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日本の学校が150年経っても変わらない本当の理由

こんにちは、おあです🤗
3児子育て中で、小学生の娘2人はホームエデュケーションを選択しています☘
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるnoteです📒


今日は、「日本の学校教育が150年経っても変わらない本当の理由」というテーマで書いていきます🖋




■日本の学校教育への疑問

私は、娘の不登校の問題をきっかけに、日本の学校教育について「どうしてこうなっているんだろう?」、「何が問題になっているんだろう?」ということを、色々勉強してきました📚
そして、教育の歴史とか、学校制度の問題というのをいろいろ知るにつれて、日本の学校教育が明治時代からほとんど何も150年間変わっていないんだ、ということに驚いたのです💡

坂本龍馬



■保護者からのクレーム

まず、最近「宿題をやめよう!」とか、「成績表をつけるのをやめよう!」という動きが出てきていて、そういう取り組みを始める学校もいくつか出てきてはいるんですけれども、それがだいたいうまくいかなくなる理由が、「保護者さんたちからのクレーム」だそうなんです😮

・・・つまり、宿題をちょっとなくしたり、ちょっと授業を減らしたりすると、保護者さんたちが「こんなんで大丈夫なんですか?」「もうちょっと家でもしっかり勉強させられるようにしてください!」と学校に言ってくるということなんです😱
宿題をやめたことで成績が落ちたりすると、「ほらやっぱり勉強が足りないからだ!」「もっと宿題をしっかり出してもらって勉強させなければ学力が保てない!」とクレームが出るそうで😅

保護者からのクレーム


■ゆとり教育からのバックラッシュ

過去には「ゆとり教育」もそうだったんですよね。
結局「世論」の声が大きくて、「こんな教育では日本はダメになるじゃないか!」「ゆとりなんて言ってちゃいかん!」「もっとちゃんとやっぱり勉強させなきゃいかん!」となって。 揺り戻しで、結局は子どもたちにまた詰め込むような、勉強を強いるという状況に戻っていってしまったということでした😥


■黒板に向かって勉強するスタイルが好きな日本人

もう1つ驚いたのが、「英語をもっと学ばせなければ!」と、わざわざ海外に教育移住した日本人の保護者が、現地の学校で子どもたちが寝そべって授業を受けたり、いわゆる黒板に向かって教科書を開いてみんながいい姿勢で授業を聞くっていうようなスタイルを全くとっていない学校に入ったりすると、「これはダメだ😠」と言って、結局、日本と変わらない授業スタイル・・・先生から何か教えを乞う、教科書を使って黒板に向かって勉強する、というようなスタイル・・・の学校に転校していくという話を聞いて、何なんだろう??と思ったんです😥

昔ながらの授業スタイル



■国民の声

今まで日本も3回「子ども主体の教育」に移行するタイミングがあったはずでした。
ところが3回とも失敗しています💦

国としては変えようとしたところもあったようなのです。
ところが、それが阻止されたのが、結局は保護者のクレームだったり、世論の力だったりしたわけです。
結局、明治時代から150年間もこの今の日本の学校教育が変わっていないのは、国民1人1人が「変えてほしくない」という声、意識の結果ということになります。

・・・そう考えた時、これは大変根深い問題だなと😱
ちょっと政治家が動いて何かしたって、これは国民の1人1人の意識の問題なんだとしたら、難しいなと思うようになりました。

要は、私たち1人1人が今の学校教育でいいと思っていると。
変えないでほしいと思っているから、維持されているということなんだと。

・・・じゃあどうして私たち・・・つまり大人ですね。
大人たちはそこまでして、こんな古臭いやり方、教育の形を変えられないのか?変えたくないと思っているのか?という「背景」を、私は知りたいと思いました📚



■朱子学の影響?

・・・で、ある方が、「朱子学の影響が大きい」とおっしゃっていたんです💡


「朱子学」というのは、「儒学」「朱子学」「陽明学」って、歴史か何かで覚えていらっしゃる方もいるかもしれません🖋

「儒学」というのは「孔子」が作った「儒教」に基づく学問です。

孔子


「朱子学」というのは、その「儒学」をさらに体系立てて、かなり理論的に発展させた学問で、「朱熹」さんという方が構築した学問です。


朱熹


・・・私は「朱子学?!それがそんなに私たちの意識に根深くあるわけ?」 と驚いて、色々調べてみたんですよ。

そしたらですね、「なるほど💡」と。
「そうだな」って思いました👍
「朱子学」が、やっぱり私たちの歴史上、文化的にもすごく強く根強く残っているから、こんなに150年も変わらない教育スタイルを貫き続けているのだと、大変納得したんです。

■朱子学とは

「朱子学」を本当に簡単にお伝えしますと、まず「上下関係」をとっても重視する学問です。
「権威」や「秩序」を重んじると言われています。
「全ての物事には上下関係がある」ということを導き出していて、「自分よりも年上の人や、身分が高い人、父親の言うことは絶対」とする思想です。 これが家父長制に繋がっていくわけですけれども。
「朱子学」は徳川家康以降で、社会秩序を維持するために、かなり奨励されたようです。
「朱子学」は、江戸時代の身分制度とか、思想統制の道具として、うまく利用されたということだったのです。


■朱子学の考え方

「朱子学」に、「知識を得ることが大事」という考え方があります。
朱子学には「聖人学んで至るべし」という言葉があるそうで、聖人、つまり立派な人になるには、「できる限りたくさんの知識を得ないといけない」という考え方です。
だから、たくさんの本を読んで、たくさんの知識を得ること、勉強することがとても大事で、たくさん勉強してたくさんの知識を持っている人が「1番偉い」ということになるわけです。

1番偉い!


もう1つ、「朱子学」に「静坐」という考え方があります。
この「静坐」というのは、日常的な場面でも心を安静な状態に置くこと。
これが発展して「目上の人が何か話すときには集中して静かに座って聞くことが重要」という態度に繋がっていきます。
つまり、親や先生がお話をするときは「黙って静かにいい姿勢で聞く」「教えを乞う」と。
そういう「態度」から物事を深く考えたり、自分の欲望をコントロールできる人間になっていく、という考え方なんですね。

修行する人


■朱子学の教育スタイル

私は日本の学校教育には、この「朱子学」が前提として存在する、というのを知って、ものすごい腑に落ちました💡
だから、150年経っても先生が教壇の前に立って、子どもたちは静かに整然と、いい姿勢で教科書を開いて教えを乞う、というスタイルが変わらないのかと。
たくさんの知識を身につけて、できるだけたくさんの知識を持った人が成績がいい=「優秀」ということで、テストに合格をして上に登っていく・・・。
めちゃくちゃわかりやすいし、朱子学そのまんまの世界、ですよね😅

昭和初期の授業の様子


この朱子学に基づいた教育の在り方は、「イエナプラン」「モンテソーリ」「シュタイナー」といったオルタナティブな教育=子ども主体の「子供の権利に基づいた教育」とは全く真逆です。
そりゃあ相入れないわけですよ😅
そりゃあこんな朱子学の世界に、寝転ぶ子どもたち…🤣🤣🤣
「子ども主体の教育」なんて言って、自由なスタイルで自由に学ぶ、なんて考え方は、相入れないのは当然だよなと、スッキリしました✨



■朱子学も1つの考え方

私は、この「朱子学」というのが日本の教育の背景にある、ということを知って、決して「朱子学」が悪いわけではないと。「朱子学」を否定するつもりもないと。

・・・実際、これまで役に立ってきたわけです。「日本」という国を維持する上で。
江戸時代があれだけ平和な時代が続いたと言われているのも、おそらくこの「朱子学」のお陰だったのではないかと思いますし。

じゃあ、何が問題なのかというと、今の日本の学校では「朱子学」のやり方しか、公教育として認めていないということなんです。



■朱子学に基づいた教育しか認めていない日本

「朱子学」というのは考え方ですから。
宗教みたいなものなんです。
例えるなら、今の日本の教育は、イスラム教だったら「イスラム教しか信じてはいけません!」 「やってはいけません!」「イスラム教以外認めません!」って言っているようなもの。
最近は、それ以外も別にいいですよと。 嫌だったらフリースクールとか、やってもいいですよと。ただし、公的な教育を受けたとは認めませんよって言ってるだけなんです。
例えるなら、国としてはイスラム教の教育を無償で提供しますと。イスラム教であれば無料で受けられますよと。それ以外の教育も別にやってもいいけれど、でもそちらにはお金は出しませんよ、となっていることが問題なんです😔

一応、「教育機会確保法」という法律ができて、フリースクールやオルタナティブスクールやホームスクールや…。色々「やってもいいよ」と言ってもらえるようにはなったけれど、「お金は出しません」というわけです、日本は。

つまり、
「国の定めるイスラム教の教育は嫌だわ😔」
「私はキリスト教の学校がいいわ✨」
「私は仏教の学校がいいわ💡」
「私はヒンズー教の学校にするわ☺」
・・・と思って、別の教育を選択すると、結局「それは全部自費でやってください」と言われるわけです。
しかも、「日本の公教育を卒業した資格は得られません」と、そういうような状態なわけですね💦

だから、もう何十年も昔から、「多様な教育を認めてほしい」ということを訴えてきた不登校の親の会の方々が何を言ってきたかって、「朱子学以外のやり方の教育」でも、ちゃんと日本の教育を受けたと認めてほしいし、そのような学校にも経済的な負担なく通えるようにしてほしい、ということを言ってきているということなんですよね✨

AIいらすとやで「多様な教育」を生成してもらったらこんな画像になりました👆


・・・私が言いたいのも、つまりそういうことで。
「朱子学」を否定するつもりは全くありません。
「朱子学」というのは1つの学問として体系立っていますし、それが合う、というお子さんも実際いると思います。
朱子学の教育の方が安心だし、朱子学の教育の方が分かりやすいという子もいると思います。

・・・いいんです💦
だから、朱子学の学校は朱子学の学校でやっていただいて全く構わないんです😅

今の学校教育を「全部変えろ!」なんて私は思いません。
そうではなくて、それ以外の教育・・・「子ども主体の教育」「いろんな子どもに合った教育」・・・1人1人いろんな子どもたちがいるわけなので、そういう違う教育も普通に認めてほしい。日本の教育を受けたとを認めてほしい。ということと、どんな学校、どんな教育を選んだとしても経済的な負担なく自由に選べる環境にしてほしい。ということなんですよね☘



■自分が受けてきた教育以外を知らない大人たち

今日は、「なんでこんなに日本の学校教育だけ、150年も変わらないんだろう?」ということを私がずっと不思議に思っていて、いろいろ調べていった結果、「朱子学」というところに行き着いて。
そして、そういう教育を受けてきた大人自身が、ある意味「洗脳状態」なわけですよね。
「それこそが学校のスタイルだ」というふうに思い込んでいて、それ以外の教育の在り方や学ぶスタイルを知らないので、自分たちが受けた教育と同じようなものを結局また子どもたちにも押し付けていってしまっている・・・という「負の連鎖」が起きているんだなということがわかって、私としては腑に落ちた。という話を書いてみました🖋

負の連鎖


・・・私たちにできることは、やっぱり、「大人自身」がまず、「学ぶ」ことですよね✨

世界は広いんですよ🌎
時代も変わっているんですよ🤖

そういうことを、ちゃんと大人自身が自覚して、「いろんな教育の在り方がある」「時代がこんなに変わってきている」ということをちゃんと理解すること。
もう1つが、「子どもにも当たり前に権利がある」ということを、ちゃんと認識すること。
さらに、そういう権利をしっかり持った「1人1人の子どもたち」に合った教育って何なんだろう?ということを、ちゃんと考えていくこと。


・・・結論としては、「私たち大人が洗脳され続けているからではないでしょうか?」ということですね💦

洗脳状態


これをお読みの皆さんにも、「学校教育が変わらないのって、もしかすると私たち1人1人、自分自身の中にある❝何らかの思い込み❞❝刷り込み❞があるんではないかな?」と気づいていただけるきっかけになればいいなと思います☺


お読みくださりありがとうございました🤗
また次回お会いしましょう👍
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