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不思議な・・・夢 =熊野三山②=

熊野・・・何だか不思議に満ちた地域。熊野古道、蟻行列
等々聞いたことはあるが、信仰と自然に満ち満ちている匂いがする。

私の嫁は不思議な夢をみる・・・みたいだ。それについての理由を考えたところで説明は不可能である。見るものは見る。感じるものはそう感じる。そこに疑問はないが、やはり理由を知りたい。
ただ、そう思う・・・。

前回の続き・・・。

那智の滝と違和感

熊野本宮大社を後にした私たちは、熊野那智大社を目指した。
那智の滝でも有名なこの場所は、到着早々に活気に溢れ、人も溢れていた。
やはり思うのだが、社に付随した何かがある場所には、本当に人が多い。
その雰囲気は参拝と言うより観光である。(←個人的な感想ですので…)
何とか駐車して、那智の滝に向かってみる。

ポカーン。。。あー。。。スゲー。。。

説明は不必要である。
その昔、修験者が修行したくなるのも頷ける。この場所には、この世のすべてをミキサーで搔き回す様な、異世界を感じる。

”辺りは暗かった。私は滝の中腹にある岩の上に降り立ち、落ちる水しぶきを見ていた。
それはあまりにも当たり前の様に、そこに立っていた。
水しぶきは光り輝いており、私は満足していた。

那智の滝に降り立つ者…より

那智の滝のある部分を指さし、嫁は
”あそこ、あそこに立っていたんだよ”と言う。
嫁から聞いた話に”水源”はよく出てくる。
例えば、

”聖書に出てくるモーセの海を割ったシーンあるでしょ?
私はその割れた薄暗い岩の間を歩いている。辺りには海藻とかが落ちているから、海の底ってわかる。
見上げると、ものすごい量の水が轟音を響かせながらゴウゴウと音を立てて、上に上に上がっている。本当に海の壁のようで、私も手を壁に突っ込んでみたが、水は私の腕をすり抜けるように上に上がっている。
沢山の人たちが列をつくって歩いているけど、やっぱり私みたいに不思議に思って海の壁を触ってる人がたくさんいた。

モーセと歩く…より

他には、

辺りは真っ暗で、物凄い嵐の海の上に私はいる。すぐに、その嵐は自分が起こしていることに気づく。
私は右腕を大きく回しながら、海の水を搔き回している。風と雨を降らせながら、まるで何かを”演奏”しているようで、気持ちいい。

嵐を演奏する者…より

などである。
那智の滝は主祭神、伊邪那美尊であるが、その関係性を考えるには十分なほどの内容だと思う。兎に角、嫁は水に関係する何者であった可能性は否定できない。

しばらくボーっと滝を見ている嫁とは別に私は、と言うと。。。
正直イライラしていた。
ハッキリ言おう。私はこの場所が苦手である。
私事だが、私はたまに”この場所何か嫌だ”と思うことがしばしばある。
特にこれが。とは言えないのだが、肌に合わない空気感と言うものが私にはあるのだ。それを察してか、
嫁が”行こうか”と言うので、素直に頷く。
駐車場へ戻る途中

”あなたには合わない場所かもね”

と嫁が言う。その通りで説明できないが、その場を離れたいと直感的に思うのだ。

熊野那智大社

熊野那智大社は山の高いところにあるため、坂をのぼって階段上って・・・とにかく上っていく。たどり着いたその場所は、一言”気持ちよい”。
頑張って上って来たからなのか、高い場所にあるからなのか、とにかく気持ちよい。那智大社のすぐ隣に青岸渡寺があるが、この場所の様に、神社と寺がくっついているような場所は、特に珍しいものでもない。
一見違和感を感じるが、神仏習合、本地垂迹説等々、考えると今では不自然だとも感じない。
※興味のある方は思う存分ご自身でお調べください。

嫁はと言うと、寧ろ那智大社よりこっちの青岸渡寺に興味があるらしく、
境内をグルグルとしばらく周り、
”私、ここ来たことあるわ”
と言う。嫁が言うには、那智の滝に降り立った後、この寺のこの場所に来たらしい。ここでは特に何かするわけでもなく、しばらく歩いて、また飛んで行ったとのこと。

那智大社に参拝をして、木の根を潜ってもと来た道を戻る。
私の心もいつしか那智の滝での違和感も忘れ、心地良い気分になっていた。

※次回、熊野3山最後の熊野速玉大社へと向かう。伊弉諾尊。祓祝詞に出てくる禊の際、かの天照大神、月読尊、素戔嗚命が生まれる。
神道神々の父とも呼ぶべき、偉大なる神。
そこで待ち受けるものとは・・・・。


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