて、武功の恩賞に自分の女御を下賜するなど、あっていいのだろうか⁉

……そういえばかつて源三位頼政が鵺(ぬえ)退治の褒美に鳥羽院から菖蒲ノ前を下賜されたと聴くが…。
……これが内裏というものなのか。

理不尽。悲惨。あまりにも気の毒な内侍をみて、義貞は思わず、

「あなたがこれへ参るということは、事の次第を承知されているということですよね……。あなたは、それでいいのですか?」と尋ねた。

「ここに置いてはくださらないのですか?内裏にもお暇をいただきました。もう私に帰るところはございません。」
義貞の問いには応えてもらえない。
内侍のひそめた黛(まゆ)は解けることがなく、悲愴な決意を感じる。

「い、いや、あなたさえ…よければ。」

「私のことがお嫌いですか⁉」

「いや、滅相もない!で、ではあの、ここに居る心があるならば……居て……くだされ。」
内侍の美しさに、鬼迫がさらに上乗せされ、義貞は圧倒されました。

黛をゆるめ、心が少し晴れた様子の内侍をみて、義貞も緊張が和らぎました。

「あの、何か召し上がりませぬか?今、世話の者に支度させますゆえ。」義貞は妙案とばかりにさっと立ち上がったが、脚がもつれてよろめく。
「おーい新兵衛ぇー、たれかー。おーい。おーい。」人払いした離亭であることをすっかり忘れていた。何か調子が狂う。

しばらくして、この家の女が いち膳立ててくれた。

「あなたも、一口いかがか?」酒を勧めてみたが、一回も飲んだことがない、とのことで丁重に否ばれた。
少し酒で喉を潤して、滑らかさを整えた義貞はいくらか立て直し、内侍の気持ちをほどこうと語り掛ける。

「しかし、あなたのような きらびやかな宮仕えの方からすれば、このようなむくつけき武家に入るなど、思いもよらなかったのではないでしょうか?」

内侍の片黒子(かたほくろ)の口元は弛み、少しづつ、義貞へ心を向けて行きます。

火宅の女(ひと)

「正直ほっといたしました。私は……ずっと逃げたかったのです。内裏という火宅から……。」糸が切れたのか、内侍の衣の袖にぽつんと涙が落ちました。

火宅……内裏に渦巻く煩悩の炎(ほむら)。業火に焼き尽くされる前に逃げ出してきたというのだろうか。「女は三界に住まいなし」というが、物のように差し出されたこの女(ひと)をみるに、義貞の胸は哀れみに掻き毟られました。

「何を仰せか。きけばあなたは誉高い世尊寺の家の生まれで、しかも兄上の行房殿も帝の覚えめでたきお方。
あなたも帝に……その……良くしてもらったのでしょう。
と、とにかく、これまで なにご不自由なく、明かし、暮らしてきたのではないでしょうか?」

義貞は慰めにならないようなことを口にして、咄嗟に取り繕いました。

内侍は語り始めます。

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「内裏はすべて准后廉子(じゅんごうのかどこ)様のものにございます。」

准后廉子。帝を惑わす当代の妲己(だっき)か。皇后禧子(さちこ)様が崩御された後に内裏を牛耳る性悪の女御……。

「禧子様が若くしてみまかられたあと、酷く落ち込まれていた帝を案じ、摂関公家からたくさんの女御が入内いたしました。私もそのひとりです。
廉子様は、その女御方々のお纏め役でした。最初は後宮のしきたりなど教えてくださり、良くしてくれたのですが、私がとみに 帝のお側にいるようになると、廉子様からも他の女御の方からも冷たくあしらわれるようになりました。

私の御椀にその…家守(やもり)やら百足やらが入っていたり、母上様より頂いた大切な着物が破られていたり……心底…滅入りました。」

内侍は肩をすくめて胴震いしました。

「それで身体を壊してしまいましたので、暇乞い(いとまごい)をして実家(さと)に戻ることとなりました。ある日実家に兄上(行房)がやってきて、『もう内裏には戻るな』と申してきたのです。

……兄上は過日、帝が隠岐からお遁げになった際、帝のお側にいらっしゃいましたのですが、そこで『恐ろしいものを見た』と言うのです。」

夜叉

行房は神妙に、内侍にこう語りました。

「帝のお側には准后廉子様と、ほかふたりの女御がおったが隠岐を離れて浜についた頃には、少宰相(しょうのさいしょう)殿の姿が見えなくなっておった。

『あはれ気の毒に、波に浚(さら)われ申した。』と廉子様は袖で涙を拭っておられたが、あの顔は夜叉だ。

私だけは見ていたのだよ、廉子様が少宰相殿を小舟から突き落とすところを!
少宰相殿は みまかる前、帝にいたく気に入られておってな。お前は私の可愛い末妹(まつまい)だ。次はお前かと思うと気が気ではない。……そこでこないだ隠岐で共にあった千種忠顕殿と鳩首(きゅうしゅ)の上でな、お前をあの火宅から救う妙案を思いついた。あとはこの兄に任せておけ。」

「兄上はそう申しましたが、私はただの人形。魂のない人形でございますれば、それを聴いたとて何ができるわけでもございません。帝に『内侍はいかにせん』と再三、文(ふみ)をもらい、迎えの牛車が来ますれば内裏に戻らざるを得ません。」

「……内裏に戻っても私の震駭(しんがい)は止まず、ずっと部屋に籠っておりました。兄上の話を聴いて猶更(なおさら)、廉子様が夜叉のように思えて、恐ろしくて恐ろしくて堪らないのです。」

「そんな…人形などと申しますな。義貞まで哀しくなりますゆえ。帝もきっと……お隠れになっている御身を憂いていたのではないでしょうか?」義貞は、涙を流す内侍を気遣った。

「いえ。そうではありません。」

春の冷たい雨が降りだしました。

火宅の女(ひと)③に続く

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